【108日目】さらば北海道! ただいま本州! ねぶたの歴史『ワ・ラッセ』と青函連絡船『八甲田丸』(2022-9-3)

私の日本一周旅、その2/3を過ごした北海道最後の日です。
この試される大地に別れを告げ、再び本州の旅に戻ります。

名残惜しいこの北の大地。
本州へ向かう船の上で何を思うのでしょうか

さみしいねぇ。゚(´つω•`。)゚。

目次

北海道最後の朝

いつものアングルからおはようございます。
とうとう来てしまいましたよこの日が。

そう、今日が北海道最後の日です。
2カ月半ほど過ごしたこの地をとうとう離れるのですが、いまいち実感がわきませんね。

もうこれからはセコマも無く、屋根付きのバス停にもそうそうお目にはかかれないでしょう。
(バス停での野宿を推奨するものではありません)

寝ぼけ眼で荷物をまとめていきます。
しばらく荷物は外して函館観光していたのでフル積載の相棒がなんだか新鮮ですね。

ライダーハウス『ミートハウス』で一緒に過ごした日本一周チャリダーのだいちさん、つじいさんと一緒に荷造り。二人とも今日脱北予定ですから船の時間までしばらく行動をを共にします。

荷造りしている時に気づいたんですけどつじいさんと私の登山ザックが同じメーカーの色違いで笑いましたね。あまりかぶるの見たことないのでちょっとびっくりです( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

せっかく日本一周チャリダーが揃っているという事でライハ近くの赤レンガをバックに各々の相棒を撮影しました。

つじいさんは我々の終わっているサイドスタンドを観察しています。

日本一周チャリダーのサイドスタンド大体イカレていて笑うんですよね。やはり積載車、サイドスタンドを壊さずにはいられない……!

自転車自体が重いのでサイドスタンドだけで自立させるのは無理があるんですよ。゚(゚^ω^゚)゚。

荷物もまとまり、写真も撮って準備完了。
さあ、出発しますか……。

長いことお世話になりましたミートハウス!

あとは脱北のための道を進むのみ。
ペダルを漕げば漕ぐだけ北海道の旅が終わりに近づきます。

なんという感覚。いまいち現実感が無いんですよね。毎日毎日当たり前のように走っていた北海道から今日でお別れだというのは……。

ラスト・ラッキーピエロ

たいがさんおいかわさんなど二人で走ったことはありますが三人は初めてでなんだか新鮮な気持ち。

チャリダーはやはり自転車が目立ちますね。
三人並んで走っているとかなり目を引くようで視線を感じてしまいます( •̀ᴗ•́  )

ササっと走って到着したのはおなじみ『ラッキーピエロ』。
函館のご当地バーガーたるラッピを食べ収めずに脱北はできませんね。

ラッピデビューもついこの間の事だったのにもう食べ収めですよ。
小樽から北海道に入って時計回りに旅をしたのであまり長い付き合いはできませんでしたが、このハンバーガーの味は私の魂に刻まれましたよ。

最後だからたくさん食べます。
ラッキーチーズバーガーとチャイニーズチキンバーガーを注文。
多いよ。゚(゚^ω^゚)゚。

美味しいので苦ではありませんでしたけどね。
ペロリと完食。もうお腹パンパンです。

次にラッピに来るまでの食いだめはできたかな?
さらばラッキーピエロ。また会う日まで( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

ミートハウスで過ごした旅人が朝市で大集合!

ラッピから出たら昨日ミートハウスで一緒になった旅人たちと再会しました。
脱北するチャリダーは我々三人ですが、これから北海道を回るというチャリダーがあと二人いたんです( •̀ᴗ•́  )

けんごさん

ゆうまさん

これから北海道を回っていくという事で昨日はだいぶ先輩風を吹かしてしまいましたꉂꉂ(˃▿˂๑)

しかしこれからの北海道は寒くなりますし、ライダーハウスも閉まっていく時期。夏丸々北海道にあてた私よりもハードな旅になると思うのであまり参考になるお話はできなかったかもしれませんね。

お互い無事にまたどこかでお会いしましょう!
脱北前にまたお会いできてうれしかったです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

またな北海道!

ラッピで朝食とった後はとうとうフェリー乗り場へ。
私とだいちさんは津軽海峡フェリーの正午の便で青森フェリーターミナルへ向かうので一緒に行動します。

つじいさんは午後の便で大間へ。
ということでここでお別れですね。

ただつじいさんも東北の山々を登るそうですからどこかでまた会うかもしれませんね。
そう思うとあまりお別れという感じもしません( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

チケットを買ってフェリーに乗り込みます!
日本一周の積載車が2台も括りつけられていますわ(੭ु *`∀´* )੭ु

ガッチガチに固定お願いします!

乗り込んだらすぐに船が動き出しました。
出航です。北の大地から、離れる……!

函館山ァ!!!
素晴らしい夜景をありがとう!!!

さようなら……!
さようなら……!!!

だいちさんと甲板に出て離れ行く北海道を眺めます。

「函館湾って結構デカいんですね」

なんて言いながら。

「今見えている函館湾を一周するのだって大変なのに、我々は北海道を一周したんですよね」

なんて感慨に耽って。

本当ですよ。
いま視界に写っているだけの土地ですら広大なのに、それを超えた北海道という大地を人力で旅したんですよ。そう思うとなんだか目頭が熱くなってねぇ。

道も走った。
山も越えた。

辛くも楽しい北海道と本当にお別れかと思うと、もう、ネ( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )

これまでの旅、人との別れは多く経験してきましたが、土地との別れという感覚になったのはこの日が初めてです。ここまで多くの土地を通り過ぎてきたはずなのですけどね。これだけ長いこと過ごしたのが初めてだからでしょうか。

無性に感傷的になってしまいます。
土地に繋がりを感じるまでそこで過ごしたという事なんですね。

ああ、さらば函館!
さらば北海道!

滞在期間は実に79日!
まさかまさかで北海道にある日本百名山は全て登り切ることができました!



小樽から時計回りで周るという当初の予定を曲げて南下してでも最初に登りたかった羊蹄山。北海道第一座目の山となったこの蝦夷富士の美しさは今思い返しても北海道ナンバーワンだったなと思います。

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二座目に登ろうと思った十勝岳は雨によって泣く泣く断念……!
旭川からの大雪山縦走に切り替えました。そうして登った旭岳はガッスガス。゚(゚^ω^゚)゚。
しかしこれは縦走だ!と喝を入れて次の山に向かいました。

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そうして登ったのが三座目トムラウシ!
ずっと憧れて、しかし遠い、恐い、と中々登る機会をつかめなかった名峰です。
実際にピークを取った時は「本当にあのあこがれたトムラウシに登れたのか」と現実感がありませんでした。それだけ夢の様な瞬間だったという事ですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

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大雪山縦走はここで下山かと思いきやまさかまさかでこのまま十勝連峰まで足を伸ばすという選択。鬼門たる300名山のオプタテシケ山を越えてたどり着いたのは悪天候で諦めた四座目十勝岳! 旭岳から歩き通してここまで来るなんて私も信じられませんでした。間違いなく北海道での登山で最も思い出深い縦走。素晴らしい経験をさせてもらいました。トムラウシ~オプタテシケ間は二度と歩きませんが(メ゚皿゚)

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五座目は最北の百名山利尻岳。留萌で膝を痛めてそれが完治しないままに登った山でした。登りは良いが下りがキツイ。山自体は最高の天気を引くことができ、山頂から利尻島を一望するという贅沢な景色を見ることができました。絶景と試練の混ざり合った五座目、記憶に刻まれましたねぇ。

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六座目は斜里岳……! 間違いなくワースト1のアクセス難。自転車で行くところではありません。雨の中、自転車押しながらダート道を上がっていくのは泣きそうなくらい大変でした。ブヨにもまとわりつかれウザったいわ、雨には濡れるわ、登山口に行くまでが過酷でしたね。またこのダート道を下るときも手間取って、山麓の中で日が暮れるという非常に怖い思いもしました。反省点の多い登山でした。苦労のほとんどが登山口~拠点間でのことなので登山の苦労というと若干語弊がありますが。゚(´つω•`。)゚。

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七座目は羅臼岳。ヒグマの巣窟知床半島に居を構えるこの山はいつ登ろうともスリル抜群。熊撃退スプレーは必携です。幸い私は遭遇しませんでしたが、私の10分後ろを歩いていた登山客はヒグマと遭遇しています。油断大敵、しかし自然豊かで素晴らしい景観の羅臼岳。木下小屋での出会いもあってとてもいい思い出で満たされた山です。あとここで膝が完治しました(੭ु *`∀´* )੭ु

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八座目は雌阿寒岳。5時間くらいで堪能できる最高に美しい火山です。私もとても楽しい気持ちで登ることができました。しかし下山してみるとアホのキツネが私のテントを……(メ゚皿゚) 山とは無関係なところで試練に見舞われた日でした。

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ラスト九座目は百名山最難関にして北海道登山のラスボス幌尻岳。主な登山ルート三つが大雨によってほぼほぼ壊滅状態という、登る前から障害が多い登山でした。登ってからもピークを獲ってから天気が大荒れ。日高山脈の最奥で嵐に見舞われる超試練が待ち受けていました。大変だった登山は間違いなくこいつ。難易度までラスボスレベルにしなくてもと毒づきながらの山行でしたが、その分達成感もひとしお。北海道ラストにふさわしい山でした( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

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これにて私の日本一周の『山セクション』北海道編は完了です。
泣く。゚(゚^ω^゚)゚。


しかしそれだけ濃い体験だったという事です。

ありがとう北海道!

確実にまた来ますよ(੭ु *`∀´* )੭ु

いつまでも甲板で北海道を眺めてしまいますね。
だいちさんは先に客室へ戻っていきました。

私はもう少しここで……











浸る……(๑-﹏-๑)

ただいま本州 いくぜ青森

ひとしきり甲板で浸った後、客室で昼寝していたら青森到着のアナウンス。

何だか緊張してきましたね……。
本州は久しぶりなので思ったように旅ができるかちょっぴり心配です。

おおお! 上陸! 青森!
不思議なものですが『違う土地に来た』感覚が明確にあります( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

北海道との別れはさみしいですが、新たな大地を旅できるワクワクも確かにありますね。

横を見れば立派な山!
八甲田山ですね!
そうか……今度は東北の山を登れるのか……。

北海道の山を登った時、その雄大さに北海道ならではの魅力を感じたものですが、それはこちらでも同じこと。東北には東北にしかない山の美しさがあるはずです。

それらを堪能できるというのは……。
旅のモチベーションが上がりますね(੭ु *`∀´* )੭ु

引き続きだいちさんと行動を共にしていきます。
先に脱北して大間から青森入りしていたぎんりんさんがちょうど近くに来ているという事で、合流して青森を観光する予定です。

上手い具合に集合するものですね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

ねぶたの家 ワ・ラッセ

ぎんりんさんとは青森駅で待ち合わせ。
フェリーターミナルから市街地を走って駅に向かいます。

うおお、本当に北海道じゃない土地を走っていますよ。
凄い違和感です。この土地にはヒグマも無ければセイコーマートもそうそう無いんですよ(。◔‸◔。)

駅前到着して待つ事数分。
ぎんりんさんと合流しました。

大間からお疲れ様です!( •̀ᴗ•́  )

ルートと旅のペースがほぼ同じなので結構再会します(∩´﹏`∩)

さあ旅人三人そろって行くのは~~~

こちら!

ねぶたの家 ワ・ラッセ です!

山車灯籠

ここはねぶたの歴史や、山車灯籠(ねぶたと聞いて真っ先に想像する大型の灯籠)を紹介している一年を通してねぶたを体感できる施設です。

ねぶた祭りは我々旅人にとって特に楽しみなお祭り。
というのもこのねぶた祭り、毎年全国から徒歩、チャリ、バイクなど手段を問わず旅人たちが集まってくる旅人の聖典なのです。

歴史を知るのも面白いですけどここはシンプルに空間がオシャレ美しすぎるんですよ。
本当に時間を忘れてしまいます。

珍しいパターンなのですがねぶたは祭りでありながら特定の寺社と結びついた祭礼ではないんですよね。そのため寺社に基づいた『縁起』が存在しません。

祭りの起源については諸説ありますが、決定的な根拠のあるものは無く、現在まで未解明とされています。

それにしても

空間が良すぎるでしょう!
いくらでも浸れますよ!

実際に祭りで使用されたねぶたの展示コーナーへ入ります。
ワ・ラッセの核心部ですね。






いや

これはマジでカッコイイ!!!

鍾馗

『鍾馗』

唐の六代皇帝玄宗が病に臥していると、高熱の中で夢を見る。

宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。

玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南山の鍾馗。高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。

夢から覚めた玄宗は病気が治っていることに気づく。
のちに邪気避けや疫病避けに鍾馗図を家々に飾る風習が生まれたという。

引用元 https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2022nigumi.html

これは見ごたえありすぎる!
時間を忘れてシャッターを切ってしまいます。



こうやってねぶたの内部まで見られるなんて、なんと贅沢な……。

ねぶたは角材で支柱を作り、そこに針金で形を作っていきます。

本来は布を張った板や提灯で隠れるためねぶたの中身を見ることはできません。
こういう内部を見られるのはワ・ラッセならではですね。

台車には1.3tの発電機が設置されています。

昔はろうそくを使用しねぶたを光らせていましたが、現在では800~1000個の電球や蛍光灯を取り付けてねぶたを光らせるのです。

ねぶた本体と発電機を合わせた重量は約4t。

ねぶたを乗せる台車には大型車両用のタイヤと車軸が使われており、それを人力で引っ張るのです。総勢約30人の成人男性が前後横に着き、扇子持ちの指揮でねぶたを直進させたり回転させたりします。

琉球開闢神話

いや、ねぶたって全部カッコいいんですか?
滾りますよこんなの。

『琉球開闢神話』

これは日本に残る、イザナギ・イザナミとは異なるもうひとつの国生みの伝説、沖縄に古くから伝わる琉球開闢神話である。

昔々、生きとし生けるものが生まれる前の話。神の世界(ニライカナイ)にアマミキヨとシネリキヨという二人の神様が暮らしていた。

ある日二人は天帝様に瑠璃色に輝く美しい星に降り立ち、島造りをすることを命ぜられた。そしてある植物の種を二人に託し、この種を植えてお前たちはこの星の神様になるのだ、そう告げた。

二人は天帝様から授かった矛「シマグシナー」を星のくぼみに刺しこの星に降り立ち、そこに島々を造り天帝から授かった種(稲)を植え、そして子供を授かり、その子孫が人間として繁栄していったのだという。

引用元 https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2022shimin.html
龍王

龍王て。
もうタイトルだけでカッコいいですよドラゴンキング。

これが動いているところを見たいですねぇ( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

『龍王』

法華経に登場し、仏法を守護するとされている八大龍王。
水に関する神として、雨乞いや海上安全などにご利益があると信じられてきた。

青森市浅虫にも八大龍王が祀られている。その御神体は巨大な天然の流紋岩で、表面には白い龍の姿がうかぶとも言われている。

海岸沿いの見晴らしの良い小山に建てられた社殿から浅虫の人々と自然を見守り続け、龍神さまと呼ばれ地元の人々に親しまれている。

八大龍王のうち難陀龍王と沙羯羅龍王は、千手観音の眷属である二十八部衆にも属しており、京都の三十三間堂に安置されている彫像に代表されるように、主に武将の姿で表される。

ねぶたは、清水を操る難陀龍王と沙羯羅龍王のお姿である。

引用元 https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2022ryouyuukai.html

『鍾馗』マジでかっこいいですね。これが祭りでは動いているんですか……。
めちゃくちゃ生で見たいなねぶた祭……。

『田村麿 悪鬼高丸を滅す』

『田村麿 悪鬼高丸を滅す』

坂上田村麿は岩木山に逃れた蝦夷の棟梁高丸を尾上の八幡崎に追い詰め、遂にこれを討ち取った。その後、兵を率いて雁泊の沼の畔にきたところ、高丸が突如霊鬼となって現れ、一行に襲いかかってきた。

田村麿は素早く太刀を抜いて応じ、高丸を切り払った。
高丸の霊を鎮めるため、北方世界の守護神毘沙門天のお社を建てることにした田村麿は、深い森に分け入り、お社の場所に愛用の藤の鞭を突き立て目印とした。

すると、突き立てた鞭から枝や根が伸び、やがて見事な薄紫の藤の花を雲のように一面に咲かせるようになった。

いつしか人はその場所を藤の咲くふるさと、藤咲(藤崎)と呼ぶようになった。

引用元 https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2022denryoku.html








「田村麿カッケェ~」と思いながらねぶたを見ていると知っている顔を見つけました。
もはや旅人との再会では驚かなくなってきましたね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

視線の先にいたのはナツカさん
函館山から下山した時にお会いした日本縦断中のチャリダーです。

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函館で出会った旅人とはなんだか歩調が合うのか青森に到達するタイミングがことごとく合いますね(੭ु *`∀´* )੭ु

しばらくお話してナツカさん、だいちさんとはこのワ・ラッセでお別れ。

私とぎんりんさんはこのあと別の資料館に一緒に行くことになりました。
合流、解散を繰り返してどんどん行動を共にする人が変わっていくのめっちゃ面白いですね( ˶´ヮ`˵ )

ワ・ラッセの外より

だいちさんとナツカさんはワ・ラッセで記念メダル?のガチャを回していくそうです。欲しい柄がなかなか出ないんですって(。◔‸◔。)

まあしばらく青森もうろつきますからまたどこかで会いそうですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
またどこかで!


そうして我々もワ・ラッセを離れます。
ここは本当に面白った……。

ねぶた祭、俄然参加したくなりましたよ。
あの芸術品が実際に動くところを見たい……(・`_´・)

青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』

ワ・ラッセを後にして向かいますは青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』。

八甲田丸とワ・ラッセを観覧できる共通券を購入していたので。
共通券でも930円ですからね。せっかくなので見てみようかという気持ちになりました。

「八甲田丸」って?

1908年(明治41年)に鉄道連絡船として就航した比羅夫丸が青函連絡船歴史の始まりです。青函連絡船は1988年(昭和63年)まで80年間にわたり、青森港と函館港を結び、1億6千万人の乗客と2億5千万トンの貨物を運びました。航行距離は8千万キロ、地球を2,019周分に及びます。

引用元 https://aomori-hakkoudamaru.com/hakkodamaru.html

就航当時の状態に係留保存した連絡船がこういう資料館になっているのは風情がありますねぇ。そそられるものがありますよ。

この八甲田丸は連絡船歴代55隻中、最も現役期間が長かったとのことです。
その期間23年7ヶ月。お疲れ様です( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

この可愛いイルカさんのマークは昭和52年、当時13隻あった青函連絡船に70周年の記念としてつけられたシンボルマークです。

「イルカ」「救命ブイ」は13隻すべて統一されたデザイン。
それに加えて各船名にちなんだものがシンボルマークに付け加えられました。

この船は八甲田丸ですから、マークには八甲田山系と睡蓮沼が描かれているというわけです。
こういうことを知るとこれから登る八甲田山もより楽しみになるというものです。

入館する前ですが既にもう来て良かったという気持ちになっています( ˶´ヮ`˵ )

受付のある船楼甲板は八甲田丸の2階にあたります。

船内は当時の生活風景がマネキンで再現されています。

なにこの無性に懐かしい空間は!
ノスタルジーに殺されそうなのですが。゚(゚^ω^゚)゚。

私が生まれるはるか昔の風景のはずなのにとんでもなく懐かしい気持ちにさせられますね……。

大正ロマンがフルスイングで殴り掛かってくる……。
なんと味わい深い空間……。

マネキンコーナーを抜けて資料コーナーに行きましょう。

3階 遊歩甲板/青函ワールド・青函鉄道連絡船記念館

比羅夫ってあの羊蹄山の?

ほら船の名前が羊蹄(੭ु *`∀´* )੭ु
北海道と本州を結ぶ船なだけあって北海道の地名が船にも採用されているんですね。

こういう事に気づけるとなんだかうれしい気持ちになりますよね。
旅で得た知識が身になっている感覚があります。

北海道と本州を結ぶ青函連絡船の最期の運航は1988年3月13日。
この羊蹄丸の座席では青函連絡船の80年にわたる歴史の映像記録が流されています。

私が生まれる前にその役割を終えた連絡船。
実際に見てもいない連絡船の活躍が何とも誇らしい様な寂しような気持ちにさせます。
生まれる前のことに思いを馳せることができる……。歴史の面白さですよね。

1988年は青函トンネルが完成した年です。
このトンネルによって青函連絡船はその役割を終えました。゚(´つω•`。)゚。

この座席に座っていた人たちは何を思っていたのか……。
ワクワク? ドキドキ? それともなんて事の無い日常のワンシーンでしかなかったでしょうか。

歴史は面白い……。

寝室の毛布面白い形してますね。
これは飾り毛布というサービスの一つ。

簡単に言ってしまえば毛布でやる折り紙ですね。
柔らかい毛布で色々形が作れるものだ……。

青函連絡船が航海する津軽海峡は距離130kmほどの狭い海峡です。潮の流れが非常に速く、船乗りから苦手とされているとも言われます。

4階 航海甲板/ブリッジ・煙突展望台

ブリッジが一番テンション上がります。
船長ごっこが捗りますよ。

ブリッジ(操舵室)は船を動かすプロペラの遠隔操作、運航に必要な各部署のチェックができる通信設備、安全運航に欠かせないレーダーや自動操縦装置などの設備が整っています。まさに船の要。

船長の会話を盗み聞き

いい焼け方をするじゃないですか津軽海峡( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
曇天だらけの北海道とは打って変って晴れに恵まれる東北編となりそうですね。

風が気持ちいい( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

再び船内に戻ってここはブリッジの裏の無線通信室。
モールス信号を使って電信するスペースです。

現在はこのように展示されていますが、定期的に青森無線クラブの活動場として利用されているんですって(。◔‸◔。)

ダルマこわ……。

通信制御盤
プロペラ制御盤
制御レーダー

ブリッジだけで結構時間使ってしまいました。
面白すぎる( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

1階 車両甲板/車両展示室

エレベーター下って次は車両展示室。

青森と函館の鉄道をつなぐ連絡船って、私勘違いしていたんですけど物資を船に乗せ換えて駅から海の向こうの駅まで渡すというわけでは無いんですね。

まさしくこれは”鉄道”連絡船で、貨物車両ごと船に格納して海の向こうの線路まで運ぶんですよ。

つまり船の中にも車両を格納するためのちっちゃな線路があるんです。
ビックリですよね。

車両展示室の雰囲気最高でしたね。ゲームの中のステージに自分がいるみたいです。

船内に入れた車両は船の傾きで脱線しないように連結器や緊締具と呼ばれる様々な器具でガッチリ固定。車両の出し入れには船尾から陸上と船をつなぐ可動橋を利用します。

車両を船に運び込むってめちゃくちゃ大変だと思うんですけど、なぜこれだけの苦労をして電車ごと運ぶ形式になったのかとても気になりますね。

あと調べ

実際、1908年の連絡船開設当初は青森、函館両方とも連絡船が着岸できる岸壁は無く、小舟を介して乗下船が行われていたようです。
1925年に日本初となる鉄道車両航送を開始し、貨物輸送効率が格段に上がりました。
人の移動だけで考えたら車両ごと運ばなくてもいいですけど、貨物車両となると直接車両ごと運んだ方が確かに効率がいいですね。貨物は自分では歩けませんから。

年季入った車両の渋さったらない。

ホラーチックですらある。
嫌いじゃないですよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

何か出てきそうですね:;(∩´﹏`∩);:








DD16

こわ……。

もう、ガンアクションゲームのステージ過ぎる。最高!
この空間大好きです( ˶´ヮ`˵ )

ぎんりんさん発見( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

次、行きますか。

地下1階 第2甲板/エンジンルーム(機関室)

連絡船の心臓部、エンジンルームです。この階から海面下となります。涼しい……。

八甲田丸の重量は約5400t。これを動かすのが8基のディーゼルエンジンです。
1基のパワーは1600馬力。それが8基ですので八甲田丸の出力はなんと12800馬力もありました。

それってどれくらいのパワー?
ズバリ8基で普通乗用車(1,500cc)128台分です。

見学時は第1主機室の4基のみしか見られないのですけどね。
メカメカしくてカッコいい……。

統括制御室。

機関や航行に必要な補助機械の遠隔制御、機器の監視や計測・記録が行えます。
ブリッジに次ぐもう一つの頭脳とも言うべき施設でしょう。

八甲田丸の制御室は防音装置と冷暖房設備が整っており、常に快適な環境に保たれていました。
住みたいなここ。

水密扉。
八甲田丸の車両甲板より下は海面下にあります。防水や浸水の対策として甲板は12個の水密隔壁で13区画に分けられており、2区画まで浸水しても安全性が保たれるよう作られています。この水密隔壁の通り道として水密扉があり、非常時には油圧で開閉し、水が他の区画へ入らないようになっています。

安全航行に欠かせない様々な機器。
それらを働かせるために必要不可欠なものが電気です。

八甲田丸には主発電機(700KVA)3台、主軸駆動発電機(900KVA)1台、補助発電機(70KVA)が備わっています。

これらの生み出した電気が機関・通信・照明などの船内装置に送られていました。
発電機1機で一世帯(30A)230世帯分ですって。

あらかた見て回れたでしょうか。
満足感凄い……。

全く予定になかった八甲田丸でしたが来て良かったと心から思います。

後ろ髪引かれる思いで出てきた北海道。
そんな北海道と現在いる青森をつなぐ物語を当時の資料と共に学ぶことができで非常に有意義な時間でした。

シンプルに楽しかったですしね。
連絡船という歴史も、空間も。

やはりこういう資料館は足を伸ばしてみるものです。
移動することだけしか頭にないとこういう資料館に寄ろうという気持ちは持てないので、今後も心に余裕を持った旅を心がけていきたいですね。

久々の本州で過ごす夜

八甲田丸みていたらすっかり暗くなっていました。
ぎんりんさんと共に寝床としてあたりをつけた公園へ向かいます。

いやぁ、やはり誰かと走るというのは良いですね。
何だか心強いんですよ。

100日以上1人旅やって来て今更心強いも何もないのですが、自分以外の存在がいることの安心感というのは1人の時間が長かったからこそ強く感じられるようになったのかもしれません( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

そんなこと思いながら走っているとあっという間に目的の公園に到着。
立派なSLが展示されているここは合浦公園。かなりデカい公園です。

つじいさんからここ良いよと聞いていたので今日の寝床探しには苦労しませんでした。
私とぎんりんさん二人でも余裕で入れる東屋もすぐ見つかりようやく一息。

あとは飯食って寝るだけですね、とぎんりんさんと話していると一台の自転車が近づいてきます。

はい、いつもの旅人の引力案件です( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

ナツカさんやん!

数時間前にワ・ラッセで別れたばかりですよ。
まあかなりデカい公園でワ・ラッセからもそう遠くないので再開する可能性は高かったのですが笑

「まあまたどこかで会いそうですね」みたいなライトな別れの挨拶をしておいて良かった……。
根性の別れみたいなテンションでサヨナラしていたら恥ずかしかったですよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

それからは飯を食いながらしばし雑談。
ナツカさんは旅先で出会った人からメッセージをTシャツに書き込んでもらっているらしく、私も一筆したためさせてもらいました。「山と旅と冒険!」って書きましたね。

何かこういうの良いですよね。旅が終わった後にも確かに形として残るもの。宝物になりそうです。





そんなこんなでやいのやいのしていると一台の自転車が近づいてきて……

だいちさんやん!

今日は最後の最後にめちゃくちゃ笑わせられましたね。
おんなじ公園に示し合わせたわけでもないのに4人も集まりますかꉂꉂ(˃▿˂๑)


結構デカい東屋でしたが4人もいると流石に手狭に感じましたね。
まだまだ凍えるほどの気温ではないので私はいつものようにテントを張らずに寝袋だけで就寝。

なんとナツカさんとだいちさんも同じ野ざらしスタイルで寝るとのこと。
そうするとスペースに余裕があるのでぎんりんさんは東屋のど真ん中にテント張って就寝。

カオスすぎるこの東屋(੭ु *`∀´* )੭ु
こんな野宿はこの先もうないのではと思うくらいの盛況。

一つ屋根の下で寝るとはこういうシチュエーションですか。
思い出深い北海道を出たメモリアルデーに多くのイベントが重なって非常に濃い一日になりました( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

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