2023-10-28
松山市内8ヶ寺という札所ラッシュも終わりを告げ、ステージを今治市に移します。今治市は今年の5月に石鎚山に登るため訪れた街。まだ前回走ったエリアには入りませんがとりあえずは五十四番札所『延命寺』を参拝です。
バンビーズは良い
愛媛の神ネカフェ、バンビーズからおはようございます。とても居心地が良いところなのですが愛媛に4店舗しかないので中々利用する機会はありません。ここから離れるのが惜しい……。
しかしでなければお遍路は結願できず。五十二番札所を目指して出発します。
石手寺から次の札所までは10kmほど。しかし住宅地や市街地を進むので道が狭く気持ち良くは進めません。
【五十二番札所】瀧雲山『太山寺』
やや上り坂に五十二番札所『太山寺』の一の門が見えてきます。
駐車場からまたしばらく歩かないといけないタイプの札所です。
山門
鎌倉時代に建立されたという仁王門。この門を潜ってから本堂までが長いんですよね。
先に納経所が現われて、本堂はここからさらに250m以上先です。
ここからが斜度がきついところ。゚(゚^ω^゚)゚。
突き当りの手水舎を右に折れれば本堂への石段。
なかなか古めかしい手水舎ですね。
山の水場という印象。
石段を登るとようやく三つ目の門です。
本堂
本尊:
真言:
門を通ると目の前には立派な本堂。
この本堂は入母屋造り本瓦葺きで国宝です。
九州の豊後国(大分県)から商いのために大阪へ向かっていた真野長者は暴風雨に遭います。日ごろから信仰していた観音様に祈願したところ、山から光が差し、嵐は静まって助かりました。近くの高浜の岸で救われた後にその光が差した瀧雲山に登ってみると十一面観音を祀った小さなお堂があったので、長者はこの恩に報いるため豊後に戻って大工を集め、再び高浜に上陸後、たった一夜で堂宇を建立しました。これが「一夜建立の御堂」の伝説。現本堂は三代目になるそうです。
その後、聖武天皇の勅願によって行基が十一面観音像を刻み、その胎内に真野長者が発見した小さな観音像を納めて本尊としたといいます。
大師堂
孝謙天皇の頃に寺は七堂伽藍を備えるほど隆盛します。弘法大師が晩年に訪れ、寺を法相宗から真言宗に改めました。
後冷泉天皇、後三条天皇など歴代天皇が奉納した十一面観音もあり全部で7体の観音様が安置されています。観音様は本当は観世音菩薩という名前が正式なもので、仏の名前はすべてその仏の誓願を表すもの。「世音」というのは世の中の音、つまりは人々の願いや祈りを表します。百聞は一見に如かずというように、観世音菩薩は人々の願いを聞くだけでなく見てくれるのです。そうして聞き届けるのが観世音菩薩の誓願という事になりますね。そんな本尊が七つあるのでその御利益は計り知れません。しかも十一面ですもんね。見られまくりです。
納経所
観音パワーを浴びたら納経所へ。納経所もまた遠いんですよね。御朱印をもらったら自転車まで戻ります。
NEXT☞ 五十三番札所『圓明寺』
次の札所までの距離:約2.6km
移動時間(徒歩):約35分
【五十三番札所】須賀山『圓明寺』
太山寺の一の門を出たら県道183号線を東にまっすぐ行くと
山門
道路沿いに五十三番札所『圓明寺』の山門が現われます。町並みに溶け込んだ山門は観音寺当たりを思い出します。
境内のど真ん中に中門がぽつんと立っているのが珍しいですね。
毎回毎回、そんなに手水舎にコメントすることないので困っています。なのに絶対手水舎の写真は撮っているんですよね。
本堂
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていせい からうん
寺は聖武天皇勅願行基開創パターン。阿弥陀如来と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を刻んで本尊として安置しました。当時の寺は和気浜の西山の海岸に位置し、七堂伽藍を備えるほどの大寺院でしたが、戦乱などで荒廃し、江戸時代になって土地の豪族・須賀重久が現在に位置に再興しました。
本堂の鴨居の右上には龍の彫り物があり、行いが悪いものに対しては眼が光ると言われています。賽銭箱から身を乗り出すようにしないと彫り物が良く見えなかったのでじっくり観察するのはやめておきました。他の遍路さんもいて、堂内をパシャパシャ撮るのも気が引けたので彫り物の写真の写真を撮るに留めます。眼は光りませんでした。
大師堂
大師堂でお参りした後は左隣にある、
キリシタン灯籠を拝んでいきます。キリスト教の取り締まりが厳しい江戸時代初めのものとされています。よく見れば浮き彫りにされているのはマリア像でしょうか。当時は命がけの四国遍路。その中にはキリスト教徒も紛れていたでしょうね。元々この地方にはキリスト教徒が多くおり、圓明寺では隠れキリシタンの礼拝を黙認していたようです。
納経所
キリスト教のお話にも触れることがあるとは思いませんでした。宗派に囚われない懐の広さを感じる札所です。
NEXT☞ 五十四番札所『延命寺』
次の札所までの距離:約34.4km
移動時間(徒歩):約9時間50分
半年ぶりに戻ってきた今治市
松山市内8ヶ寺も打ち終わり再び札所間隔は広くなります。ますは今治市を目指して瀬戸内海沿いをひたすら北上。
島影を眺めながら海沿いを走るのはいい気分です。
今治はまだまだ。
ガソリン(コーラ)を給油。
コカ・コーラの500ml缶が100円は最近じゃなかなかお目にかかれません。
めちゃくちゃ裏磐梯みたいな山みつけて笑いました。いつのまにか福島に来ていたようです。
いや沖縄だ!!! 色んな県の思い出が刺激されますね今治( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
国道196号線をただただ進みます。
3時間ほど漕いで今治に突入!
5カ月ぶりの今治ですよ。前回は石鎚山に登るためにしまなみ海道から来たんでしたね。
この今治を指すブルーラインを何度見たことか。゚(゚^ω^゚)゚。
「戻ってきたぜ今治」と懐かしがっていると次の札所の案内が出てきました。
今回は登山ではなくお遍路のために今治に来ています。
【五十四番札所】近見山『延命寺』
五十四番札所『延命寺』到着!
山門
仁王門の奥に駐車場があるタイプのお寺は、自転車を停めた後に
歩きで仁王門前にもどってくぐらないといけないので手間ですね。個人的なこだわりですが。
お次は山門。もともとは今治城の城門だったようですが、城が取り壊される時に門だけこのお寺に譲り受けたそうです。
境内に入り手を洗ったら本堂へ。
本堂前には宝冠をかぶった珍しい不動明王像。延命寺の本尊も不動明王です。
この不動明王は大日如来の王冠を戴き、大日如来と合体しているという珍しい像。度重なる火災から逃れているので「火伏せ不動尊」と呼ばれています。ヒンドゥー教におけるシヴァ神とも言われる不動明王は大日如来の化身でもあります。大日如来の特徴が顕れているという事は半分変身が溶けているってことですか? 男の子はそういうのが一番好きですよ。
本堂
本尊:
真言:
聖武天皇勅願行基開創パターン。不動明王を刻んで本尊として安置しました。不動明王が本尊となっている札所はここと、青龍寺、石屋寺の三つだけです。
大師堂
後に嵯峨天皇の勅願で弘法大師が再興し「不動院圓明寺」と名付けたといいます。聞いたことある名前ですよね。そう、このお寺は元々五十三番札所『圓明寺』と同じ寺号だったのです。当然参拝者は混乱するので、明治には混同を避けるため、江戸時代からの俗称であった「延命寺」に改めました。本尊が延命地蔵菩薩でないのにも納得。
納経所
御朱印を頂いたら16時半。今日はここで打ち止めでしょうかね。
NEXT☞ 五十五番札所『南光坊』
次の札所までの距離:約3.4km
移動時間(徒歩):約1時間
延命寺でお茶のお誘い
延命寺のお参りを終えて、寝床をどうしようかと駐車場でスマホを弄っていると、参拝客のおじいさんに声をかけてもらいました。近所に住むお遍路さんや旅人にお接待をしている方で、旅の話やお遍路の話をさせてもらいました。話が弾んで、近くの喫茶店でおしゃべりしないかと誘って頂き、
紅茶をお接待していただきました。色んなタイプのお接待を受けすぎで申し訳なさすら感じます。本当にありがとうございました。
一時間ほどおしゃべりを楽しんだら喫茶店でお別れです。喫茶店の外に出たら18時過ぎですっかり真っ暗。近くのマックスバリュで食料調達したら近所の公園で野宿と行きますか。近所にマックなどの電源が無いとブログの執筆が無いので早いうちから休めて体には優しいですね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
よろしければ以下のバナーをクリックしていただけると大変励みになります。
↑日本一周バナー
ここまで読んでくださってありがとうございます。
よろしければ以下のバナーをクリックしていただけると大変励みになります。
↑日本一周バナー
コメント