2023-10-29
5カ月前に訪問した今治市内の札所を打ちまくります。徐々に知った景色が出てきて再訪の懐かしさを感じながらのお遍路。札所間隔も短いのでスイスイ進みますね。ただ五十九番札所まで打ったところで足が止まります……。
【五十五番札所】別宮山『南光坊』
乃万公園からおはようございます。昨日は延命寺を打ったあとあまり移動せずに近くの公園で野宿しました。次の札所も近いんですよね。延命寺からは6ヶ寺もの札所がまたまた市内に集中しています。
山門
一発目は県道38号線沿いにデカデカと山門がそびえ立つ五十五番札所『南光坊』です。名前からして特異ですね。四国霊場の内「坊」がつく札所は南光坊のみです。
山門は鐘楼門。
このひもを引っ張ると鐘が撞けるカラクリになっています。
他にも面白いのが門を守るのが阿吽の仁王像ではなく四天王像という事ですね。
車道が貫いている境内。街の中にお寺があるというより、町とお寺が溶けあっているような印象を受けます。
山や森に囲まれているような閉塞感はありませんね。
本堂
本尊:大通智勝如来
真言:なむ だいつぅ ちしょうぶつ
本尊『大通智勝如来』!? 初めて聞きましたよ。お遍路も五十五番まで打っていると札所の本尊もだいたい知っている仏様になって来るので特に新鮮さもないんですけど、ここにきて新キャラ登場するとは思わなかったのでテンションががりました。大通智勝如来が本尊の札所は南光坊だけです。
真言も書籍などでは「なむ だいつぅ ちしょうぶつ」と紹介されることが多いのですが、本堂前には大通智勝如来の真言として大日如来の真言である「おん あびらうけん ばざら だとばん」が掲げられています。
大通智勝如来は珍しい仏で、御真言について経典などを調べても真言が説かれていません。この仏は『妙法蓮華経』に説かれる如来で、「如来形の大日」とも言われることから大日如来(法華経ver)とも解釈できます。このことから大通智勝如来の本質は大日如来ですが姿のみが違う同体異形と考えられます。故に真言を大日如来の真言で統一することになったのです。
って南光坊さんがFacebookで言っていました!
これが決まったのが今年の九月なんですよ。真言を統一するってかなり歴史的な事じゃないですか。すごい年にお遍路してしまいましたね。
大師堂
寺の縁起は、文武天皇の勅願によって、伊予水軍の始祖と言われる越智玉澄が大三島に航海安全の神として「大山積明神」を勧請し24坊の別当寺を建立。そのうち8坊を、海を渡らずとも参拝できるようにとこの今治に別宮を建てて遷したのが始まりです。いや大三島の大山積明神って
伊予国一之宮『大山祇神社』じゃないですか!
まさかお遍路がそこにつながるとは思いませんでしたね。面白すぎる。
今治に別宮があるとはいえ、明治の神仏分離前までは大山祇神社が本来の札所という事で海を渡って大三島まで巡拝する遍路も多かったといいます。廃仏毀釈の折に大山祇神社の本地仏である大通智勝如来をこちらに遷して本尊となったという経緯があります。
納経所
思いがけず旅のテーマである一之宮ともつながった南光坊。とても興味深い札所でした。
NEXT☞ 五十六番札所『泰山寺』
次の札所までの距離:約3km
移動時間(徒歩):約45分
【五十六番札所】金輪山『泰山寺』
次の札所『泰山寺』もわずか3kmの道のり。すぐ到着するのですが少し寄り道してバンビーズの写真をパシャリ。この今治店が私が初めて利用したバンビーズなんですよね。
ということで完全に前回うろついたエリアに突入しました。知った景色が増えましたね。
懐かしむのもほどほどに五十六番札所『泰山寺』へ。
泰山寺へ続く道は細い路地。
派手さはないお寺ですけど綺麗です。
山門がありませんがここが入り口であっていますか? と心配になるつくり。
境内は左右に広く見晴らしが良いです。
本堂
本尊:地蔵菩薩
真言:おん かかかび さんまえい そわか
本堂の写真を撮り忘れていて、本当、お前……
バンビーズの写真撮っている場合じゃないでしょうが……泣
大師堂
縁起としては弘法大師が治水工事を行ってこの地に住む人々を救った話があります。この辺りは梅雨の時期になると蒼社川が氾濫して田畑が水びたしになったり、人が流されたりと大きな災害に発展していました。この水害を知った大師は人々を指導して堤防を築き、河原に建設した壇で土砂加持の秘宝を行ったところ延命地蔵を感得し、治水祈願を成就しました。大師はその延命地蔵の姿を刻み、堂宇を建てて安置。それが泰山寺の始まりとされています。弘法大師、井戸掘ったり、堤防作ったり水のトラブルに強すぎますね。
水害を起こした蒼社川は今も泰山寺の近くを流れています。多くの人命を奪ったことからこの川は「人取り川」と呼ばれて恐れられていたそうです。
納経所
まだ11時前。昼飯前にもう一つ打っておきましょうか。
NEXT☞ 五十七番札所『栄福寺』
次の札所までの距離:約3.1km
移動時間(徒歩):約45分
【五十七番札所】府頭山『栄福寺』
いま話に上がったばかりの蒼社川にぶつかったら川沿いに西に進んでいくと五十七番札所への案内板が目に入ります。
五十七番札所『栄福寺』は最後の上り坂が急で少し息が上がりましたね。
しかしここも山門が無いとは。寂しい。
境内はそこまで広くなく、堂宇の密度が高いですね。
本堂
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていせい からうん
栄福寺は9世紀初頭に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が開基したといいます。この近海では海難事故が多いと知った大師は、山号にもなっている府頭山にて護摩法を修すると、満願の日に阿弥陀如来が光を放って出現しました。その姿を本尊として刻み堂宇を建立したといいます。
この寺はめちゃくちゃ人慣れしたネコがいますね……ฅ^•ω•^ฅ
大師堂
859年に行教上人が宇佐八幡の分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するため、瀬戸内海を航行中に海が荒れてこの地に漂着。そのとき府頭山を見ると山容が山城の男山と似ており、阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあることからも縁を感じて勝岡八幡宮を創建しました。明治になるまでは神仏習合の寺だったのです。八幡宮は神社ですからね。
宇佐神宮も石清水八幡宮も行っているのでめちゃくちゃ面白い縁起でした。
納経所
あとは納経所で御朱印を頂くだけなのですが、
このネコ納経所まで入って来てめちゃくちゃ飛び回るのでビックリしましたね。私はいいんですけどツアーガイドさんなんかはツアー客の納経帳などを一手にあつめて台に置いていたりするのでネコが納経帳に触れそうになるたびにてんやわんやしていましたฅ^•ω•^ฅ
NEXT☞ 五十八番札所『仙遊寺』
次の札所までの距離:約2.4km
移動時間(徒歩):約40分
【五十八番札所】作礼山『仙遊寺』
次の仙遊寺までは3km弱ですが侮ることなかれ。山寺なんですよね仙遊寺。はい、お察しです。
かなり傾斜がきつそうなのでとても積載車で登ってはいられません。という事で歩き遍路モードになります。
なんだか立派な東屋側に自転車を停めさせてもらいましたが、この休憩所はなかなかいいですね。
この井戸も水が出ますし自炊道具を持っているなら一夜過ごせそう。
休憩所を後にして歩き出します。
自転車を牽いて来ていたらキレ散らかしていたかもしれませんが、
歩きならばこんなに素敵な散歩コースはありませんね。
山門
緑あふれる遍路道に時間を忘れて歩き続けます。気づいたら山門です。
しかしここからがキツイところ。境内までは半分登山道の様な道を行きます。
大師像が見えてきたらゴールです。
下の休憩所から約20分の軽登山。お疲れ様でした。
境内にバスケットゴールなんかありますよ。近所の子が遊び場にするにはアクセスが大変すぎる気もしますが(^-^;
汗をかいたので手水舎の水が気持ちいいです。
本堂
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく
仙遊寺は天智天皇の勅願により伊予の越智守興が開基したとされます。
本尊の千手観音菩薩像は龍宮からやってきた龍女が彫ったと伝わります。川を伝って仙遊寺に上がってきた龍女が一刀三礼して観音像を彫り上げたことから山号が「作礼山」となったというお話です。弘法大師もしょっちゅう一刀三礼して色んな札所の本尊彫ってますが?(大師の強火オタク?)。
寺号の由来は、かつてこの地で修行していた阿坊という仙人のお話に由来します。阿坊が修行している間この寺は栄え続け七堂伽藍も整っていましたが、あるとき忽然と阿坊が姿を消してしまいました。それ以来、このお寺は仙人が遊ぶ寺「仙遊寺」と呼ばれるようになったとのことです。
大師堂
その後、荒廃した仙遊寺を弘法大師が再興します。江戸時代に再び荒廃した仙遊寺を再興したのは宥蓮上人で、上人は明治時代に日本最後(と言われている)の即身成仏として入定した高僧です。
標高300m近いところからの景色は見晴らしが良くて素晴らしいですね。
納経所
御朱印を頂いたら宿坊もちょっと覗いてみましょう。
山寺にあるとは思えない綺麗な建物。岩屋寺でも思いましたね。よく山の上にこれだけの施設を建てられるものです。
参拝が終わったら今度は車道から下りていきます。
今治の街を一望。しまなみ海道を渡ってきた記憶が蘇ります。
相棒も特に荒らされることなく無事回収。まだ13時前、良いペースで回れていますね。
NEXT☞ 五十九番札所『国分寺』
次の札所までの距離:約6.1km
移動時間(徒歩):約1時間45分
【五十九番札所】金光山『国分寺』
南光坊、泰山寺、栄福寺、仙遊寺と内陸部へ向かって南下してきた遍路道は再び海に向かいます。次の札所は菩提の道場の「国分寺」。聖武天皇によって全国に建立された国分寺の一つです。四国四県にもそれぞれ存在して、発心の道場の国分寺と修行の道場の国分寺は既に参拝済みですね。
自転車を停めたら
少し歩いて境内に向かいます。
最近山門が無いとことが多いですね。
こちらが国分寺の境内。かつては4km四方の七堂伽藍を備えた大寺院とのことですが諸行無常。現在はこじんまりとしていますが整然としていて居心地が良いです。
国分寺では弘法大師と握手ができます。大師の追っかけ(遍路)やってる身からしたらありがたいことですね。ガッチリ握っておきました。
大師像の隣には薬師のつぼというオブジェが。もうこれだけで本尊が薬師如来だと分かります。
手水舎にも薬師のつぼがありますね。霊水か……?
本堂
本尊:薬師瑠璃光如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
縁起は聖武天皇勅願行基開創パターン。この地は伊代の国府がおかれた場所で、当初は高さが60mもある七重塔があったことが遺跡から分かるようです。現存する木造建築として最も高いものが京都の当時にある五重塔(約55m)ですから往時の隆盛が偲ばれます。
平安中期以降は藤原純友の乱、源平合戦の戦火、細川頼之の兵火、そしてお馴染み天正の兵火にて四度焼かれた国分寺は、1689年の「四國遍禮霊場記」では「茅葺の小堂だけで心が痛む」と書かれるほど荒廃します。別の国分寺でも似た話を聞きましたね。
大師堂
弘法大師がこの寺で長く滞在し、その時に五大尊明王の絵像を残しました。また、大師の弟子である真如も法華経の一部を写経し奉納しています。
納経所
納経帳への記入めっちゃ早かったですね。人の納経帳の取り扱いも素早い。粗雑と言い換えることもできます(メ◔皿◔。)
さて時刻はまだ14時半ですが今日はここで打ち止めです。次の札所へはとても今日中には参拝できないので。
NEXT☞ 六十番札所『横峰寺』(遍路ころがし)
次の札所までの距離:約27km
移動時間(徒歩):約8時間30分
次なる札所を目指して西条市へ
目の前に現れるは四国山地。その中で最も標高の高い山が石鎚山で、私が5カ月前につまみ食いした山です。
次の札所『横峰寺』はその石鎚山の中腹にある遍路ころがしなのです。億劫すぎますね……。
横峰寺へのアタックは明日なのでとにかく今日は休みましょう。
休息には快適な睡眠が不可欠。そしてそれはふかふかのシュラフなしには実現できません。
という事で湿ったシュラフをコインランドリーで乾燥させます。10分100円で十分乾くので、100円を払う価値はありまくります。
強制乾燥 pic.twitter.com/CTVG0rcYZH
— ほこから@山 (@fawtMT) October 29, 2023
最近シュラフの保温性が下がってきている気がするんですよね。たぶん汚れがダウンに染みついて乾かしてもフワフワにならないのが問題なのでしょう。しかしシュラフを洗濯するとなると浴槽が必要ですからね。予定ではあと一カ月もかからない私の旅ですからコインランドリーでだましだましやっていくつもりです。今はそれでもいいですけどもっと長く旅をすることがあればとてもお粗末な対応ですよねぇ……。
乾燥が終わったら日のあるうちに寝床の当たりをつけておきます。
良さそうな公園を見つけたら近くのマックでブログを書きます。本日は西条市で行動終了です。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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