2023-10-27
菩提の道場の遍路ころがしを越えて一気に札所間隔が狭くなってきました。四十六番札所『浄瑠璃寺』から始まる市内八ヶ寺はサクサクお参りが進みますよ。一日に打てる札所が多すぎてブログに書くのが大変になりますが泣。そんな今日の締めは愛媛の名湯『道後温泉』。遍路に温泉にと密度の高い一日でした。
浄瑠璃寺へは障害だらけ
道の駅『天空の郷さんさん』からおはようございます。経で遍路を初めて20日目になりました。現在45番まで打っているのでほぼお遍路の折り返し地点にいるわけですが、結願まではもう20日もかからないでしょう。これからは札所間隔が短くなってくるのでサクサク回れるはずです。修行の道場・高知の札所間隔が長すぎましたからね。菩提の道場・愛媛も四十五番までは大概でしたが(^-^;
菩提の道場の大変な札所はいったん終わったので気が楽です。今日は久万高原を下って里寺の札所を打っていくだけなので自転車旅としてもそれほど負荷はありませんし。
自動車道は通れないので引き続き国道440号線にお世話になります。三坂峠があるので登りが続きますが遍路ころがしと比べればはるかに楽なので文句は言わず大人しく漕ぎます。
さて、四十六番札所『浄瑠璃寺』に向かっている最中に、いつものGoogle君が私を困らせてきます。このルートなんですけど、
どう見ても自転車じゃ無理ですよね。゚(゚^ω^゚)゚。
Googleマップで道も見れないので、つまりはGoogleカーも入っていないということですから歩き遍路以外は通れないのでは?
仕方ありません。大人しく国道440号線に戻って三坂峠を越えていくとします。
それで困るのはGoogleマップが440号線からの浄瑠璃寺への徒歩ルートを表示してくれないこと。度々そういう事がありますが経験的におそらく通行止めというわけではないのですけどね。獲得標高がどれくらいかが一番知りたい情報だったりします。
見高峠のピークに到達。あとはもう下るだけなはず。
一生懸命貯めた標高が溶けてゆく……🥺 pic.twitter.com/7HbMY3aF63
— ほこから@山 (@fawtMT) October 27, 2023
ブレーキの制動力が弱いのであまりスピードは出せませんけどね。
途中、無人販売所でビタミン剤を購入。安すぎる。愛媛ではもう無人販売以外でみかんは買おうとは思いません( •̀ᴗ•́ )
国道440号の急坂急カーブの途中で浄瑠璃寺への分岐が出現。
スピードに乗っていると通り過ぎてしまいますね。
浄瑠璃寺への分岐は通行止めなのか微妙なパターン。
路肩が崩落しているが歩行者なら通れるようですね。チャリ、行ってみます。
道は狭く、枝や石が散らばっていて走りにくいですが通行不可能という程の荒れ方はしていませんね。
問題の崩落がどの程度のものかだけが心配です。もし通れなかったら激坂を登って戻らないといけませんから。
崩落現場発見。自転車なら余裕で通れます。しかし確かに車が通るとさらに崩れるかも分かりませんね。
チロロ林道レベルの崩落だったら引き返さないといけなかったので安心。
まともな道に出られました。浄瑠璃寺もすぐそこです。
【四十六番札所】医王山『浄瑠璃寺』
四十六番札所『浄瑠璃寺』到着。松山市内8ヶ寺の打ち始めであるこのお寺。ここから五十一番札所『石手寺』までは比較的サクサク回れるとのことです。体力的には楽できますがあまりにも一日にたくさんの札所を打つとブログが大変なんですよね。
マジで大変です
石段
浄瑠璃寺には山門はありませんが参道入口の石段左には正岡子規の句碑があります。句碑には「永き日や衛門三郎浄るり寺」という句。このあたりは遍路の元祖といわれる衛門三郎の故郷として知られています。衛門三郎、いい話なのか悲しい話なのか。
境内に入ると、お釈迦様が説法・修行されたという霊鷲山の石が埋め込んであるベンチが。
霊鷲山の石はこの模様の中に埋め込まれているとの事。確かに中心に何か石が埋まっていますね。ありがたそうなのでちょっと座っていきます。
他には佛足石というものも。
佛足石はこの足の模様を裸足で踏むと健脚と交通安全のご利益があります。登山がテーマのチャリダーにはありがたすぎる御利益。さっそく乗ってみます。御仏パワーが流れ込んでくるわい……
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
浄瑠璃寺、すごい沖縄を感じるんですよね。植生が南国。
ローソク台の形が祭壇っぽくて良い。
縁起は、708年に行基菩薩がこの地を訪れ、白檀の木で薬師如来像を刻んで本尊とし、さらに脇侍に日光・月光菩薩像と十二神将も彫造して安置したのが始まりと言われています。
本尊の薬師如来の別名「瑠璃光如来」にちなんで浄瑠璃寺と号しました。山号の医王山も薬師如来の別名「医王如来」が由来です。山号や院号が「医王」の札所の本尊は全部薬師如来なのです。
大師堂
807年に唐から帰国した弘法大師が荒廃していた堂宇を修復し四国霊場の一寺としました。
ここで久々に、般若心経を暗唱しているお遍路さんを見ました。お経をそらんじている人の隣にいると経本を見て読経するのがちょっと恥ずかしい気持ちになります。いつか私も般若心経を暗唱してぶちカマしたい……!
納経所
御朱印を頂いて参拝終了、
と行きたいところですが神社があったのでこちらも拝んでいきますか。こちらは一願弁天堂といって音楽、智恵、美貌、財宝、福徳に霊験があると伝えられています。一願という名前に倣って智恵を願っておきましょうか。あれこれお願いしてもブレるだけという事を一言地蔵で学びました。
NEXT☞ 四十七番札所『八坂寺』
次の札所までの距離:約0.9km
移動時間(徒歩):約15分
【四十七番札所】熊野山『八坂寺』
お次は超ご近所の四十七番札所『八坂寺』。
浄瑠璃寺をでたらもうすぐそこです。山門はいったん見送って左折し駐車場に向かいます。
駐車場の一角には「いやさか不動尊」が祀られています。ここでは毎年火渡り修業行われているというのですがコロナ禍でもやっているんでしょうか。
山門
自転車を停めたら山門へ。ここは橋と門が一体化した屋根付き門で、
天井には天女に囲まれた阿弥陀如来が描かれています。
参道を進むと右手に手水舎。
人感センサー付きドラゴンが水を吐き出します。
出水点が高い。
本堂へ上がる石段にも見どころがあって、真ん中あたりに賽銭箱がありますよね。
石段の下から10段目左端にある賽銭箱の隣にある石が
「救いの手」と呼ばれる九難を去る力を持つもので、足や眼病に霊験があるとされています。
石段を登り切ったら本堂ですが、浄瑠璃寺で納め札が尽きたので八坂寺本堂前で記入します。とりあえず20枚。無心になりますねこういう書取りは(怒)。
本堂
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていせい からうん
縁起によると寺の開基は修験道の開祖の役行者小角までさかのぼることから約1300年の歴史を持つ古刹であると考えられます。
701年に文武天皇の勅願によって八つの坂を切り開き道を作ったことから八坂神社の名が付けられたといいます。あるいはますます栄えるという意味で「いやさか(八坂)」だとも。
閻魔堂
大師堂へお参りする前に本堂との間にはある閻魔堂を参拝。
閻魔堂の両側には極楽の途、地獄の途があります。極楽には美しい浄土。
地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれています。六道の苦しみが描かれた絵。助けて地蔵菩薩さま。
地獄の「地」が取れていますね。
「地」を見つけましたが「の」はなんの「の」なのか。
大師堂
一時荒廃した八坂寺ですが815年に来錫した大師が再興し霊場と定めました。
また厳つい金剛杵が置いてありますね。
五鈷杵のようですが、中央の刃の周囲に六本の刃がついているので七鈷杵かと思いました。触れると悪運や因縁を防ぐことができるという事なので撫でておきましょう。南無大師遍照金剛。
納経所
参拝完了。まだ12時半なんですけどすごく「午後3時の空」だ……。
NEXT☞ 四十八番札所『西林寺』
次の札所までの距離:約4.4km
移動時間(徒歩):約1時間10分
別格霊場第九番『文殊院』
次の札所も4kmちょっとと近所。その途中に別格霊場があるので寄っていきましょうか。
その名も別格霊場第九番『文殊院』。お遍路の開祖とも言われる衛門三郎の菩提寺です。
衛門三郎については浄瑠璃寺でも少し触れましたね。
この地の強欲な庄屋だった衛門三郎は、修行中の弘法大師の托鉢を断って追い払います。その後どんどん衛門三郎の子どもが亡くなり、あの時追い払った僧が弘法大師であったことを悟ります。大師に詫びるために四国を回り始めたのがお遍路の始まりとされています。ザックリ。
このお寺は衛門三郎の邸宅があった跡に創建されたといわれています。
番外霊場『札始大師堂』
文殊堂から遍路道を1.5kmほど進むと今度は番外霊場『札始大師堂』が姿を現します。
四国巡礼に出発した衛門三郎がこの地に立ち寄った時、老松の下に庵があり、小さな大師像が残されていました。すでに大師が出発したことを知った三郎は、木札に名前を書き残し、大師を追いかけたといいます。このことが「納札」の始まりとされることから「札始大師堂」と呼ばれています。
次の札所に着くまでにどれだけ見どころがあるのか。ササっとは抜けられませんね四十七~四十八番区間は。
【四十八番札所】清滝山『西林寺』
四十八番札所『西林寺』到着。
山門
西林寺の門前にも正岡子規の句碑があり、そこには「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」と刻まれています。
境内には手水舎、鐘楼、本堂、大師堂が整然と並んでいます。
本堂
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
聖武天皇の勅願により行基菩薩が国司・越智宿祢玉純公とともに徳威の里(松山市小野播磨塚あたり)に堂宇を建立し、十一面観世音菩薩像を安置したのが始まりです。
大師堂
807年に弘法大師が四国巡礼の際にこの寺に逗留。寺を現在の位置に移したといいます。
納経所
曇ったり晴れたりで天気が少し心配ですね。
御朱印をもらって次に行きますか。
庭が綺麗なのでついつい写真を撮って時間を使ってしまいます。
NEXT☞ 四十九番札所『浄土寺』
次の札所までの距離:約3.1km
移動時間(徒歩):約45分
【四十九番札所】西林山『浄土寺』
札所間隔は狭いのですが交通量が多くなってきて進みにくくなりました。安全第一で行きましょう。
四十九番札所『浄土寺』の駐車場に到着。いよいよ一雨来そうで怖い。
駐車場からは信号を渡ったりと少し歩きます。
道にゆとりを感じないエリアですね。ぼやぼやしていると事故りそう。
山門
山門でちょっとビビりましたね。
え、西林寺!? さっき行ったよね!?
札所の順番間違えたかと一瞬焦りました。
【四十八番札所】清滝山『西林寺』
【四十九番札所】西林山『浄土寺』
山号と寺号が同じ西林なので混乱しましたね。
浄土寺にも佛足石があります。こちらは登れませんけど。
今日も手をめちゃくちゃ洗う日だ……。
水を吐く龍が丸っこくてかわいい。
本堂
本尊:釈迦如来
真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
寺伝によれば聖武天皇の娘である孝謙天皇の勅願によって開創され、行基菩薩が刻んだ釈迦如来像を本尊として祀りました。聖武天皇の時代から変わりましたか。ずっと聖武天皇勅願行基開創パターンだったのでなんだか感慨深いですね。
浄土寺は踊念仏の開祖、空也上人ゆかりの地としても知られます。空也上人と言えば立像がめちゃくちゃ有名で、見たことのない方はいないのではないのでしょうか。首から鉦を下げ、鹿の角のついた杖をもち、そして最も特徴的な、口から吐き出すように取り付けられた六体の阿弥陀仏のあの像です。
空也上人が四国に立ち寄ったのは平安時代中期の事で、浄土寺には3年間ほど滞在したといいます。その間に村人に説法を行い、寺を離れる際に懇願されて自らの像を刻みました。現在、空也の彫像の内、国が重要文化財として指定しているのは、六波羅蜜寺、荘厳寺(近江八幡市)、月輪寺(京都市右京区)、そしてここ浄土寺が所有する四体のみです。空也上人像は本堂の厨子に安置してあります。
大師堂
開創時は法相宗だった浄土寺でしたが、後に弘法大師が来山して真言宗に改めて再興しました。
納経所
ちょっとパラついてきたんですけど。゚(゚^ω^゚)゚。
と思ったら御朱印をもらっている間に晴れて訳が分かりません(。◔‸◔。)
NEXT☞ 五十番札所『繁多寺』
次の札所までの距離:約1.7km
移動時間(徒歩):約30分
【五十番札所】東山『繁多寺』
五十番札所『繁多寺』到着。浄土寺からは2km弱ですが道が狭く交通量が多いので注意が必要です。
山門
札所もとうとう五十番台。
繁多寺は淡路山という丘の中ほどに建っています。
お隣には県の工業用水。小高い丘からは街が一望出来たりと、バリエーションに富んだ眺望が得られます。
手水舎の龍ももう何度見たか分かりません。
こちらは繁多寺の見どころの一つ、鐘楼です。何の変哲もない鐘に見えますが見るべきは天井。
天井には「二十四孝天井絵」が描かれています。二十四孝とは24人の孝行息子を表した中国の故事です。孝行エピソードが24つ集められた、言ってしまえばオムニバスドラマ。時代もあるのでしょうが「それ孝行なん?」みたいなお話もチラホラあります。私が好きなのは「貧しくて蚊帳を買うお金が無いので自分が裸になって寝ることで親を蚊にかませない男」の話ですね( •̀ᴗ•́ )
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
繁多寺も、浄土寺と同じように孝謙天皇の勅願によって行基が開山し、薬師如来を刻んで開いたお寺です。天皇より祭具として「幡」を賜ったことが繁多寺の寺号の由来という説があったり、当時は光明寺という寺号だったという話があったり。
説鎌倉時代には時宗の開祖・一遍上人が繁多寺で修業しました。1239年に道後温泉近くの宝厳寺に生まれた一遍上人は10歳で出家し、35歳ですべてを捨て全国行脚。踊念仏を広めたことから「遊行上人」と呼ばれるようになります。
大師堂
弘仁年間(810~824年)に弘法大師がこの地を巡錫した際、この寺を四国霊場と定め、寺号も繁多寺に改めたとされます。
江戸時代には徳川家の帰依を受けることになり隆盛。大寺院として栄えました。この広い境内を見ると往時の繁栄ぶりが偲ばれますね。
鐘楼の前にある歓喜天堂には、第四代将軍家綱の念持仏である歓喜天像が祀られています。祈れば夫婦和合、商売繁盛に御利益があるそうです。とりあえず拝んでおきます。
納経所
御朱印をもらったら15時半。あとひとつ打てそうな打てなさそうな……。
自転車を土地に戻ったらジト目ネコがこっちを見ていました。私の自転車ではネコがたむろしがち。
時間が無いというのに動物を見ると撮りたくなってしまいます。じっとしていてくれるとあればなおさら( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
NEXT☞ 五十一番札所『石手寺』
次の札所までの距離:約2.8km
移動時間(徒歩):約40分
【五十一番札所】熊野山『石手寺』
五十一番札所『石手寺』は松山の中心部にあります。ファミマの駐車場から撮った写真ですがもう石手寺は写っているんですよね。パッと見よくわからないですけどそれだけ街に溶け込んでいるお寺です。
駐車場前は仏像だらけでパニック状態。
山の上にも立っていますし。゚(゚^ω^゚)゚。
こちらは西安大師像。これは高さ16メートル・顔の長さ2.4メートル・筆の長さ3メートルという弘法大師の像です。身体は大師が修行した唐(中国)の西安市の方角、顔は仏教発祥の地であるインドの方角を向いています。
道路を渡って石手寺へ。お寺ってもっと幹線道路から何本か小路をはさんで徐々に喧騒から離れて静かになっていった所にある印象なんですけど、石手寺はその境目が無いんですよね。グラデーション無しで左車道!歩道を挟んだら右にすぐお寺!という感じで。
それがお寺の領域に入るといきなり落ち着いた気分になるのですごいことです。一種の結界ですねこれは。
手水舎で手を洗ったらまず目に入るのがこの衛門三郎の像。
両手をついて見つめる先には
弘法大師像があります。
お遍路の開祖・衛門三郎の伝説については先に触れた通り。お遍路21回目に焼山寺付近で力尽きた三郎ですが、今際の際に弘法大師が現われます。「望みはあるか」と尋ねる大師に三郎は「来世も河野家に生まれ功徳を積みたい」と言い残します。願いを聞き届けた大師は路傍の石に「衛門三郎」と刻み、三郎の手に握らせました。
翌年、河野家に生まれた男の子は手を握ったまま生まれ全く開きません。そこで安養寺の住職に加持を頼んで祈祷によって握った手を開いてもらうと「衛門三郎」と書かれた石が出てきたのです。この石を寺に納め、その時に寺号も石手寺と改めました。
屋根付きの参道。境内はとても大きいです。
石手寺名物のやきもち。気になりますがもう16時回っているので買い食いしている暇はありません。
ここを抜けたらようやく山門です。
山門
大草鞋が目を引く石手寺の山門。
この山門は国宝に指定されています。
草鞋にめっちゃ一円玉が食い込んでいるんですけど集合体恐怖症(検索しない方がいい)の方はこのビジュアル大丈夫なのでしょうか。
山門を抜けて境内へ。見どころは多いのですが17時には納経所も閉まるのでまずは本堂、大師堂と優先的に回っていきましょう。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ビッグ五鈷杵が目印の本堂。寺号の由来は先に述べた三郎伝説の通りです。寺の縁起としては、728年に伊予の豪族・越智玉純が熊野十二社権現を祀り、勅願所に定めたことが始まりです。
大師堂
大師堂は夏目漱石や正岡子規など多くの文化人の落書きがあったことから「落書き堂」とも呼ばれています。探してみましたが落書きは見つけられませんでした。
大師堂の側には詞梨帝母天堂。子授け石と言って、この石を持ち帰ると子授けや安産祈願にご利益があると言われています。無事に子供が産まれたら、その子の名前と生年月日を書き、新しい石を添えて返すという習わしです。子育観音の底抜け柄杓っぽい。
お次は三重塔。728年に建てられ、1073年に再建されました。
塔の周囲には四国八十八ヶ所の「お砂撫で」が設けられています。
お砂ふみを設けている札所は多いですけど、お砂撫でというのは初めて見ました。石手寺ならではですね。
納経所
納経所で御朱印をもらった時点で16時半。そこまでギリギリの参拝でもなかった、か。
まさか6ヶ寺も打つことになるとは思いませんでした。急に札所間隔が短くなってビックリしますね。
NEXT☞ 五十二番札所『太山寺』
次の札所までの距離:約10.7km
移動時間(徒歩):約3時間
愛媛のド名湯『道後温泉』
石手寺から徒歩圏内にある道後湯之町。
めちゃくちゃ人だかりができていたので何か芸人がライブでもしているのかと思ったら
カラクリ時計の17時の時報を待っている人々でした。
時計版がひっくりかえってお人形さんが登場。
他の扉からも人形が出てきて
時計台が伸びてと変形ラッシュ。手の込んだカラクリで見ごたえがありました。ここら辺の名所なのかもしれません。
そんな道後湯之町といえばーー
道後温泉ですよね!
日本書紀にも登場する道後温泉は日本最古ともいわれる温泉です。夏目漱石の坊ちゃんの舞台として記憶している方も多いでしょう。私もその口。坊ちゃん大好きなんですよね。
その道後温泉本館に来てみたらなんというか”アート”に囲まれていて驚きました。そういう催しかと思ったら道後温泉本館はいま改修工事中でこれは作業場を囲うテントのようです。道後商店街側がテントで覆われているのですがこちら側の道後温泉が見たかったですね。まあこれも今だけしか見られないプレミアムな状態とも言えますか。
さっそく入浴と行きますか。全くもって「さっそく」ではなかったのですが。道後温泉って整理券が配られるレベルの人気なんですね。17時ちょっと過ぎくらいに本館についたのですが、配られた整理券は18時半入浴の券でした。せっかく来たので時間まで待って今入館です。
脱衣所はカメラ使えないので写真では説明できませんがそこまで広くはないですね。私が入ったのは霊の湯という所です。浴場はめちゃめちゃ綺麗でした。お湯も極楽そのもの。
愛媛の中学校に赴任になった坊ちゃんが「同僚は気に食わねぇし、生徒はアホだし、愛媛なんかクソ田舎だけど道後温泉だけはイイ!」って毎日入りに来ていた気持ちが分かりました。「湯の中で泳ぐべからず」の札はありませんでした。
温泉から上がるとすっかり夜。
日がある時より映えますね。
まだ19:15ですけどもう整理券の配布が終了していました。温泉の整理券が配布終了ってよくわからない状況ですよね。そもそも温泉で整理券とは? という感じでしたし。さすがの人気です道後温泉。
未だ長蛇の列。早いうちに入浴できてよかった。
自転車に乗って移動する前に付近をぶらぶら散歩しますか。
そういえば温泉に入る前にここで「TikTokで見ました!」と話しかけられましたね。TikTokやっていないのに。誰かが私を撮った動画がTikTokで流れているのかもしれません(。◔‸◔。)
良い湯に浸かって、湯上りの散歩、最高の贅沢でした。道後温泉はイイ!( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
神ネカフェ『バンビーズ』
そうしたら自転車に乗って移動です。旅人の味方ラ・ムーで食料類を買ったら、
本日はネカフェ泊。道後温泉に浸かった後にテントという気分にはなりません。あとこの愛媛のローカルネカフェであるバンビーズは以前泊まった時めちゃくちゃ居心地が良かったので、ふたたび訪れた際は絶対泊まろうと思っていたのです。
キャラメルポップコーンに
黒酢、リンゴ酢
タピオカドリンクまでおいてあるネカフェなんてそうそうないですよ。この無料フード・ドリンク類の充実さに惚れました。
レンジがあるのもありがたい。完璧なネカフェですバンビーズ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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