【401日目】お遍路、最初にして最大の難所、十二番札所『焼山寺』

2023-10-10

「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」とはお遍路における阿波の難所を示したものです。その焼山というのが今日打つことになる十二番札所『焼山寺』です。標高938mの焼山寺山、その8合目あたりにある焼山寺は四国霊場では2番目の高さにある山岳霊場です。ヒルクライムは、避けられないという事……!

目次

体調に違和感を感じます

西麻植児童公園からおはようございます。さすがに日が無い時は冷えるようになってきました。本格的な冬になる前に旅が終わるか心配になってきた今日この頃です。

心配といえば、なんだか喉が痛いんですよね。それに誘発されるかのように体のだるさも出てきてしまって……。もしかして風邪? いや風邪ならまだいいですが。最悪コロナやインフルエンザとなったら非常に手間がかかります。

幸い熱もなくちょっと違和感を感じるくらいで。こんな旅をしていると体調を崩す要因はあり過ぎて何が悪かったのかは特定できません。それでも喉が痛いというのはかなりレアケースなので何か普段とは違う事をしているはずです。

最近した普段とは違う事……。

まさか……。

ほこから

般若心経か?

普段と違う喉の使い方しているのは般若心経の時くらいしか心当たりがありません。まだ上手く読めないので大きな声を出すのが恥ずかしくってくぐもった声で読んでしまうんですよね。それが喉に良くないのかもしれません。早く上手くなりてェ……(向上心)。

体動かすのは問題ないのでさっそく十一番札所へ向かいますか。

【十一番札所】金剛山『藤井寺』

十一番札所『藤井寺』への案内板が出てきました。遍路道は歩きと車でしばしば分かれます。

山門

十一番札所『藤井寺』は三方を山に囲まれた渓流の清らかな仙境です。

柄杓の並びが美しい手水舎だ。

本堂

本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

本尊は平安時代末期の仏師・経尋の作で、国の重要文化財に指定されています。制作年・作者が明らかな基準作として貴重なんですよね。年号が分かるものとしては四国最古の仏像になります。像内部の墨書銘から「仏師経尋、尺迦仏、久安4年(1148年)」などが読み取れることから元々は釈迦如来として制作されていたものも、後に薬壺を持つ薬師如来に作り替えたと推測されます。なんか、仕事のしがらみを感じますね。納期、仕様変更……。

もとは真言密教の道場として隆盛を誇りましたが天正の兵火(1578〜1780)の兵火によって全山を焼失し衰退しました。四国の寺社、天正の兵火で焼かれまくってますね。1674年に臨済宗の南山国師が入山して臨済宗として再興しました。

1832年に再び火災に遭い、1860年に再建されたのが現在の伽藍なのですが、本尊は二度の火災を免れたこともあって厄除け薬師として信仰を集めました。台風で落ちなかったリンゴを「落ちないリンゴ」として縁起を担いで受験生に贈る、みたいなやつだ。

本堂の天井には龍が描かれています。本堂の中を覗き込むように天井を撮るのもどうかと思ったのでこんな写真です。描かれているんだなぁという事だけ分かればOK。龍には雲龍という名前がついていますが、龍は雲を呼び雨を呼ぶという事で、守り神として寺が火災に遭わないように書かれているとのことです。このお寺は何度か燃えていますから切実な話だ。雲龍は鳴き龍のようで、手を叩くと響くようです。

大師堂

弘法大師は42歳の厄年にこの地を訪れ、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を刻み、堂宇を建立しました。また現在の境内から200mほど山中に入った岩の上に金剛不壊という堅固な護摩壇を築いて一七日(一週間)修法し、その堂宇の前に五色の藤を植えました。これが金剛山藤井寺の由来になっています。

納経所

納経所では三番札所あたりからずっと顔を合わせている歩き遍路のお兄さんとまた会ってお互い笑ってしまいました。なんで私は歩き遍路の方と同じペースなのか( ´艸`)

面白いのが六番札所でツーショットを撮った外国の方ともペースが同じなのでここでもまたお会いしたんですよね。歩き、自転車、車でなんでみんなペースが同じなのよ。偉いのは歩き遍路のお兄さんですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

また次の札所で再会しそうです。

しかし次の札所『焼山寺』までの道が「遍路ころがし」と呼ばれる、初心者お遍ラーに立ちふさがる最初の壁なんですよね。歩き遍路の方々は藤井寺境内から始まる焼山寺を歩いていきます。

NEXT☞ 十二番札所『焼山寺』(遍路ころがし)

次の札所までの距離:約12.9km
移動時間(徒歩):約6時間

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