おはようございます。
ライダーハウス『ミートハウス』3泊目です。
本日は函館観光をしようと思います。
3日目にしてようやくかよという感じですが、初日は20時頃に函館到着。2日目は雨&休息日ということでご勘弁を。゚(゚^ω^゚)゚。
起床
おはようございます。
気づけば函館3日目(。◔‸◔。)
このライダーハウス、2泊目から800円になるというちとせライダーハウス方式なんですよね(初日は1300円)。連泊のハードルが下がるのでいつまでもいてしまうのです。
しかし新潟から北海道に入った私はまだ東北が残っています。
寒くなる前に回り切りたいのであまり函館でゆっくりもしていられません。
今日中に旅支度を済ませて明日には出ようと思います。
函館の赤い墓
さあ今日は室内でダラけず外へ飛び出しますよ。
最初の目的地はカトリック墓地あたり。
なぜそんなところに、と思われるかもしれませんね。
みなさんは『赤い墓』をご存知でしょうか?
怖い話ではありませんよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
言葉の意味そのままに赤い墓が函館にあるのです。
それがこちら↓
赤っか(੭ु *`∀´* )੭ु
函館の墓地の景観ぶっ壊しまくりの赤い墓。
その名も『天下の号外屋翁の墓』。
ここは『赤服』と呼ばれた信濃助治のお墓。
偽りの無い心を表す『赤心』は日本武道の精髄をも表すということで、全身赤づくめで北海道新聞の号外を函館市民にまいていました。当時の地物と新聞でも奇人として紹介されています。
シャア?
函館湾を望む閑静な墓地にあって悪目立ちしすぎる。
一発でこの墓は分かりますよ。
己巳役海軍戦死碑
次は戦死碑を拝みに行きます。
墓ばかりですが函館は新政府軍と旧幕府軍の争った土地ですからね。
土地柄墓所は多いのです。
もうめちゃくちゃな激坂を自転車押してやって来ました。
観光ですから荷物はほとんどライハに置いてきていますがそれでもきついくらい坂が急。
小樽の赤岩へ行った時のことを思い出します。
ようやくたどり着いたのがこちら。
己巳役海軍戦死碑。
1869年の函館戦争で戦死した新政府海軍慰霊の墓所です。
同年4月、討伐態勢を整えた新政府軍は旧幕府脱走軍に攻撃を開始しました。
そして5月11日函館湾海戦で新政府軍軍艦『朝陽』は、旧幕府脱走軍艦『蟠竜』の砲弾を受けて沈没。蟠竜の炸裂弾が朝陽の火薬庫に命中したようです。
この石碑には朝陽艦副館長夏秋又之助以下73名の新政府軍海軍の戦死者名が刻まれています。
旧函館区公会堂
激坂は下るときも自転車を下りないと危ないので何も楽しくありません。登るにキツく下るに怖い。
旧函館区公会堂。
北海道の代表的な明治洋風建築物です。シンメトリーなつくりに、二階にはバルコニー、屋根窓あり、玄関、左右入り口の円柱に柱飾りがあるなど、特徴的な様式を表しています。
メモを取りながら歩いている学生集団が多数いますがもしかして修学旅行か何かとかぶりましたかね。日本一周の看板は外していてよかった。
集団でいる学生からはよく話しかけられるんですよ。
2人以下だと中々恥ずかしがっているのか話しかけられるようなことは無いのですが。
数など何も関係なしに「日本一周してるんですかーーー!!!」と言ってくるのは小学生ですね。悪い気はしません( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
碧血碑
お次はこの函館での大本命である『碧血碑』へ参ります。
久々のチャリダートラップ。迂回するのも面倒なので自転車担いで登りました( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )
Googleマップを頼りに進んでいるとお寺に到着しました。この寺の中にあるという事なのかな……?敷地内を少し覗いたりもしましたがお目当ての碧血碑はどこにも見つかりません。
迷いながら周辺をうろついていると
あったー!
お寺は全く関係ありませんでしたね。
先ほどのお寺から出て右に進んでいくと鬱蒼とした山道に入ります。
そこに碧血碑の立て札がありました。
サンダルできたのは間違いだったかな……?
と一瞬不安になりましたが1分ちょっとで階段は終わりました。
来た来た来た!
ここが函館で一番楽しみにしていた場所『碧血碑』です!
碧血とは「忠義を貫いて死んだ者は地中で3年を経て碧玉になる」という中国の故事にちなんだ言葉です。るろうに剣心の斎藤一が言っていました(・`_´・)
函館戦争で戦死した、あの新選組鬼の副長こと土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地、函館での旧幕府脱走軍戦死者の霊を祀っています。
碧血碑は七回忌にあたる1875年に大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、東京から船で運ばれたものです。
碧血碑の裏側です。
刻まれている文字は「明治辰巳實有此事 立石山上㕥表厥志」。
意味は「明治2年、このことは実際にありました。山上に石を建ててその気持ちを表します」。
明治政府にとって旧幕府脱走軍は賊軍です。
柳川熊吉の漢気によって碑の建立が実現しましたが、迂遠な表現のこの文章からも碧血碑を建てるにあたって多大な苦労があったことが察せられます。
明治2年は戊辰戦争終結の年。
それに具体的に触れるのは憚られたのでしょうね。
五稜郭
次は五稜郭へ行きますよ。めっちゃ動きますね今日。
17時からはだいちさんと函館山へ行く約束をしているので結構巻きで移動しています。
観光はじっくりしたいですからね。
移動はせかせかしています。
五稜郭タワーに到着!
さっそく五稜郭へ突入!
と行きたいところですが
もう15時ですがまだ昼食をとっていないのでね。
少しお腹に食い物入れていきます。
飯は五稜郭タワーの麓にあるラーメン屋さんです。
味噌ラーメンを注文しました。味は普通!!!!!
ラーメンだけでは満足できなかったのでラッキーピエロにやって来ました。北海道旅終盤にしてラッピとの思い出作りに躍起になっています( •̀ᴗ•́ )
注文したのは今回も一番人気のチャイニーズチキンバーガー!
めちゃくちゃ美味い!
そして食い辛い!!!
唐揚げが複数挟まっているので油断するとポロポロこぼれそうになるんです。゚(´つω•`。)゚。
ラーメンとハンバーガーでようやく充電満タン。
トッシーに迎えられて五稜郭タワーに入ります。
五稜郭タワーの展望台は有料なので行くかとても迷いましたが、こんな機会でもなければ中々訪れられない土地ですからね。ケチケチせず登ってみることにしました。お値段900円也。
これは中々壮観。
五稜郭もくっきり見えます。綺麗な形していますね。
全体が入りきらないのが口惜しいですね。広角レンズも持って上がるんでした(๑-﹏-๑)
五稜郭は1864年に完成という、まさに激動の幕末に築かれたお城です。
その背景には黒船来航による開国要求があります。
開港に先立って外国艦からの砲撃にも耐えられる要塞を北海道の玄関口である函館に築く必要がありました。そうして作られたのがこの星型の城郭『五稜郭』です。
この星型要塞のメリットは外敵に対して死角なく向かい撃てるところ。
星のどの頂点から敵が突撃して来ようと、他の頂点からの砲撃で対応できるというのがこの星型要塞の利点です。
そんな外国との戦争を想定して作られた五稜郭が使われたのは戊辰戦争という内戦だったのは何とも言えない気持ちになりますね。
副長……。
お馴染みのあのポーズで鎮座しております。
かの鬼の副長の最期はこの五稜郭。
撃たれて落馬し戦死したと伝えられています。諸説ありですが。
燃えよ剣はマジで面白かった……。
延期に延期を重ねただけあります。
下を見るとこの高度感。内臓がせりあがる様なスリル感じますね。
ラーメンやとラッピが見えています。
今日登る予定の函館山もしっかり見えますね。
函館山、山というより壁だ……。
下りて五稜郭に入りましょう。
五稜郭タワーは下から見ると折れそうで怖いですね。
先ほど五稜郭タワーの上から見えた箱館奉行所。
五稜郭のど真ん中にあります。
ここは蝦夷地における政治的中心地。
江戸幕府の管轄でしたが明治維新によって明治政府に引き継がれました。
箱館戦争では旧幕府脱走軍の本拠地です。
戦争後は再び明治政府のものとなりましたが役所として利用されることはほとんどなく、明治4年に開拓使本庁舎の札幌移転に伴い、奉行所庁舎を始め郭内のほとんどの建物が解体されました。
解体から140年を経た平成22年に復元されたものが今現在五稜郭内にある箱館奉行所です。
奉行所の裏。
なんだか金塊が埋まっていそうな場所もありました。
「とうとう俺たちで金塊を見つけちまったね」
さて、待ち合わせの時間が近づいてきました。
ライダーハウスに戻るとしましょう。
100万ドルの夜景を見に行こう
17時ギリギリにライダーハウスへ帰還。
だいちさんとも無事に合流し函館山へ向かいます。
もちろん自転車で( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
移動日でもないのに結構自転車走らせていますよ今日は。
昨晩お会いした原付で旅しているぽーりゃさんも一緒に函館山に参ります。
函館ロープウェイに現地集合でそこから一緒に頂上展望台を目指します。
到着! 100万ドルの夜景を見に行きますよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
函館山山頂まではロープウェイで行けるのですがせっかくなので自分の足で登っていきたいと思います。
それにしてもいい焼け方をしている夕日だ。
こりゃ夕景も大したものだったでしょうで函館山山頂は。
登山道もありますが暗くて危険なので舗装路をたどって登っていきましょう。17時以降は一般車両は通れないので歩きやすいでしょうし。というか私サンダルですし(。◔‸◔。)
しかし目論見はずれてバスやタクシーの出入りが多い!
危ないので各々ヘッドライトやスマホの懐中電灯で明かりを焚きながら進みました。
ロープウェイ山麓駅から山頂までは4kmくらいあるので結構時間がかかりますね。
1時間くらいは歩かないといけません。
これが登山道だったならば30分くらいで登れるらしいのですが。
時折見える函館の夜景は山頂から見なくても見事なものです。この時点で既に50万ドルくらいの夜景はあるのでは( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
50分ほど歩いてようやく山頂の明かりが確認できました。
体感時間は長かったですね。やはり変化のない舗装路をただただ登っていくというのは退屈で時間の流れが遅く感じます。
もうひと踏ん張り!
僅か1時間弱で普通の登山と同じくらいの「やり切った感」を味わえるとは……。
登頂!
函館山ロープウェイ 山頂駅です!
石造りの立派な標識だ。
ほほう!
これが100万ドルの夜景ですか!
勝手に名前負けスポットかと思っていましたがめちゃくちゃ綺麗じゃないですか。
苦労してここまで登ってきたかいがあったというものです( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
もとは兵庫県の六甲山から見える神戸の夜景の事を指す言葉である『100万ドルの夜景』。
六甲山から見える電灯の数を数えて、それらの電気代を計算すると100万ドル程になったことからそう呼ばれるようになった美しい夜景の代名詞です。
この函館の夜景もそれくらい美しいものですね。
まさに100万ドルの価値。
恋人と一緒に眺めたならば
𝓟𝓻𝓲𝓬𝓮𝓵𝓮𝓼𝓼……
良きシルエットをありがとう恋人たちよ。
全然悔しくありませんが?。゚(´つω•`。)゚。
夜景、堪能致しました。
下山はバスを使用。ロープウェイの半額ほどの値段で下りられますので。
500円くらいだったかな。
温泉に入って飯でも食いに行きますか!
と駐輪場に戻るとなんとチャリダーの自転車が停まっているじゃないですか!
まさかこんなところで旅チャリを見つけるとは。
これも何かの縁ということで私の名刺を荷台に差したところでちょうど持ち主が帰ってきました。すごいタイミングですね。やはり旅人は出会うべくして出会うのか……。
自転車の持ち主はナツカさん。
北海道の稚内スタートで鹿児島を目指す日本縦断の旅をされています。
今日で旅を初めて一週間ちょっとだとか。
ちょうど函館山から我々と同じように夜景を眺めていたのですね。
このあと温泉に行くという事なのでまたお会いするかもしれません。
会話は止まりませんが温泉が閉まるといけないのでほどほどにして解散です。
温泉到着。
激坂の多い函館。今日一日観光しただけでかなりの汗をかきました。
風呂が待ち遠しかったですよ。
明日には函館を出て本州の旅に入る予定だったのですが、だいちさんと風呂でのんびりしていたら「もう一泊しますか!」という流れになりました。今から明日の旅支度するのは億劫すぎて……(๑-﹏-๑)
私のだらけ切った日本一周を見よ……!
温泉を後にしら次は腹ごしらえ。夕食というような時間はとっくに過ぎてもはや夜食の時間帯。22:30ですからね今。゚(´つω•`。)゚。
それでも私たちは函館ラーメンが食べたかった。
函館塩ラーメンを食わねば北海道は出られません。
頂くとしよう……。
ごちそうさまでした。
米も注文して、餃子は3人でシェアしました。
非常に満足です。
非常にあっさりした口当たりの塩ラーメン。
スープがもっと飲みたいと思えるラーメンでした。
北海道は総じてラーメンのクオリティが高いですね。
良い店にしか入っていないだけかもしれませんが。
だいちさんと夜の函館をサイクリングしながらミートハウスへ戻ります。
良い街ですね函館。風情の塊ですよ。
もう一泊しますしゆっくりしていきましょう。
焦らない焦らない( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
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