【275日目】かつてはこの神社にのみ許された「大社」の呼称。出雲国一之宮『出雲大社』

2023-6-6

神宮と言えば伊勢神宮。大社と言えば出雲大社。日本最古の歴史書である「古事記」や「日本書記」にも創建の話が載っている出雲国一之宮『出雲大社へ本日は行って参りました。今や「大社」を冠する神社はいくつかありますが、かつては出雲大社にのみ許された呼称。その独占も納得の威厳に満ちた神社でした。そんな出雲大社に火おこしの道具を取りに来させる熊野大社とはいったい……。

目次

出雲国一之宮『出雲大社』

昨晩は道の駅 大社ご縁広場で就寝。中国山地越えで疲れていたのと近くにマックなどの書斎(私が勝手に言っているだけ)が無かったのでブログはサボってしまいました(๑-﹏-๑)

目の前のローソンにコンセント付きイートインスペースがあったので少しでも書こうかと思ったのですがなんとこのイートイン、椅子が無いんですよ。゚(゚^ω^゚)゚。

イートイン封鎖されているわけでもなかったのに謎です。

大社ご縁広場はベンチも広くて快適に眠れましたね。営業中に来られれば足湯も堪能できるようなので旅人にはおススメです。

すぐ近くの出雲阿国像を見たら出発。歌舞伎の創始者といわれる安土桃山時代の女性芸能者で、出雲大社の巫女でもあったという伝説で有名です。

移動をはじめうとすぐに出雲大社宇迦橋大鳥居が見えます。

宇迦橋大鳥居は出雲大社への参道の入り口である宇迦橋(うがばし)前にかかる鉄筋コンクリート造の明神鳥居。現在橋の架け替え工事中のようです。

宇迦橋大鳥居を越えてから出雲大社勢溜の大鳥居までは直進。

という事で出雲国一之宮『出雲大社到着。一般的には「いずもたいしゃ」と呼びますが正式名称は「いずものおおやしろ」

古代より杵築大社(きずきのおおやしろ)と呼ばれていた神社で、1871年に出雲大社と改称しました。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であり、大社と言えば出雲大社のみを指す言葉だったのです。

勢溜の大鳥居ごしの宇迦橋大鳥居

戦後、旧官幣大社や旧国幣大社など大社格の神社で大社を名乗る神社が出現しはじめ、今では大社と言えば単に同名の神社のとりまとめ役くらいの意味になっています。それでも出雲大社以外で大社を「おおやしろ」呼べる神社は一つとしてないので大社の中でもやはり別格の神社であると言えるでしょう。

旧暦10月の異称を神無月と言いますが、これは全国の神々が出雲に集まり、諸国に神がいなくなるためです。ゆえに出雲では神無月の時期を神在月と呼びます。この話だけでも出雲大社は格が違いますね( ´艸`)

まあ出雲の一之宮は出雲大社以外にはありえませんよねーー

と思ったら出雲国には熊野大社という一之宮も存在します。ここもかね。

祭神は「天の下造らしし大神」といわれる国造りの大国主神。大国主神は別名をたくさん持っています。そのうちの一つが大己貴命(おおなむちのみこと )日向国一之宮『都農神社』の主祭神ですね。

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大国主は縁結びの神である「だいこくさま」として多くの人から篤い崇敬を受けています。ただ〝七福神〟の中の「大黒天」とは、正確には別の神様です。

銅鳥居

日本神話によると出雲大社は、大国主神が天津神に国譲りを行う条件として天孫が住むものと同じくらいの大きさの宮殿を建てることを求めて造営されたのが始まりとされています。

天津神

高天原から天下った神の総称

国譲りの話は個人的にかなりウケたので少し解説させていただきます。

国譲りって?

国譲りとはそのまんまの意味で、大国主神が作り上げた美しい豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)が欲しくなっちゃった天照大神に国をあげちゃうお話です。

豊葦原中国

高天原と黄泉国の間に存在するとされる場所で、すなわち地上世界のこと。中津国とも言い、大国主神が、少名毘古那神と協力して作り上げた国。

天照大神が「豊葦原中国(以下中津国)は私の子どもが納めるべき」と言い出し、度々使者を遣わせて国を奪取しようとします。そんなジャイアンみたいな神様でしたっけ?

最初に遣わされたのが天菩比命(あめのほひ)という神なのですがこの神でまず笑います。中津国に降り立った天菩比命ですが大国主神の素晴らしさに感服して家来になり、以後三年間、天井に何の報告もしなかったのです。最悪の駐在員過ぎる。懲戒や懲戒( ´艸`)

天菩比命が三年も帰ってこないので次なる神が派遣されることになります。それが天若日子(あめのわかひこ)という神なのですがこの神も上司のいう事なんて聞かないぜ! なんと天若日子は大国主神の娘である下照比売(シタテルヒメ)と結婚。それだけでなく中津国の王になろうと企み、八年間も天上に報告をしませんでした。天津神たちヤンキー過ぎる(▼∀▼)

事情聴取のために鳴女という雉が天若日子の元に送られるのですが、天若日子はその雉を弓矢で射殺してしまいます。その矢は高天原まで届き、投げ返されて天若日子に刺さり死亡します。やりすぎちゃったよね天若日子(´;ω;`)

今度は天照大神も本気の派遣。建御雷之男神(たけみかづちのお)天鳥船神(あめのとりふね)を中津国に遣わして大国主から国譲りの同意を得ます。ここも色々あったのですが問題駐在員・天菩比命&天若日子ほど面白くないのでカットします。

重要なのは大国主神が国譲りの条件として示した以下の二つ。

・大きな宮殿を建てること(出雲大社)

・幽世を大国主神が治める

すなわち国譲りのエピソードが出雲大社のルーツということ。また、現世と対を成す見えない世界である幽世を治めるという事は、見えない縁や運命を司ることで、それゆえに大国主が縁結びの神として信仰される理由でもあります。この出雲大社に深くかかわるお話なんですよね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

因幡の白兎

境内には兎の石像が沢山。

それもそのはずであの有名な因幡の白兎は大国主神が出てくるお話ですからね。

隠岐国から出雲国に渡りたい兎はあるとき「ワニの背を渡って出雲まで行こう!」というナイスアイディアを思いつきます。バッドだよ。

兎は鰐に「君と僕はどちらの方が仲間が多いかな?」と尋ねます。そうしたら鰐が「もちろん自分だ」と答えたので兎は「じゃあ数えてあげるから隠岐から出雲まで一列に並んでみて」と提案。兎は一匹一匹鰐の数を数えるふりをして背中を跳び渡り出雲に上陸します。

計画が上手くいった兎はうれしくなって、出雲へ渡るために騙したことを鰐に言ってしまうのです。登場人物全員バカ。゚(゚^ω^゚)゚。

怒った鰐に襲われ兎は皮をはがされてしまいました。

そんな兎の前に通りがかったのが我らが大国主神。兎に「真水を浴び蒲の穂の上に寝転ぶとよい」とアドバイスをします。その通りにした兎はみるみる傷が癒えて元通りになりました。この事からウサギは病気平癒などの御利益や、その行いから素直な心を表す象徴とされるように。大己貴命(大国主命)を祀る都農神社の撫でウサギには無病息災などの御利益があるとされていますね。

幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)

神には、荒々しい側面である荒魂と、温和で平和的な側面である和魂があります。和魂ははさらに幸魂と奇魂の二つに分かれると考えられ、幸魂は人々を平和で幸福に導くはたらき、奇魂は物事を成就に導く霊妙なはたらきとされています。

この像は国造り前の大国主神が「どうやって国造ればええんや……」と悩んでいる時に現れた幸魂奇魂です。この幸魂奇魂は大国主神自身のもの。「丁重にまつれば国作造りに協力する」と幸魂奇魂は言いました。神話、マジでわけわからなくなりますよね。自分の魂にアドバイスされるってどういうことですか。゚(゚^ω^゚)゚。

日本書記によれば大物主大神が自らの事を「大国主神の幸魂奇魂である」と名乗ったそうです。

この幸魂奇魂は三輪山に鎮められたとされています。ちなみに三輪山は大和国一之宮『大神神社』の御神体。そして大神神社の祭神は大物主大神です。繋がっていますね。

拝殿

銅鳥居をくぐると目の前には立派な拝殿。

拝殿の後ろには厳重に囲まれた本殿があります。拝殿は正面から本殿が望めるように少し位置をずらして建てられています。

祈祷受付所。年貢、令和にもあるんですね(。◔‸◔。)

八足門

こちらは本殿に続く八足門。普通は入れません。皇室関係者でも本殿内までは入れないしきたりを今でも守り続けています。

まずお参りしますか。出雲大社での参拝の作法は二礼四拍手一礼です。豊前一之宮『宇佐神宮』と同じですね。

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本殿まわりを散策。

裏手に回れば本殿が良く見えます。本当にデカいですよ。似たような形の本殿をよく見ているせいで縮尺がバグります。巨人専用の建物です。

進撃の巨人でしか見ない構図。

高さ24・2mの雄大な建築ですが昔はもっと大きかったと伝えられています。伝説では中古には48mで太古には96mの建築だったとか。どう建てるのかそんな大きなもの(。◔‸◔。)

今でも十分巨大ですけどね。本殿は当然のように国宝です。

出雲大社と言ったら大注連縄!

出雲大社と言ったら大注連縄ですよね。この注連縄は本殿ではなく西にある神楽殿にかかっています。

こちらが神楽殿。存在感すごいですね。この注連縄は長さ13.6m・重さ5.2tあります。5tて(;’∀’)

出雲大社の注連縄はしめ初めは左側からの逆注連縄。一般的に神社神道では、神様に向かって右方を上位、左方を下位とするため、多くの神社では上位となる右方が綯い始めで、左方を綯い終りとする張り方となっています。

しかし古来より出雲大社では逆で、左方を上位、右方を下位としていました。江戸時代の祭事の記録にも、神様へお供え物を進める際は上位のお供え物を向かって左へ、下位のお供え物を向かって右へ進める作法となっていることが確認できます。

荘厳な雰囲気が素晴らしい神楽殿の大注連縄でした( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

熊野大社めざして松江市へ

もう一つの一之宮である熊野大社へ参拝するために松江市を目指します。写真は全く関係ない神社ですけど鳥居が見事なので写真を撮りました。

無人の鳥居を撮りたくなりますが本命なので人が掃けるまで待つ気はありません( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

雲南市入り。昨日も雲南市入っていましたね確か。戻ってきた形ですか。

今日は天気が悪く小雨の中走っています。このハートフルロードから登坂が始まるので雨もあってチャリダーにとってはストレスフルロード……。゚(゚^ω^゚)゚。

大東でお昼休憩をしてさらに進みます。

松江市入り。ここからはずっと下りでとても快適でした。雨も上がりましたしね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

ただ熊野大社のある松江市八雲町がとても静かなので本当に一之宮が存在するのかとても心配になりました。目的地を間違えて設定したのでは、って。

出雲国一之宮『熊野大社』

そんな心配は杞憂でした。問題なく出雲国一之宮『熊野大社に到着。

天気もいきなり快晴です。神社が歓迎してくれている……。

熊野大社の祭神は

伊邪那伎日真名子 加夫呂伎 熊野大神櫛御気野命 です。

いざなぎのひまなごかぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと です。

ほこから

なんて?

長い名前ですがこれは素盞嗚尊(スサノオノミコト)のことです。さすが日本神話のメインキャラ。素盞嗚尊はどこにでも出てきますね。

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伊邪那伎日真名子は「イザナギが可愛がる御子」
加夫呂伎は「神聖なる祖なる神様」
熊野大神櫛御気野命は「この熊野に坐します尊い神の櫛御気野命」

という意味です。この櫛御気野命(くしみけぬのみこと)が素盞嗚尊ということですね。

手水舎チェック! 柄杓良いですね。ステンレスですが。なにか幾何学的な美しさを感じる配置。

随神門くぐって

拝殿へ。中々に注連縄がデカいですね。これも出雲クオリティか……。

素盞嗚尊は日本最初の火を用いたとされることからこの神社は日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれています。

そのような伝説もあって「日本の火の発祥の地」と伝わる熊野大社では10月15日に鑽火祭(さんかさい)という行事が行われます。これは出雲大社が「古伝新嘗祭」で用いる火をおこすための道具を熊野大社が授ける神事。出雲大社の宮司がわざわざ取りに来るんですよ。やりますね熊野大社(。◔‸◔。)

舞殿

環翠亭。昭和61年(1986)に、昭和天皇の御在位60年を記念する事業の一環として建てられたもので、横には池があります。風流ですねぇ。

良き参拝でした。今日撮れ高すごいですね。

あとは休める場所を探して移動。今日中に鳥取県に入れそうです。

山陰で度々見るこのピンク過ぎるガソリンスタンドめっちゃ気になります(。◔‸◔。)

こんにちは鳥取県

予定通り鳥取入りです。長居しすぎた広島に対して、島根県には一泊しかしませんでしたね。ただ島根県の撮れ高は盛りだくさん。砂の器と一之宮のおかげです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

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日が暮れる前にーー

書斎(マクドナルド)到着! ブログ書きながら明日の予定でも立てますか。

鳥取県の大目的は百名山の大山登山なのですがこの山が

明日からしばらく晴れないんですよ。゚(゚^ω^゚)゚。

大山がこれから3日晴れないと仮定するととても動き方が難しくなりますね。夏のアルプスのためにただ無駄に停滞する選択肢はありえませんが、大山に登らないというのも惜しすぎます。

とりあえず下界が晴れている時は行動して、大山が晴れる日に公共交通機関を使って登山口にアクセスする作戦もあり。ただこれはあまりにも私が進みすぎるとべらぼうに交通費がかかってしまいます。

私が岡山の倉敷にいると仮定すると、大山まで片道5000円はかかってしまいますね。2日あれば私は中国山地また越えて倉敷行ってしまいますよ。私はできる子ですから(福山→出雲で培った自信)。

そうすると移動費だけで往復一万円。登山のための遠征ってお金かかることを思い出しました(´;ω;`)

鳥取砂丘まで行って時間を潰すか。いやわざわざ時間潰すためだけに鳥取砂丘というのも……。困ったものです(๑-﹏-๑)











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