2023-11-3
涅槃の道場はお遍路最後の道場。当然一番盛り上がるのは八十八番札所でしょうが、それ以外にも大トロといえる部分は存在します。それが七十五番札所『善通寺』。ここは弘法大師が生まれたお寺なのです。しかも今日は空海まつりという年に一度のフェスティバル。どんなタイミングで訪問してるんですか。
弘法大師生誕地へ
東原児童遊園からおはようございます。最近は晴れ続きなのでインナーテントだけで夜を越せて非常に撤収が楽です。
四国は広いわりに体感、人通りの少ない公園が多いですしね。旅人にとってはありがたいことです。
さあ今日は涅槃の道場の大トロ部分ともいえる札所から始まります。善通寺市に建つその札所は弘法大師が生まれたとされるお寺。その名は街の名前にもなっている七十五番札所『善通寺』です。善通寺駅から南西に真っすぐ進むと見えてきます。
【七十五番札所】五岳山『善通寺』
山門
善通寺。山号院号寺号ぜんぶ詰め込んだフルネームは五岳山誕生院善通寺といいます。五岳山は寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に、誕生院はここで弘法大師が生まれたことに、そして善通寺は大師の父の諱である善通(よしみち)に由来します。
境内に入ると右手には立派な五重塔。善通寺の五重塔は高さが約43mあり、国内の木造塔として3番目の高さを誇ります。善通寺の五重塔の面白いところは、唐の中心を通る心柱が地面から浮いていること。心柱は五層目の屋根裏で鎖を使って吊り下げられいるだけで基礎の礎石とは接していないのです。マジック?
五重塔があるのは四国霊場では竹林寺・本山寺・志度寺そして善通寺の四ヶ寺だけなんですよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
善通寺の境内を囲む塀の前には等身大の五百羅漢像がずらり。雲辺寺の五百羅漢と同じように表情豊かで楽しい像です。いや、雲辺寺はもっとはっちゃけていたか。
それにしても人が多すぎます。善通寺が四国霊場最大級の札所だというのを鑑みても多すぎます。本堂に向かうのも一苦労です。
何かと思ったら今日はちょうど空海まつりなるものを行う日だったようです。11月3日は弘法大師空海の父である佐伯善通の命日で、毎年祭りを行ってるとのこと。どんなタイミングで善通寺に来てしまったのか。
金堂(本堂)
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
善通寺の本堂は金堂と呼ばれます。縁起は、弘法大師が唐から帰国した後、先祖と父母を弔うために生まれ育った屋敷を寺に変えたことが始まりとされています。師である恵果和尚が住職をしていた長安の青龍寺を模し、七堂伽藍を備えたお寺として建立しました。
本堂の周りに掛け軸が広げられているんですけどこれは一体……御朱印を自慢している?
金堂の香炉、祭りで人が多いせいで線香も多すぎて火事みたいな煙が出てて笑いました。煙たすぎる。
読経は本堂の中で行います。中には巨大な薬師如来像。鎌倉時代の仏師・雲長の作と言われています。元々は本尊は弘法大師の刻んだ薬師如来像でしたが、金堂の火災によって破損。その破損した部分が現在の本尊の胎内に納められてあるといいます。
金堂の中で読経する人も多くて、めちゃくちゃ不協和音になっているのがおかしくて笑ってしまいました。「ーー故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切フハッw」なりますからね。
お次は大師堂へ。善通寺は東院と西院に別れており金堂は東、大師堂は西です。
御影堂(大師堂)
西院の前には立派な仁王像。この仁王像も運長の作と言われています。
相変わらず善通寺市内の手水舎は花が添えられていて綺麗。
善通寺の大師堂は御影堂といいます。御影堂のある誕生院は弘法大師空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院です。
ここも香炉が凄い煙だ……。
堂内は外陣、内陣、中殿、奥殿とあるのですが撮影はダメと注意書きがあったので残念。御影堂の地下からは約100mの通路を行く戒壇めぐりができます。南無大師遍照金剛と唱えながら進むと弘法大師とのご縁が結べるとの事。
納経所
納経所も西院にあります。鐘楼のすぐ近くです。特別御朱印がもらえるようですが納経帳に余分なスペースはそんなにないので止めておきます。遍路用の300円のやつで十分。ちなみにこの朱印の見本に書かれている「真魚(まお)」は弘法大師の幼名です。生誕の地でもらえる御朱印としては最適ですね。
昼時のマクドナルドかよ!。゚(゚^ω^゚)゚。
納経所でこんな列に並んだのは初めてです。さすが善通寺、空海まつり。
無事に御朱印を頂いたら獅子舞を見て善通寺を後にします。とにかく人が多い。
NEXT☞ 七十六番札所『金倉寺』
次の札所までの距離:約3.8km
移動時間(徒歩):約1時間
番外霊場『仙遊寺』
次の札所も近いのですぐ行けるのですがこの番外霊場『仙遊寺』はぜひ寄りたいところ。ここは弘法大師が真魚と呼ばれていた幼い頃のエピソードにゆかりのある場所です。
ある時、真魚が泥をこねて仏やお堂を作って遊んでいるところに、朝廷の役人が通りかかりました。すると役人は真魚を見るなり馬から下りて合唱礼拝しました。役人が言う所には「あの子を守る四天王が見えた。神童に違いない」とのこと。以来、この霊跡を仙遊ヶ原と呼び地蔵菩薩を安置して祀ってきたといいます。
今日もお昼はうどん。香川ですもの
時刻は11時を少し過ぎた頃。早めのお昼ご飯としてうどんを食べようと思います。昨日食べたうどんがとても美味しかったので今日も食べたくなりました。
こがね製麺所という所に来ましたが
形態はほぼ丸亀製麺ですね。
美味しかったんですけど昨日食べたうどんほどインパクトは感じませんでした。丸亀製麺と食べてるものとあまり変わらないような。チェーン店だから仕方ないことかもしれません。
【七十六番札所】鶏足山『金倉寺』
七十六番札所『金倉寺』到着。
ここは四国霊場のお砂ふみができる場所です。
お砂ふみの施設を実際に見るのは初めてですね。マスのように砂が置いてあるのか……。
お砂ふみがある建物の方から境内に入ったら山門がありませんでした。
山門
一旦出て入り直します。個人的なこだわりです(。◔‸◔。)
金倉寺はあの陸軍大将・乃木希典とゆかりがあります。ここは善通寺に赴任することになった乃木将軍が宿舎として利用していた寺なんですよね。乃木将軍は善通寺第十一師団と丸亀歩兵第十二連隊の両方の監督をしなければならなかったので、立地の面からこの金倉寺を宿舎にすることになったのではないかと考えられています。当時からお遍路の文化はあるわけですから、時には将軍自ら納経に応じることもあったようです。スゲー……(꒪꒳꒪)
あと金倉寺は四国霊場では珍しい天台宗のお寺です。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
金倉寺は弘法大師の甥で天台寺門宗の開祖である智証大師が生まれたお寺です。その智証大師の祖父・和気道善が弘法大師の生まれた年に建立したのがこの金倉寺。当初は開基の名をとって道善寺という寺号でした。後に唐から帰国した智証大師が青龍寺を模して伽藍を造営し、薬師如来を刻んで安置。寺号を金倉寺と改めます。叔父さんと同じような事していますね。
大師堂
弘法大師が三歳の智証大師を見て「智慧童子」と言う程に智証大師は聡明でした。
五歳になると智証大師の前に訶利帝母(鬼子母神)が現れて「あなたの仏道を守護する」と告げたという伝説があります。その姿を刻んで祀ったのが訶利帝堂です。訶利帝母はもともと他人の子どもを食らう鬼でしたが、お釈迦様に一番下の子を隠されて子を失う母の苦しみを知り改心した女神。子授けや安産に霊験があります。
納経所
御朱印を頂きました。乃木大将に対応してもらいたかったぜ。
NEXT☞ 七十七番札所『』
次の札所までの距離:約3.9km
移動時間(徒歩):約1時間10分
【七十七番札所】桑多山『道隆寺』
道隆寺へは金倉寺から北上して、古くから港町として栄えたという多度津町に入ります。
多度津町は少林寺拳法発祥の地。中国じゃないのって? そっちは少林拳です。
山門
ラッキーセブン七十七番札所『道隆寺』。道隆寺の開祖は、金倉寺を建立した和気道善の弟である道隆です。和気兄弟の寺が続きます。
山門を潜ると参道には観音像がズラリ。西国三十三ヶ所を始めとした全国の観音霊場、子安観音像など255体が立っています。
とうとう手水舎には柄杓がなくなってお花だけになりましたね。゚(゚^ω^゚)゚。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
道隆寺を創建した和気道隆。縁起では、道隆が桑畑で怪しく光っていた桑の木に矢を放ったところ書生の悲鳴が響きます。駆け寄って見てみるとその女性は乳母で、悲観に暮れた道隆は桑の木に薬師如来を刻み、小堂に安置して供養しました。どういう話なんですこれは(。◔‸◔;)
大師堂
その後、道隆の子である宅成は、唐から帰国した弘法大師に懇願して道隆の作った像を納め仏とした薬師如来像を彫像してもらいます。宅成は弘法大師から受戒され二代目住職となり、七堂伽藍を建立。その時に寺号を父の名に由来した道隆寺に改めます。三代目の住職は弘法大師の弟である真雅。四代目住職は智証大師が務めるなど高僧が相次いで歴任し寺勢は大いに栄えました。こんなのもう仏教界のアベンジャーズでしょう。
大師堂前にはお遍路の開祖・衛門三郎が弘法大師に許しを請う像が立っています。せめて目を合わせてくれ大師様……!
納経所
まだ13時少し過ぎ。どんどん参りましょう。
NEXT☞ 七十八番札所『郷照寺』
次の札所までの距離:約7.2km
移動時間(徒歩):約2時間
【七十八番札所】仏光山『郷照寺』
うどんシティ丸亀市に突入。うどんは弘法大師が中国から小麦を持ち帰って作り方を伝えたという説もありますね。讃岐平野の小麦と瀬戸内海の塩、讃岐うどんの完成です。
金倉川を越えたら県道21号線を東に進んで七十八番札所を目指します。
丸亀城をチラ見して
山門
七十八番札所『郷照寺』に到着。これまた珍しい時宗のお寺で、四国霊場としては唯一です。
鐘楼と駐車場、その上に石段を上がると本堂、大師堂です。
本堂
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていせい からうん
郷照寺の縁起は725年、行基菩薩が阿弥陀如来像を刻んで本尊として安置。仏光山道場寺と名付けたことから始まります。御詠歌にも
踊りはね
念仏申す
道場寺
ひょうしをそろえ
鉦をうつなり
と詠まれており、ここからも以前は道場寺いう名前であったことが伺えます。
御詠歌の「踊り」や「念仏」というの踊念仏の事。1288年に時宗の開祖である一遍上人が逗留して踊念仏の道場を開き教えを広めました。そのためこの寺は真言・時宗が共存する特異な霊場となりました。
寛文年間(1661~1673年)に高松藩主松平頼重によって再興され寺号を郷照寺に改めました。
香炉はつぼのようになっているおかげで他の線香に手が当たりそうで線香を差しづらいですね。ナンとか焼く窯みたいです。
大師堂へはまた階段。香川の遍路道は平坦なところが多いのですが、たびたびこうした階段や坂が出てきて披露します。「ここまでやってきたんだからそろそろ楽できるだろ」という甘えが出てきているのかもしれませんね。
大師堂
807年にに弘法大師が訪れ、四国霊場として定めたのち、自身の像を刻んで厄除けの誓願をしました。このことから郷照寺の大師像は「厄除うたづ大師」として信仰を集めています。
万体観音洞
大師堂を参拝したら順路の矢印に従って
万体観音洞へ参りましょう。
これは壮観ですね。
万体観音洞は本尊である聖観世音菩薩を中心に、ミニ観音像約およそ一万体が安置されているのです。
すごい空間でした万体観音洞。
納経所
御朱印を頂いて14時ちょっと過ぎ。あと二つは札所を打てそうです。
NEXT☞ 七十九番札所『天王寺』
次の札所までの距離:約5.9km
移動時間(徒歩):約1時間40分
【七十九番札所】金華山『天王寺』
天王寺の名は、平安時代末期に保元の乱で政権争いに敗れ、この地で亡くなった崇徳上皇に由来します。
山門
天王寺の入り口は山門ではなく、白峰宮という神社の鳥居です。しかも三つ鳥居じゃないですか。摂津国一之宮『坐摩神社』でもみましたね。三つ鳥居といえば代表格が大和国一之宮『大神神社』なんですけどこちらはコロナのせいで拝観できなかったのでした。
天皇寺のすぐ側にあるのが崇徳上皇の霊を弔うため建てられた白峰宮です。こちらは上皇の亡骸が荼毘にふされた白峰という場所に由来します。天皇寺の御詠歌は
十楽の
浮世の中を
たずぬべし
天皇さえも
さすらいぞある
ですが、これは崇徳上皇を慰める歌。都を追われて亡くなった崇徳上皇の無念さが偲ばれます。
左に本堂大師堂があります。
手水舎は水が流れておらず水たまり状態。口周りをすすぐ所作は控えめにしておきますか。
本堂
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
境内は狭く密集しているので間違えて大師堂の香炉で本堂の献香をしてしまいました。ダメというわけではないんですけどね。
寺の縁起は、ここからちょっと離れたところにある「八十場の泉」という所があるんですけど、この泉抜きには話ができないので後で泉に行った時に語るとします。
大師堂
大師堂も参拝して、
白峰宮
白峰宮もお参りしたら、
納経所
御朱印を頂いて八十場の泉へ。
NEXT☞ 八十番札所『国分寺』
次の札所までの距離:約6.6km
移動時間(徒歩):約1時間50分
蘇りの八十場の泉
八十場の泉そばにある弥蘇場地藏堂にきました。
堂内に不審者がいて笑ってしまったんですけどこれは何?( ´艸`)
このキリンめっちゃゆるくて良いですね。
キリンに気を取られてしまいましたが本題はこちら八十場の泉でした。
その昔、日本武尊の息子である讃留霊皇子は八十八人の兵士と共に瀬戸内海を荒らしていた巨大な魚を退治に行きましたが、この魚の毒に倒れてしまいます。その時、横塩明神が八十場の泉の水を持ってきて飲ませ全員回復したという伝説があります。
この地を訪れた行基が薬師如来を本尊とした寺院を建立。そこへ後に来山した弘法大師が霊感を得て、付近の霊木に十一面観世音菩薩を刻み、寺を妙成就寺という名前に改めて現在の七十九番札所の位置に移しました。
先に触れたようにこの地で崇徳上皇は崩御。上皇の亡骸を、朝廷の沙汰を待つ約20日間八十場の泉の水で冷やし腐敗を抑えました。亡骸はまるで生きているように見えたといいます。二条天皇は上皇の御魂鎮護のために崇徳天皇社を造営。その別当寺として後嵯峨天皇が妙成就寺を指定します。明治の廃仏毀釈で崇徳天皇社が白峰宮に、妙成就寺が天皇寺となって引き継がれたのが七十九番札所『天皇寺』の縁起です。
讃留霊皇子を救い、崇徳上皇の亡骸を守った八十場の泉。霊泉と呼ぶにふさわしいでしょう。
【八十番札所】白牛山『国分寺』
とうとう来てしまいました札所八十番台。もう一の位が繰り上がることはありません。八十八番まで打ったら結願。お遍路が終わってしまいます。不思議な気持ち……。
しかしまだ終わったわけではありません。結願まで気を抜かずに行きますよ。
山門
という事で八十番札所『国分寺』。四国霊場四つ目、そして最後の国分寺です。
ヌケのいい参道ですね。
面白いのが境内にある写し霊場。各札所の本尊が刻まれた像がしっかり八十八あります。
お遍路のおさらいですか? アニメ最終回近くで挟まれる総集編回じゃないですか。
ドキドキとワクワクの一番札所『霊山寺』。
チャリダーころがしにキレた十二番札所『焼山寺』。思い出が溢れてきますね。
ミニ八十八ヶ所は回っているとあっという間に時間が無くなりますね。先にお参りを終わらせましょう。
手水舎が枯れておる……!
本堂
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく
この国分寺も聖武天皇が仏教を普及させるために全国に配置した国分寺の一つ。勅命を受けた行基菩薩が十一面観世音菩薩を刻んで堂宇に安置し開創したと伝えられます。その後、弘法大師が本尊千手観音像を修理し、四国霊場に定めました。
讃岐には国司長官の讃岐守としてあの菅原道真が着任していました。道真公が見た当時の国分寺は現在よりもはるかに広い寺域をっていたとされます。七重塔などは現存していれば現在の日本一の高さである東寺五重塔よりも高かったはずだとか。このフレーズ、菩提の道場の国分寺でも聞きましたね。
大師堂・納経所
ここの大師堂は納経所と一体になっています。
四国ではよく猫に会う。
16時半過ぎに大師堂入り。ローソクなどはもう回収され始めていました。そろそろ閉まる時間ですものね。手早くお参りも済ませます。やっぱり般若心経暗記できているっぽいですね。読経がとても早く終わります。
御朱印を頂いたら納経所が17時に閉まっても関係ないので落ち着いて境内を見て回れます。この鐘楼もエピソードだらけで面白いんですよ。
境内にあるこの梵鐘は奈良時代の作とされる四国最古の梵鐘です。梵鐘については伝説と実話が一つずつあるんですよね。
伝説は大蛇にまつわるもので、昔、讃岐の百々渕(どどがふち現塩江町)という池に大蛇が棲んでおり近隣の人々を悩ませていました。そこで別次八郎という弓の名人が国分寺の千手観音像に「一矢当たれば千矢の霊験あれ」と祈願して淵に行き、鐘をかぶって現れた大蛇を見事退治したといいます。
実話は、江戸時代、この鐘の音を気に入った高松藩主生駒一正公が城に持ち帰って起こった怪異。持ち帰った鐘は全く鳴らず、それどころか城内外で疫病が流行り始めます。ついには一正公自身も病床に伏す事になりました。すると毎晩、鐘が枕元に立ち「もとの国分へ帰りたい」と泣くのです。この病は鐘の祟りに違いないと確信した一正公は鐘を国分寺に返し祟りは収まったといいます。「いやこれも伝説だろ!」と思いましたが寺にはこれが事実だという証文が現在も残されているとのことです。
最後に国分寺を出る前にミニ八十八ヶ所を見ていきましょうか。印象深かった札所だけ写真に撮っていきます。手こずらされた札所とも言います。
なんでそんなところに建てちまったんだよこと金剛福寺。
岩屋寺と合わさって凶悪大寶寺。
半分石鎚山登山横峰寺。
香川入り初っ端から遍路ころがし雲辺寺。
そして現在いる国分寺ですね。
このミニ八十八ヶ所もお砂ふみと同じで全て回ればお遍路をしたのと同じだけの功徳があるとされますが……これ以降のミニ札所は見ないでおきましょう。ここまで来たらお遍路の功徳は自らの足で頂いてくるとしますよ( •̀ᴗ•́ )
そう、札所も残り八カ所です。
NEXT☞ 八十一番札所『白峯寺』
次の札所までの距離:約6.5km
移動時間(徒歩):約2時間
国分寺町で行動終了
国分寺最寄りのガストでブログタイム。
国分寺町から離れると寝床に困るんですよね。それも次の札所が厄介な位置にあるせいです。それについては明日語りますか。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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