2023-10-19
高知市街地から離れてきてまた札所間隔が広がってきました。修業の道場のボーナス区間も終わりが近づいてきましたね。一日に3つも4つも札所を回れなくなってきました。そんな本日参拝したのは清瀧寺と青龍寺。かたや登坂かたや石段とバリエーションの違う”登り”を味わわせてくれました(メ゚皿゚)
モルゲンロート新仁淀川大橋
新仁淀川大橋の下からおはようございます。モルゲンロートかよというような朝日の赤さ、すばらしい目覚めです。
フラットな地面かつ人通りのない橋下は最高ですね。自転車を立てかけるような場所が無いのが惜しいですが多くは望むまい。
【三十五番札所】醫王山『清瀧寺』
橋から出たら国道56号線に復帰。
三十五番札所『清瀧寺』は清滝山の中腹にあります。
近づいてみると麓から境内が見えますね。はい登坂確定札所。
登り口からしてこの傾斜。自転車は置いて歩き遍路モードで行きますかね。
途中には土佐名物のブンタン畑が広がっていると聞きましたがこれの事でしょうか。黄色い実がついていますもんね。
10分ちょっと歩いて清瀧寺に到着。山門は?
階段の下に目をやるとそれっぽいものが見えます。車道から上がってきたので山門を飛び越えてしまったようですね。帰りに寄りますか。
手水舎どれ!?
いつもの畑氏の柄杓も無いのでここが手水舎!という確信が持てませんね。水が出ているのはここですがあまりにも自然派過ぎる……。ここで清めるしかない、か。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
境内に入ってまず目につくのはビッグ薬師如来像。縁起によると、723年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を刻み本尊としたことが始まりです。聖武天皇の勅願パターンではない……! 当時の寺号は「影山密院釋本寺」と呼ばれました。カッコ良。
薬師如来像は台座を含めると高さ15m。昭和8年、製紙業者による寄贈で台座の中で88段の戒壇巡りができるといいます。公衆電話ほどの人が入れるようなスペースがありましたがあれが受付だったのかもしれません。誰もいなかったので戒壇巡りは体験できませんでしたが。
大師堂
弘仁年間(810〜823年)に弘法大師が訪れた際、本堂の北の山中で五穀豊穣を祈願して修行をし、満願の日に金剛杖で壇を突いたところ、清水が瀧のようにあふれ出して池ができてことから現在の寺号に改めたといいます。
この水は麓の田畑を潤したり、高知の特産品である「土佐和紙」の原料となる「三椏」を晒すのに使われたりと、利用されてきた水です。
ここは弘法大師の十大弟子のひとりである真如にもゆかりのある場所で、札所左手にある「不入の山」には真如の逆修塔があります。逆修塔とは死後の冥福を祈るために生前に建てる石塔婆の事で、ここは今でも聖域として立ち入り禁止となっています。
納経所
納経所に参りましょう。
山の上にあるのでやたらと見晴らしがいいですね。境内にある喫煙所とは思えません。というか焼山寺でも思いましたがお寺は煙草に寛容ですね。
山門
最後に、行きに通れなかった山門を見ていきましょう。
こちらが清瀧寺の山門。見どころは龍の天井画です。
山門の天井に描かれているのはどこから見ても目が合うという八方睨みの龍。天井に描かれた龍、八方睨みがち。
龍は水清きところに棲むといいます。清瀧に龍の図とは良い取り合わせですよね。
NEXT☞ 三十六番札所『青龍寺』
次の札所までの距離:約13.9km
移動時間(徒歩):約4時間
「しんどい橋」を渡る遍路道
次の札所は少し手間。10kmちょっとの道なのですがお参りした後はまたUターンしないといけないので。
まずは昨日、イートインでブログを書いていたサニーマートで昼食を買っていきます。
三十六番札所へはこの宇佐大橋を渡っていきます。お寺が太平洋に面した横浪半島の突端にあるんですよね。
かつては半島への道行は渡し船に頼っていましたが、1973年に宇佐大橋が開通。かつては波が荒れれば船が渡せず足止めを食らっていた遍路達も今は歩いて横浪半島に渡れるようになりました。
地元では「しんどい橋」と呼ばれる宇佐大橋。お遍路でここまで歩いてきた人にとってはなんてことない橋かも分かりませんが、地元の人にとっては全長850mの宇佐大橋は普段使いするには「しんどい」と思う事もあるのかもしれもせん。
チャリからするとプチしんどいですね。自転車が通れるくらい歩道に余裕がある時点で浦戸大橋よりはマシですが。はるかに。
橋を渡ったらそのまま県道47号線を進んでいきます。
【三十六番札所】独鈷山『青龍寺』
この坂ぜったい登りたくない!!!
と思った瞬間右折を示す三十六番札所『青龍寺』の案内板が出てきて助かりました。ちなみにまっすぐ進めば三十七番札所『岩本寺』方面に進めるのですがアップダウンがひどいので青龍寺を打ったら宇佐大橋まで引き返します(。◔‸◔。)
駐車場到着。
野良猫についていって青龍寺に参ります。
本堂までは170段の急な石段を登らねばなりません。納経所と
手水舎はこの石段のたもとです。しかし手水にしては本堂と距離が開き過ぎでは? 上にもあるのではないかと疑っています。なぜかというと畑美枝子氏の柄杓が無いので。
山門
石段の途中に山門。普通は山門を潜って境内という作りなのでなんだか新鮮です。
左を見ると三重塔。
はるか彼方に感じる本堂。
石段は陰で、本堂が日に照らされているの良いですね。昇天している感じがします。
やっぱりねーっ!
畑氏の柄杓で手を洗います。
本堂
本尊:波切不動明王
真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
青龍寺の本尊は波切不動明王で真言は
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
です。虚空蔵菩薩よりも言いにくいの来ましたね。めちゃくちゃ噛みます。
大師堂
弘法大師が唐(中国)に渡る際、暴風雨を鎮める為に現れた不動明王が宝剣で波を切り裂き難を救ったという伝説から青龍寺の不動明王は波切の名を冠しています。伝説過ぎるでしょう。こういった縁起あって青龍寺は、海の仕事に関わる人々が海上安全の祈願に訪れる寺として知られます。また、世間の荒波を鎮めるという意味でも広く信仰されています。
入唐翌年の805年に唐の青龍寺にて恵果和尚より真言密教の秘宝を授かった大師は、その恩に報いるため日本にも青龍寺を建てようと考え(分かる)唐から東の空に向かって独鈷杵を投げます(なんで!?)。いきなり独鈷杵遠投されると何が何だか分からなくなりますね。どうやら独鈷杵が落ちた場所が青龍寺を建立するのに最適な土地だという理屈のようです。大師が帰国後、この地で老松の上に留まっている独鈷杵を見つけ、嵯峨天皇に許しを得たのち、ここに青龍寺を建立したといいます。伝説にマジレスなんて無粋なんですけど「肩強っ」と思わずにはいられませんね。多分不思議パワーで飛ばしたのでしょうけども。山号の独鈷山の由来はこのお話です。
納経所
石段を下りてたもとの納経所で御朱印を頂いて参拝終了です。
NEXT☞ 三十七番札所『青龍寺』
次の札所までの距離:約58.5km
移動時間(徒歩):約16時間40分
アップダウンを避けるためUターン
先に触れたように県道47号線を進むのは過酷なので再び宇佐大橋を渡って県道23号線に復帰します。橋まで戻る前に来る途中も目に入った竜の浜でちょっと休憩。
時刻は13時前。また昼飯はコンビニになりそうです。
休憩が終わったら宇佐大橋を渡って県道23号線に復帰。とりあえず今日は須崎市を目指します。
一時間半ほど走って須崎の市街地に到着。ここまで来ればゆっくりできる場所もいくつかありそうです。
我らがガストを発見したので遅めの昼食を食べてブログを書きましょう。寝床も探さないといけませんねぇ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
よろしければ以下のバナーをクリックしていただけると大変励みになります。
↑日本一周バナー
コメント