2023-6-3
3日滞在した美しい町『尾道』を出発。中国山地を越えて島根に出る予定ですが、本日はお隣の福山市で一之宮参りをするのであまり移動しません。一之宮が二つあるんですよね広島。しかもその二つが超近いんです( ´艸`)
さらば尾道!
三日間お世話になった尾道のゲストハウス『ヤドカーリ』を出発します。古民家をDIYで再生させたこのお宿はノスタルジックな雰囲気の尾道に非常になじんだ素晴らしい場所でした( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
「なんか良い」で満たされた尾道。とても美しい場所でしたね。個人的には美瑛と張ります。美しさの種類が違いますが( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
岡山、今日中に行けそうな距離ですが私の進路は島根。岡山にはいつたどり着けますかねぇ。10日後には入っていたいですけど……ぐぐぐ、難しい。゚(゚^ω^゚)゚。
8000m峰において死亡率トップの難峰アンナプルナだ!
昨日の大雨が嘘のような快晴。なんて気持ちのいい天気でしょう。
パラグライダーも気持ちよさそうですね。空は寒かったりするんでしょうか(。◔‸◔。)
神の様な東屋を見つけて笑いました。いい東屋を見るたびに写真を撮ってしまいますね。こんな素晴らしい東屋に泊まれないならせめて写真には残したい……。
風が無いとすぐバテそうなくらい暑くはありますが景色がいいのでチャラです。
備後国一之宮『素盞嗚神社』
尾道市のお隣、福山市に入ってやってきたのは備後国一之宮『素盞嗚神社』です。
平安時代の律令細則である延喜式神名帳に記されている神社から選定されている一之宮。この神社の創祀は天武天皇の御代で、延喜式神名帳には神須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)の名前で記されている式内社です。
ここ素盞嗚神社は祇園祭の発祥の地とも言われています。「あの祇園祭!?」と驚いてしまいますよね。
奈良時代の初頭より日本では疫病や天災によって多くの人が亡くなり、死に対して強烈な畏怖を抱くようになりました。当時、疫病や天災はこの世を恨んで亡くなった人たちの祟りによるものと考えられていたので、災いを防ぐために怨霊を鎮めなだめる御霊会が行われるようになるのですが、これが祇園信仰となり祇園祭につながっていきます。
祇園信仰とはお釈迦様が修行した祇園精舎を護る牛頭天王と八岐大蛇を退治した素盞嗚尊を共に祭る信仰です。これによって牛頭天王と素盞嗚尊は習合し、より強力な神格である祇園神となりました。
この絶大な力を持った神の神威をもってすればどんな怨霊の祟りも鎮めることができるという事ですね。平安時代になると、牛頭天王の御霊は明石浦、広峰、祇園感神院(八坂神社)に勧請されました。ゆえにこの素盞嗚神社が祇園祭の発祥の地と考えられています。
私の好きな古き良き柄杓タイプの手水舎はコロナ禍でめっきり減りました(。◔‸◔。)
備後風土記では、この地に来臨した牛頭天王が、一晩の宿を提供してくれた蘇民将来に「この先疫病が流行っても腰に茅の輪を下げて蘇民将来の子孫なり、と言えば疫病から逃れられる」と教えました。めちゃくちゃ聞き覚えありますよこの話。
越後国一之宮『彌彦神社』の茅の輪前で学んだ話だこれ! 牛頭天王が素盞嗚尊に置き換わっただけで話の内容は全く同じです。牛頭天王と素盞嗚尊は習合しているのでどちらがお話の主軸でもいいんですね。納得。
二礼二拍手一礼。
社務所で御朱印貰って参拝終了です。
備後国一之宮『吉備津神社』
素盞嗚神社で十分撮れ高はあるのですが備後国にはもう一社、一之宮があるんですよね。その名も備後国一之宮『吉備津神社』。これがまた素盞嗚神社からめっちゃ近い!
その国一番の神社である一之宮が複数あるのはよくある事なのでいまさら驚きませんがこれだけ近いとビックリしますね。喧嘩とか起こらなかったのか気になります。
看板側の御池に佇むこの神社が吉備津神社かと思ったら
これは厳島神社でした。厳島神社(宮島)の分社かな?
吉備津神社の鳥居はこちらです。
ご立派な下随神門。吉備津神社の境内はかなり広いみたいです。
ただ下随神門をくぐったあたりはかなり生活感を感じますね。
車も鳥居、随神門くぐって行き来しますしなんだかとても気軽な感じです。
『人徳』の桃太郎像なんかウケちゃいました。「お前は人徳じゃなくてきび団子でたぶらかしたんやろがい」って(。◔‸◔。)
手水舎チェック!
素盞嗚神社と同じドラゴン手水ですが柄杓があります。いいね!( •̀ᴗ•́ )
石段を登って上随神門へ。
下随神門とはこれだけ離れています。というか随神門が二つあるってかなり珍しいですよ。
本殿に到着。とてもきれいな建物です。本殿は令和元年から二年半にわたって保存修理が行われていたみたいですね。本殿の背後には石清水八幡宮を開創した名僧行教らが修行したとされる洞窟があるようです。
石清水八幡宮は日本一周二日目に行った神社。懐かしいねぇ。
一宮(いっきゅう)さんと親しみを込めて呼ばれている吉備津神社。祭神は大吉備津彦命でまたの名を五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)と言い、吉備津開国之神として崇敬されています。
吉備津神社はとにかく末社がめちゃくちゃ多いです。全部回っていたら日が暮れてしまいますね。
気になった神社をいくつか回ろうと思います。まずはこの十二神社。
十二支の石像がかわいいですよね。この十二神社は吉備津彦命の御一族と大名持神(大国主命)を祀っています。
確かに、十二神社なのに鳥居は大名持(大国主命)の名前がありますね。3日間、7日間、21日間と「願」をかけてお願いするとどんな物事も解決への道が開けると伝えられています。
十二支に関する情報が全くなくて驚きました。吉備津彦命の御一族が十二柱いるので干支とかけているのかもしれません。
お次は十麻里二柱神社。吉備津彦命と、またもやその御親族十二柱が祀られています。交通安全の神様として鎮座されているという事でお参りに来ました。事故のリスクは他の方より高めのチャリダー。ゲンはいくらかついでも良いでしょう( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
古い車のイラストが描かれてた絵馬がいい感じ。
お参りが終わったら御朱印を頂きます。初穂料はなんと300円! かつてはどこでも300円で書いてもらえたことを思い出して涙です。゚(゚^ω^゚)゚。
素盞嗚神社は500円でした(・_・)
いや広かった吉備津神社。一之宮に相応しい規模、楽しませてもらいました。
今日は40km弱しか移動していませんがそろそろ行動終了してマックでブログタイム。中国山地を越えて島根に向かうので早朝から動かないと上手い事寝床を見つけられなさそうなので。明日からが大変ですね。゚(゚^ω^゚)゚。
広島だけ新作のメニューが売られていなくてなんか笑いました( ´艸`)
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