2023-10-17
二十八~三十一番札所の四ヶ寺を回った本日。加えて土佐国一之宮まであるものですからてんやわんやです。しかし庭園の美しい札所が多く視覚的にはとても癒されました。憎き登坂との戦いもありましたが(^-^;
小学校前で起床
ミニさくら公園からおはようございます。後ろに見えている建物は小学校です。ひとが来る前にテントは畳まなくては。不審者情報センターに通報されてしまいますからね。
テントさえ畳んでしまえばただのサイクリストなのでゆっくりできます。いや、まだ不審者ポイントは高いか。
手持ちの食料ではまだ食べたりないので朝マックに来ました。無駄遣いですねぇこういうのは(。◔‸◔。)
【二十八番札所】法界山『大日寺』
本日一発目の札所は二十八番札所『大日寺』です。
また大日! 山号は違いますが四番札所と十三番札所も大日寺です。
二十八番札所『大日寺』は海岸沿いから約5kmの小高い山の中腹のお寺。ここにお寺がつくられた理由は台風を避けるためとも言われています。昭和46年の台風10号では本堂の屋根瓦が吹き飛ばされて、鐘楼が倒壊したといいますから台風の被害が大きいエリアなのは確かなようですね。
山門
森の中のお寺という感じですね。空気が気持ちいいです。
境内は日を遮るものもなくサッパリ!
正面に本堂です。
まずは手を洗いますか。
人感センサー手水舎だと……!
本堂
本尊:大日如来
真言:おん ばざら だどばん
全く知らなかったんですけど9年ぶりの本尊御開帳のタイミングだったようです。読経も中でやっていいとの事。これは拝観するしかありません。ちなみに本堂は平成9年に再建。古代の工法で釘を一本も使わない木組みだけで造られた建物です。すごい(・`_´・)
大日寺は聖武天皇の勅願で行基菩薩が大日如来を刻み本尊として堂宇に安置して開創されたと伝えられます。行基作と伝わる本尊は高さ約146cmで四国では最大級の大きさです。しかし実際には平安時代後期に作られた寄木造の像のようです。
私のような素人だと実際に見ても寄木造りか一木造りかは判断付きませんね……。ちなみに脇仏の聖観音菩薩立像は弘法大師の甥にあたる智証大師の作です。
大師堂
開創後、寺は一時荒廃しましたが弘法大師が四国巡教で訪れた際に、楠の大木に爪で薬師如来像を彫り、これを祀り復興したといいます。江戸時代には土佐藩の祈願所として栄えました。明治の廃仏毀釈でいったん廃寺となりますが1884年に再興されました。
本尊大日如来の縁日が毎月二十八日という事で大日寺が二十八番札所となったという言い伝えがあるようです。言い伝えっぽいなぁそれは。
納経所
納経所までもが綺麗な日本庭園。
黒猫さんがこっちにやってくる……!
納経所で朱印もらったら少し寄り道。奥の院もちょっと歩けば行けるのでお参りしていこうと思います。
奥の院は境内からさらに200mほど入った所にある爪彫薬師。
ここは弘法大師が串の木に自分の爪で薬師像を彫ったと伝えられる場所です。ここの薬師如来は首から上の病気に霊験があると言われています。
奥の院には大師が修行した時から一度も涸れたことが無い大師の加持水と呼ばれる清水が湧いています。
NEXT☞ 二十九番札所『国分寺』
次の札所までの距離:約9.2km
移動時間(徒歩):約2時間40分
街中を行く遍路道
県道234号線を進み次の二十九番札所を目指します。算用数字と漢数字が混じるのめっちゃ嫌なんですけど札所ナンバーを漢数字で始めちゃいましたからねぇ……。
「超カーブ」いいですね。ほぼ直角カーブでした。
超カーブしたら物部川を渡ります。
なんか今日お腹減ります。まだ10時半ですけどほか弁(山田店)キメますか。4日連続で食べてますよほか弁。美味い( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
【二十九番札所】摩尼山『国分寺』
二十八番札所『国分寺』までは市街地を縫うように移動するので全く爽快感はありませんでした。
山門
また国分! まあ国分寺は全国にありますからね。四国霊場でも各四県に国分寺はあります。
この境内の石畳めちゃくちゃ良いですね! 雰囲気あり過ぎる。
手水舎、一つだけ違う柄杓は
我らが畑氏の柄杓。
この柄杓しかもう使えない……!
本堂(金堂)
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく
聖武天皇が全国に仏教を普及させるために「国分寺創建の詔」を発し全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年の頃。摩尼山『国分寺』も聖武天皇の勅願によって行基菩薩が千手観世音菩薩を刻んで本尊とし741年に開創しました。
ここでは本堂は金堂と呼びます。金堂は国の重要文化財で、1558年に長宗我部元親が建立しました。
また土佐の国分寺は、二十五番札所『津照寺』でも触れた紀貫之が国司として4年間滞在した国衙(国司の役所)のご近所です。いろんな偉人に縁のある寺ですね。
大師堂
815年に弘法大師がこの地を巡錫した際、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置。国分寺は、その際に本堂で厄除けの「星供の秘法」を修めた寺院としても知られています。
納経所
ここは納経所が、
というか庭園が美しすぎますね。杉苔が美しいこの国分寺は「土佐の苔寺」という異名もあるといいますが、納得。
寺を出るのがもったいないような、そんな癒し空間でした。
NEXT☞ 三十番札所『善楽寺』
次の札所までの距離:約6.9km
移動時間(徒歩):約2時間
【三十番札所】百々山『善楽寺』
三十番札所へは逢坂峠というちょっとした峠越があります。そんなに長い峠ではありませんが汗はかかされますね。10月も半ばというのに猛暑日の不快さです。
峠のピークで高知市入り。
三十番札所はもうすぐです。
登坂はもう勘弁してください。
ビッグ十一面観世音菩薩が目印の三十番札所『善楽寺』駐車場。気になるのは観音像だけではなく
お隣にある土佐国一之宮『土佐神社』ですね。善楽寺も十三番札所『大日寺』と同じく、一之宮の別当寺として開創されたというパターンです。
土佐神社も当然あとで参拝するとしてまずは善楽寺に参りましょう。
山門
山門が見当たらないのですが見逃した?
本堂
本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていせい からうん
あれだけ目立つビッグ十一面観世音菩薩が立っていながら本尊は阿弥陀如来という。
善楽寺は先に触れたように、大同年間(806~809年)に弘法大師が土佐国一之宮・総鎮守である高鴨大明神(土佐神社)の別当寺として開創されたお寺です。戦国時代は領主・長宗我部元親からの崇敬も篤く隆盛を極めましたが、明治初年の廃仏毀釈によって廃寺。1876年以降は安楽寺という古刹が代理の三十番札所として業務を行っていました。1929年に善楽寺は再興しましたが安楽寺も引き続き札所として機能し、長い間二ヶ所で納経ができる状態が続いていました。善楽寺が三十番札所、安楽寺が奥の院と定められたのは1994年の事。めちゃくちゃ最近で驚きました。
大師堂
本堂左隣が大師堂。「厄除け大師」として知られるここの大師像は、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと言われています。交通安全、ぜひ祈願したいですね。日本一周勢が一番気を付けていることです。
納経所
御朱印をもらったらしばらくぶりの神社フェイズ。
NEXT☞ 三十一番札所『竹林寺』
次の札所までの距離:約6.6km
移動時間(徒歩):約1時間50分
土佐国一之宮『土佐神社』
ずっとお寺ばかりを回っているのでOO国一之宮『OO神社』というテンプレが落ち着きますよ。という事で土佐国一之宮『土佐神社』です。
柄杓が長い。ここも昨今のコロナ禍にありながら柄杓タイプの手水舎で大変結構。
拝殿
祭神:味鋤高彦根神・一言主神
土佐神社は高知駅の北東に立つ明神大社。1000年ほど前までは土佐湾の海がすぐ前に見えていたようです。鎌倉時代初頭の神仏習合時代に入った頃、土佐国総鎮守一之宮とされました。土佐神社・神宮寺・善楽寺を含めて一之宮を形成。善楽寺の縁起の通りですね。長宗我部元親も1570年に本殿、幣殿、拝殿を再興しています。
大河ドラマ『龍馬伝』のロケ地になったようで。ドラマは見ていなかったのでピンときませんが、龍馬役の福山雅治が役作りのために長髪になっていて、その頃にリリースした「心color 〜a song for the wonderful year〜」のPVのロン毛雅治がめっちゃカッコ良かったことは知っています。
拝殿・幣殿・本殿は繋がっており
靴を脱げば上がれるので本殿にもっと近づくことができます。
お賽銭を入れて二礼二拍手一礼。遍路の癖で般若心経を読みたくなりますよ。
味鋤高彦根神は大国主神の子なので、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄の神様でーー
一言主神は一言で物事が解決されるという和合協調の神様という事で、家内安全、農産繁栄、建設、政治、航海安全、交通安全、病気平癒など、広く開運招福の御神徳があるとされています。ほぼ全てでは?
久々の一之宮専用朱印帳に御朱印を頂いてホクホク顔です。遍路では当たり前のように納経帳に御朱印を押してもらえますが、コロナ禍になってからの神社は書置きの御朱印を渡されるだけのところも多いですからね。朱印帳にもらえるだけでうれしくなってしまいました。
参拝終了。どこかで昼ご飯を食べてから次の札所に向かいますかねぇ。
飯の自販機『コインスナックプラザ』
お昼ご飯はX(旧Twitter)でフォロワーさんに教えてもらったコインスナックプラザ。お隣のゲームプラザはゲーセンです。
全く下調べなしで来たんですけど自販機が置いてある建物なんですね。なんとレトロな自販機。
その自販機の売ってるものがトーストやうどんという珍しいラインナップ。
うどんと
トーストをいただきますか。
ハムトーストは最後の一つでした。
出来上がったのがこちら。イートインスペースもあって助かります。うどんはしっかり出汁まで注がれるんですね。自販機なのにここまでやれるとは。
麺はやわらかめ。コシはありませんがそれが給食みたいで懐かしい。
トーストはしっかり焼き目がついています。温めているだけではなく本当に焼いているのかこれは。
具がシンプル過ぎる。だがそれでいい。小細工なしで十分美味いので( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
ユニークな食事処でした。空腹を満たしたら次の札所へ出発です。
【三十一番札所】五台山『竹林寺』
善楽寺から進路は南へ。三十一番札所は五台山の上にあります。
そう、山なんですよ。見てくださいこの傾斜を。めちゃくちゃ苦虫を噛み潰したような顔をしています、今。
しかし行かねば進まぬ。汗だくになりながら坂を登っていきます。麓に適当な駐輪場が無かったので歩き遍路モードにもなれませんでした。一日の最後にこんなボスが隠れていたとは。
30分弱で駐車場に到着です。たった30分とは思えないくらい長い時間でした。゚(゚^ω^゚)゚。
山の上といっても森林限界を超えるような高山ではないのでもっと鬱蒼とした雰囲気の場所かと思っていましたが全然そんなことはないですね。
山門
という事で三十一番札所『竹林寺』へ参ります。旅館のような外構えですね。
本当にお寺!?というような景観。
日本庭園でしょうこれは。なんという清冽な美しさ。
立派な山門がお出迎え。山寺という雰囲気が出てきました。
石畳の参道も素晴らしい。夜も灯りがつくとめちゃくちゃ綺麗でしょうね。
境内は五重塔が目立ちますね。あとで見に行きましょう。
夕方にもなると手水も寒い:;(∩´﹏`∩);:
本堂
本尊:文殊菩薩
真言:おん あらはしゃ なう
縁起によると、文殊菩薩の霊地である中国の五台山に登って菩薩に拝した夢を見た聖武天皇が、五台山に似た山を探して寺を建立するように行基菩薩に命じます。無茶振りすぎる。行基菩薩はこの地で文殊菩薩を感得し、栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、本尊として安置したといいます。五台山とは実際に中国に存在する3000m峰。登ってみたいものです。ちなみにこちら高知の五台山は標高145mで、山全体が高知県立都市公園となっています。
「三人寄れば文殊の智恵」の文殊菩薩。その真言である「おん あらはしゃ なう」全く聞き覚えないなと思ったら、四国霊場で文殊菩薩を本尊としているのはここ竹林寺だけでした。本尊の文殊菩薩は四人の従者を連れて獅子にまたがった姿で「騎獅子文殊」として名高く、京都・切戸、奈良・安倍の文殊とともに、「日本三文殊」のひとつに数えられています。
大師堂
大同年間(806~809年)に弘法大師がここに留まって修行し、荒廃した堂塔を修復し四国霊場第三十一番札所に定めました。
納経所
納経所に行く前に五重塔を見ます。
この威容よ。竹林寺のこの塔は高知県で唯一の五重塔。塔はインドの古い言葉で「スツーパ」といいますがこれが「卒塔婆」の語源です。お寺にある三重・五重塔はお釈迦様の霊骨を祀る墳墓なのです。初層内陣には大日如来を祀っています。
説明文がカッコよすぎる一言地蔵もお参りしていきますか。
こちらが一言地蔵。欲張ってあれこれお願いするのではなく自分が本当に叶えたい願いを一つだけお願いしましょう。これは「一生に一つのお願いしか叶わない」のではなく「一度に一つしかお願いできない」というのがミソ。お願いした一つの願い事が叶ったら次のお願い事ができます。もうこのシステム自体が教訓めいていますよね。二兎を追うなという事じゃないですか。よく考えられているなと感心します。
納経所に行こうと本堂前まで来たらこれ納経所じゃないことに今気づきました。
私が竹林寺に入ってきたところまで戻るんですね。
慎重に戻ります。
最初に見た建物が納経所でした。
NEXT☞ 三十二番札所『禅師峰寺』
次の札所までの距離:約5.7km
移動時間(徒歩):約1時間30分
本日は三十一番札所で打ち止め
竹林寺を出たらもう16時過ぎ。今日はここまでですね。
最寄りのマックでブログ書いて、その後は公園で野宿しますか。
記入済みの納札も切れてしまったのでまた何枚か書いておかないと。同じ文字を何回も書くのは本当に苦痛です。゚(゚^ω^゚)゚。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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