【264日目】広島の世界遺産『原爆ドーム』

2023-5-26

最近はG7広島サミットも開かれたという事でなにかと話題に上がった広島。その世界遺産である、もはや知らない人はいないだろうという原爆ドーム見て、その後は広島平和記念資料館を見学して参りました。戦争資料館系は毎回しんみりします。

目次

広島市街地へ

公園のベンチからおはようございます。昨日は宮島を出てからはわずか15kmしか移動していません。今日は本腰を入れて動きたいところですが見て回るところが多そうなのでどこまで進めるやら(。◔‸◔。)

マックグリドルが好きです( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

とりあえず昨日ブログを書いていたマックに来て朝食。マックは数えきれないほど来ていますが、朝マックは数えるほどしか食べていないんですよね。朝食はパスタやラーメンを作るか、外食にしてもすき家の様なご飯ものが食べられるところに行きがちですから。

朝ごはんを食べたら広島市内を走っていきます。

宮島行きの乗船場発見。世界遺産航路、ですか。確かにここから行けば二つの世界遺産を結べますね。一つは昨日参拝したばかりの厳島神社。もう一つはーー

負の世界遺産『原爆ドーム』

これ!

原爆ドームです。

もはや日本国民だれもが知っている世界遺産。私も見るのは初めてではありませんが、広島市に来たならば訪れないわけにはいきませんね。

1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の原子爆弾が投下されました。原爆は原爆ドームの南東約160m地点の上空約600mで炸裂。建物内にいた人々は全員即死です。

これだけ近い位置で原爆がさく裂したにもかかわらず原爆ドームが辛うじてではありますが建物としての外観を保っています。爆風が上方からほぼ垂直に働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、円蓋をもつ建物である事を示す最上部の鉄骨が残ったためです。

原爆ドームはもともと広島県産業奨励館という建物でしたが、残骸の円蓋鉄骨の形から現在の名で呼ばれることになりました。戦後、忌まわしい記憶を思い出すという事で処分を求める声もあったのですが、復興が進むにつれ被ばく建物がどんどん減少していくと次第に保存を求める声が高まり、何度かの保存工事を経て現在に至っています。

ひめゆりの塔知覧特攻平和会館長崎原爆資料館と戦争資料館を巡って来てから見る原爆ドームはより重みを感じます。

平和記念公園

平和記念公園は原爆ドームのすぐ近く。

慰霊碑で手を合わせていきましょう。平和祈念公園の慰霊碑といえば今月の21日(2023年5月21日)にG7広島サミットに参加したゼレンスキー大統領の献花が印象深いですね。まさかロシアが侵略戦争を起こすなんて数年前は予想もしていませんでした。戦争、核の脅威は大昔の話ではないという事を感じさせられます。

慰霊碑からは原爆ドームがのぞくという考え抜かれた設計。慰霊碑、この構図以外で撮りようがありませんよ。

中央の石室には原爆被爆者すべての氏名を国籍問わずに記帳した名簿が納められています。

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の言葉が刻まれています。この文章に「主語なに?」問題がある事だけ知っていますね。「誰の過ちだ」という論争から慰霊碑の破壊にまで至った事件がありましたがここで詳らかにする話でもありません。

ただ文章の解釈はどうあれ、原爆被害というのは二度と起こってほしくない惨劇であることに議論の余地は無いでしょう。

広島平和記念資料館

当然、広島平和記念資料館も覗いていくのですが人の多さが凄まじい。特に修学旅行生が沢山いますね。厳島神社といい修学旅行先に広島は大人気のようです。

展示室に入った瞬間テンション↘
戦争資料館は本当に精神力をゴリゴリ削られますね……。

原爆投下までの流れをサラッとおさらいしておきますか。

1941年7月、イギリス政府が原子力の軍事利用を検討する目的で設けたモード委員会が「原爆の製造は可能」と報告。この情報がアメリカへ伝えられるとルーズベルト大統領は原爆開発のための費用支出を認可します。

1942年6月には原爆製造計画が始動。アメリカ陸軍のマンハッタン工兵管区が主導したことからマンハッタン計画と呼ばれています。

1945年7月、アメリカのトルーマン大統領はドイツのポツダムでイギリス、ソ連の首脳との会談の会期中に原爆実験の成功を知ります。

7月25日にアメリカは日本への原爆投下命令を発し、翌26日には日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を発表。しかしこのポツダム宣言には日本が降伏するために重要だと考えられていた天皇制存続の保証が記されず、また、原爆の存在や使用を暗示する言葉もありませんでした。

そして原爆は1945年8月6日午前8時15分に広島へ投下されることになりました。

原爆から発せられた強力な熱線を直接受けたものの表面は焼けて変色。しかし何かにさえぎられて影になった所は元のまま残りました。遮った”何か”は物でもあり人でもあります。

この人影の石はまさに人が熱線を遮った場所が影のように残ったもの。ゼレンスキー大統領が広島でのスピーチで繰り返しこの人影の石のワードを出したのがニュースで取り上げられていたのを覚えています。

「『人影の石』は資料館でのみ見られるようにしなくてはいけない」

本当に、新たな人影の石は生まれるようなことはあってはなりません。

長崎原爆資料館は、原爆の落とされた経緯やその被害についての説明といったデータに寄った展示が多かった印象ですが、この広島平和記念資料館はとにかく『悲惨さ』を強く訴えかけてきます。髑髏の積まれた埋葬場や焼死した犠牲者の写真なども展示されていて大変ショッキング。ここ入場にR指定ありましたっけ? と思うくらい。

ただ私はそういったリアルな写真よりも『絵』の方が衝撃的でした。絵なんて人によって巧拙あるはずなのにどれもが地獄を描けているんですよ。「見たまま」が写真なら「感じたまま」が絵なのでしょうね。原爆被害を感じたままの絵はとても恐ろしいですよ。

見学終了。何年か前に来たことあるはずなのに初めて見たかのような気持ちです。実際に館内のレイアウトも大幅に変わっているでしょうし当然ではありますが。

ただ当時見学した時と比べて現在の世界情勢ですよ。戦争の脅威が人ごとではない時代です。G7広島サミットがあったばかりというのも、より深く考えさせられる要因だったと思います。

もう本当に人が多くてなかなか進みませんでしたね。

すばやく相棒を回収。

撮り忘れていた原爆の子の像を撮影。原爆による白血病で死去した少女の同級生たちの募金運動で作られた像です。

現在11時半。長いこと見て回ってしまいましたが有意義な時間でした。

緑が多くてさわやかな街ですよね広島市。そんな市街地を突っ切って次は呉市を目指します。

呉で海軍カレーを食べよう

2時間ほど漕いで呉市入り。いい加減昼食の時間ですが呉まで来たなら海軍カレーを食べたいです。くしくも今日は金曜日。金曜日といったらカレーです。

めっちゃラーメン食べたくなっていますが我慢。今日はカレーの腹です。

呉駅デカいですね。ここまで来たらお目当てのカレー屋さんは近いです。

もうお腹はペコペコ。現在14時半ですからね。遅すぎる昼食です。

やってきたのは海軍料理レストラン 呉ハイカラ食堂
ネットで呉の海軍カレーを調べたらすぐヒットしたのでここに決めました。

店内は潜水艦を模した作り。金曜日がカレーの日として認知されているのは、海上自衛隊の長期の海上任務では金曜日にカレーを出すことで曜日感覚がなくなるのを防ぐため、という説があります。

曜日感覚がなくなりがちなのは旅人も同じですね。私はただのニートなので自衛隊と同じ感覚で話すのは畏れ多いですが:;(∩´﹏`∩);:

注文したのは潜水艦カレー

ほこから

甘い!!!

ルーがお子様カレーのように甘いです。大盛で注文したのでお腹は膨れました。次に来る機会があればそうりゅうカレーを注文しましょうかね。こっちは売り切れだったんですよ(。◔‸◔。)

海上自衛隊呉史料館『てつのくじら館』

カレー屋さんの近くにどデカイ潜水艦があったので寄ってみます。

これはてつのくじら館という資料館のようです。この潜水艦は実際に海上自衛隊において2004年3月3日まで使用されていた『あきしお』なんですって。すごい。

ここは日本で唯一潜水艦に乗艦できる資料館。なんと入場料無料です。

一階が歴史、二階が機雷掃海、三階が潜水艦についての展示で、三階から潜水艦内の見学ができるようです。

1889年7月1日に呉鎮守府は佐世保鎮守府とともに開庁。内海の奥深くに位置する呉鎮守府は、大陸進出の前進基地的な性格を持った佐世保とは違って、艦艇の建造や大砲の製造といった兵器廠的性格に特徴がありました。軍艦製造が目立つ呉ですが、航空機が登場すると機体・エンジン開発と製造を進め1941年に第11海軍航空廠へ変化。海軍施設の拡充につれて呉は中堅的地方都市へと発展していきました。

現在でも呉の重要性は変わらず、日本の流通の大動脈である瀬戸内海の安全を確保するとともに、海上自衛隊の中核の一つとして多彩な任務を遂行しています。

LUGM-145機雷(ペルシャ湾で掃海した機雷)

二階は機雷掃海エリア。機雷は海に敷設された爆弾で、船舶の接触・磁気・音響などに反応して爆発します。この機雷を、海中や洋上から除去するのが掃海です。

機雷は敷設艦や低空飛行の航空機から投下されたり、貨物船からこっそり落としたり、潜入した潜水艦から発射したりと様々な方法で敷設されます。これを機雷敷設戦といいます。

これは水面に浮上した機雷を銃撃で処分する機関砲。しかし機雷は水没させただけでは完全に危険性を除去できないという事で近年はあまりこの方法は使われないようです。

中々に攻撃的な顔の浮き(フロート)ですね。好き。

メインディッシュの三階に行きます。

潜水艦エリア。

水中音波探知機(ソナー)で海中の音を聞いて解析するソナーマン。それに挑戦できるゲームがあったので挑戦してみましたが難しすぎて笑いました。左右どちらで音が鳴ったかの聴力検査みたいなのを想像していたら「今の音がイージス艦艇か大型コンテナ船か答えろ」とか言われてビックリです。どっちの音も元々知らんのよ。゚(゚^ω^゚)゚。

専門性が高すぎる……。

船内ベッド

狭いですね。私は絶対あさ起きたとき頭をぶつけます。

食事はとても健康的。これほどのものを毎食用意するのは大変です。

日の光が入ってきました。いよいよ潜水艦に乗り込みます。

本物の潜水艦に入る経験なかなかできないですよね。

トイレもシャワールームも狭いですね。潜水艦はとにかくデッドスペースを生まない工夫で満ちています。

ベッドも先ほど展示で見た通りですね。

めっちゃ青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』を思い出します。

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てつのくじら館、これで無料とは恐れ入ります。

てつのくじら館から少し海側に行くと造船所が良く見えます。デカいものを作る現場、男の子のロマンですね。呉市はとてもダイナミックな都市です。

この旅一番の神トンネル『休山トンネル』

呉市を堪能したら今度は尾道を目指して国道185号線を行きますが、見てくださいよこの神トンネル。歩道が広いどころか車道との間に仕切りがありますよ。トンネルを通る際の恐怖感は全くありません。

あまりにも快適すぎるこの休山トンネル。すべてのトンネルは休山トンネルになってほしい。とても感動しました( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

目についたジョイフルでブログ書いて公園に野宿です。その野宿する公園が結構デカいのと、広島が意外と都会なのと、華金なのとで公園に若者がたむろっていて普段なら避けるシチュエーションですがもう眠いので寝ます( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )











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