2023-10-24
札所間の距離が遠く、まだ修行の道場にいるのではないかと疑ってしまう菩提の道場・愛媛。前札所『観自在寺』から約50km進んでようやく到着した四十一番札所『龍光寺』は赤い鳥居が印象的なお寺でした。本日打った札所は龍光寺含めて三ヶ寺です。
龍光寺を目指して三間へ
天赦公園からおはようございます。国道沿いの公園なのでテントを張る場所に苦心しました。木の下に張りましたが湿るのでできれば避けたいポイントです。
公園から出たらすぐに次の札所に向かいます。目的地は宇和島市三間町にある四十一番札所『龍光寺』。
県道57号線に乗って朝からちょっと登坂。しかし道が走りやすいのであまりストレスはありません。
四十一、四十二番札所の名前が出てきました。まずは四十一番札所『龍光寺』へ。
三間の町は超のどか。こののどかさをどう伝えたものか。
三間、のどかすぎる☺️ pic.twitter.com/3sMJpSsvwS
— ほこから@山 (@fawtMT) October 24, 2023
写真だけでは足りないと思って珍しく動画なんか撮ってみたり。とても気持ちのいい町です。
【四十一番札所】稲荷山『龍光寺』
龍光寺に到着。見せて頂きましょうか、龍の光とやらを(▼∀▼)
この四十一番札所『龍光寺』、ぱっと見がもう個性的。ここは神仏習合の面影がいくつも残る札所です。その際たるものが
山門
山門が鳥居だという事。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているお寺です。
石段を登るとこの見晴らし。
手水舎には水も柄杓も無し。ウイルス感染対策では仕方ありませんね。
本堂
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
寺の縁起では、807年に弘法大師がこの地を訪ねた際、稲束を背負った白髪の翁と出会いました。翁は「われこの地に住み庶民を救わん」と言い残し忽然と姿を消したのです。
この翁が五穀大明神の化身であろうと悟った大師は、稲荷大明神を刻み、堂宇を建てて祀りました。この時、本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍として不動明王、毘沙門天を造像して安置し、「稲荷山龍光寺」と号して開創したと伝えられます。
大師堂
縁起からも分かるように、龍光寺は創建のころから神仏習合の稲荷寺として栄えました。しかし明治の神仏分離令により元々あった本堂は「稲荷社」となり、龍光寺の本堂はその下に新たに建立されます。そこに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像を本尊として安置。その隣は稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座しています。
稲荷神社
お稲荷さんの方ももちろん参拝。
鳥居からはのどかな三間の穀倉地帯が一望できます。これが三間の住民を守る翁の視界でしょうかね。
納経所
神と仏が仲良く同居する龍光寺。とても居心地の良いお寺でした。御朱印を頂いて参拝終了です。
さてお次はすぐに四十二番札所、と行きたいところですが
龍光寺の参道で売られていたこの柿が気になっていました。ひとカゴ頂いていきます。四国は良いところですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
無人販売最強は青森岩手あたりのリンゴと梨ですが。
NEXT☞ 四十二番札所『仏木寺』
次の札所までの距離:約2.6km
移動時間(徒歩):約50分
コスモスの里、三間
四十二番札所『仏木寺』へは県道31号線を2kmほど進んで着きます。
短い区間ですが見どころの多い道でした。
まずあちこちに設置されている案山子。クオリティが高くて遠目にはおばあちゃんが歩道に座り込んでいるのかとビックリしました。
町中の住人が案山子に変えられてしまった!? と思う程の案山子。
もしかしてイベントの一環なんでしょうか。というのも三間では10/21から一カ月間のコスモスまつりが開催されているのです。ちょうどその時期に来たんですね私。
毎年、稲刈りを終えると約5ヘクタールの田んぼにコスモスの種をまくんですって。
思いがけずコスモスの花畑を見ることができてラッキーでした( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
【四十二番札所】一カ山『仏木寺』
コスモスに癒される県道31号線を走り次の札所に到着。
山門
四十二番札所『仏木寺』です! 山号の『一カ山』の「王果」が変換できません。゚(゚^ω^゚)゚。
仏木寺の手水舎は水が張ってありますね。
四国では紅葉にはまだ早いか。
紅葉シーズンはめちゃくちゃ写真映えしそうですねここ。
では本堂へ。
本堂
本尊:大日如来
真言:おん あびらうけん ばざら だどばん
807年、弘法大師が唐から帰国してこの地に訪れた時、この地で牛を引く老人と出会いました。老人は大師を牛の背に乗せ、しばらく歩きます。すると途中、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかっているのを大師が見つけます。よく見るとそれは大師が唐から帰国する際に東方に向かって投げた宝珠だったのです。大師また中国からもの投げているじゃないですか。
この地は霊場に違いないと悟った大師は楠に大日如来像を刻み、眉間に宝珠を埋めて白毫。これを本尊として安置しました。宝珠を果物に喩えて「一カ山」、楠で本尊を刻んだので「仏木寺」と号したのです。こうした由来もあって本尊は牛馬の守り仏としても信仰を集めます。
大師堂
大師堂で団体さんとかち合いました。せっかくですから一緒に般若心経を読みましょう。もう札所も40を超えていますので流石に読み慣れました。はじめの頃の噛み噛み時期が懐かしいですね。
大師堂前には残木堂。大師が大日如来を刻んだという楠の残りが保存されています。弘法大師が使ったとなると残材もそれは貴重ですよね。
境内にある家畜堂という小さなお堂にはミニチュアの牛馬などが奉納されています。先にも触れたように牛馬の守り仏としても信仰される本尊。最近ではペットなども含めた動物一般の霊を供養するためにもお祈りに来られる方がいるといいます。
納経所
御朱印を頂いて参拝終了。今日中にあと一つ打てそうです。
NEXT☞ 四十三番札所『明石寺』
次の札所までの距離:約10.6km
移動時間(徒歩):約3時間30分
歯長峠を越えて西予市へ
仏木寺から次の札所の明石寺へは歯長峠を越えていきます。峠というだけあって当然ヒルクライム。面倒ですねぇ。
県道31号線を通って行くのですがGoogleマップだとなぜかこの道を案内してくれなくてビビりました。特に道がふさがっているという事も無くて安心しました。
12時ちょうどに西予市入り。ここからは快適な下り道です。
県道29号線に合流したら市街地はもうすぐ。こういう、
特に情報量のない写真を撮っている時って、肉眼で見た時にとても感動した景色だったというパターンなんですけど、写真ではその時の魅力を100%表現できていなくて口惜しい……。
道の駅どんぶり館、スルー。休憩は無し。
でたピンク過ぎるガソリンスタンド! 山陰でたびたび見るやつ!
ショッパーズで飲み物と行動食を買って小休止。
【四十三番札所】源光山『明石寺』
明石寺付近。坂。
歩き遍路モード!
駐輪場が少し遠くなったと考えれば歩きは全く苦ではありません。
そんなに標高が高い寺ではないのですが山深いという印象を受ける札所ですね。
山門
大わらじが印象的な立派な山門。
山号は「源光山」。このお寺は鎌倉時代に、源頼朝が命の恩人である池禅尼(平氏に捕らえられた頼朝のために命乞いをした)の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納し寺を改修しました。この時、源氏にちなんで山号が「源光山」なったのです。
手を洗ったら本堂へ。
本堂
本尊:千住観世音菩薩
真言:おん ばざらたらま きりく そわか
寺は6世紀の前半に欽明天皇の勅願によって円手院正澄が千手観音菩薩像を安置し、七堂伽藍を建立して開創したという古刹。初パターンでワクワクします。いつも聖武天皇の勅願で行基菩薩が開創したパターンなので。
734年に寿元という行者(石鎚山を開いた役行者から5代目にあたる人物)が紀州より熊野十二社権現を勧請し、十二坊を建てて修験道の中心道場として栄えました。
明石寺の読みは「めいせきじ」ですが元々は「あげいしじ」と呼ばれていたとも言われます。伝説では、とある乙女が願掛けのために大石を軽々と持ち、この寺に運んでいたところ、いつしか夜が明けて登る朝日に驚いて消え去ったという話があります。この乙女は千手観音菩薩の化身と言われ、地元には「あげいしさん」という愛称が残っているという事です。この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされ、古来尊崇されてきました。
大師堂
寿元による熊野十二社権現の勧請後、年月の経つごとに荒れていきましたが、822年に弘法大師がこの地を訪た際に、金紙金泥の法華経を納めて、堂宇を建立し再興しました。
納経所
御朱印をもらって自転車のところまで戻ります。今日はここで打ち止めですかねぇ。次の札所が、また、これ、面倒で……。゚(゚^ω^゚)゚。
NEXT☞ 四十四番札所『大寶寺』
次の札所までの距離:約67.2km
移動時間(徒歩):約19時間10分
本日は明石寺で打ち止め
明石寺を打ったら近くのジョイフルにイン。野宿する公園も当たりはつけているので23時ごろまでブログに集中しましょうかね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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