【399日目】お遍路編開始!一番札所『霊山寺』

2023-10-8

「まさか自分がお遍路をすることになるなんて」

一番札所『霊山寺』を前にしたときにそんな気持ちが湧いてきました。この日本一周の旅を始める前から、もっと言えば旅をしてみようかなと思いいたる前から「いつかはやってみたいな」と思っていたのが四国遍路です。それを日本一周という旅の最期に行えるんですからこんなに恵まれたことはないでしょう。山と寺社をテーマに日本一周をしてきた締めとしてお遍路程ふさわしいものはありません。そんなお遍路のいよいよスタートを切る本日。新たな旅路に出るワクワクと、未知に対する少しの不安が入り混じる始まりの一日でした。

目次

お遍路(四国八十八ヶ所参り)とは

讃岐国(香川県)で生まれた弘法大師空海はたびたび四国の地で修業を重ね、ある時は山中に、またある時は集落の、海浜の突端にその御跡を残されました。その足跡がやがて人々の慕う所となって寺院を新たに建立、或いは既存の寺院を修繕し八十八霊場の開創となりました。

お遍路とはそんな四国に点在する八十八ヶ所の霊場寺院を辿る巡礼。徳島県にある一番札所から香川県にある八十八番札所までを参拝する約1200kmの旅になります。

当初は弘法大師の足跡を追い、厳しい修行を積むことで「超自然的な力が得られる」と考えた行者たちが中心でしたが、江戸時代の半ばにもなると大師信仰の広がりとともに全国から多くの人々が「死者の供養」「病気平癒」などを願ってお遍路をするようになりました。

お遍路の周り方

お遍路には札所を番号順に巡拝する「順打ち」と逆回りする「逆打ち」があります。どちらが推奨されているということも無く周り方は基本的に自由です。一番札所『霊山寺』から始める必要もありません。もともとは最寄りの札所から回り始めるのが一般的で、現在もそれは同じです。

参拝できるところまで参拝して日常生活に戻り、また時間ができた時に続きから再開するのも問題ありません。私は日本一周中ですから時間制限というものはないも同然なので一度に八十八ヶ所すべてを回ります。こうした中断せずに遍路を行う事を「通し打ち」と呼びます。古くは参拝した寺院に自らの名を書いた木札を打ち付けたことから、現在でも参拝することを「打つ」と呼ぶのです。

遍路にかかる期間は通し打ちの場合、徒歩だと健脚の方で45日前後。自転車でのお遍路だとちょうど一月ほどかかるかもしれませんね。

すべての札所を参拝することを「結願」。その後、高野山に参拝することを「満願」と呼びます。高野山の奥の院では今も弘法大師が生きて修行を続けているとされているんですよ。私は満願まで行くつもりです(・`_´・)

願いを、満たせーー

お遍路スタートの日

目覚めろーー

北島中央公園とうとうやって来ましたお遍路編の初日です。起床時間は5時。蚊が多くて熟睡できませんでした。

お遍路の始まりは鳴門市にある一番札所『霊山寺』。鳴門市には第一次世界大戦中、ドイツの捕虜収容所がありましたが、地元の人たちは捕虜を温かく迎え様々な交流が生まれたといいます。シラーの詩によって人類愛を歌い上げた、ベートーベンの第九交響曲『歓喜の歌』が日本で初めて演奏されたのも鳴門だとのとこ。こうした地元の方の優しさが、お遍路さんをもてなす「お接待」の文化のルーツなのかもしれません。

一番札所の案内板が出てきました。テンションが上がってきます。このペースなら納経所が開く7時前に到着しますね。

ちなみに大麻比古神社というのは阿波国一之宮です、が!
お遍路初日の記事は一番札所の描写に集中したいので今回は一之宮はスルーします。八十八番札所を打った後はお礼参りに一番札所に戻ってくる予定なのでその時に大麻比古神社は参拝しようと思います。

【一番札所】笠和山『霊山寺』

さあさあさあ!!!

とうとうやって参りましたお遍路最初の札所!

一番札所『霊山寺

さすがに何か感じ入るものがありますね。これからお遍路が始まるんだという実感が強まってきました。

お遍路で必要なものはここで揃います

7時になると同時に納経所が開店(店?)。まだお遍路グッズで足りないものがあるのでここで購入してからお参りを始めます。私のようにこれからお遍路をスタートするんだろうというピカピカの一年生の姿だけでなく、明らかにもうお遍路何周かしていますといった熟練の方の姿も見かけました。

そこが最初の札所である霊山寺の特別なところですね。初めてお遍路に臨む方、何度目かのお遍路に臨む熟練者、または八十八ヶ所回ってお礼参りに戻って来た方。スタートする人もゴールする人も集まる、始まりと終わりが交わる霊場です。そうして輪になっているお遍路の道。その輪の結び目にいるというのは身の引き締まる思いがします。

追加で購入したのは輪袈裟、白衣、納札の三つです。

輪袈裟

首からかける略式の袈裟。保護ビニールに包まれているのですが袈裟を汚さないためにビニールを付けたまま使用することを勧められました。

白衣

「南無大師遍照金剛」と弘法大師のご宝号が書かれた白装束。かつての四国遍路はまさに命がけ。死に装束の代わりに身に付けたものと言われています。

納札

住所、氏名、巡拝年月日を記入する札。本堂と大師堂にある納札箱に収めます。また道中、お接待を受けた際にお礼として納札を渡す慣習もあります。

これらに加えて昨日、コンビニで受け取った納経帳

経本を持ってお遍路をスタートします。

私のお遍路装備は本当に略式も略式です。本当ならさらに金剛杖も持ちたいところ。金剛杖には弘法大師の魂が宿るとされます。お遍路を特徴づける言葉の一つに「同行二人」がありますが、これはお遍路の間ずっとお大師さんと共にいるという考え方です。その依り代が金剛杖で、金剛杖があるがゆえに同行二人であるといっても過言ではありません。

また、現在はインフラも整い旅行として観光バスで回ることもできるお遍路ですが、本来は生きるか死ぬかの命がけの修行。金剛杖には卒塔婆と同じ意味合いも含まれています。元々死に装束の白衣で来ているんだから死んだら墓代わりに、といったことです。遍路の覚悟を視覚化するという意味でも是非持ち歩きたいものです。

ただその名の通り杖なんですよ。折り畳みができる訳でもない普通に長い木の棒で。自転車でお遍路をしようと思うとどう考えても持ち運びが難しいく、事故リスクを跳ね上げる効果しか得られません。折り畳み傘を引っかけているママチャリのように運ぶことも不可能ではないかもしれませんが、この杖は弘法大師の化身ですよ。それは罰当たりが過ぎるというもの。

修行は形を整えるのが重要なのではなく、結局は修行者の心の在り方が問題だろう、と自分に言い聞かせて今回は金剛杖は諦めました。金剛杖の携帯をあきらめるのは自転車とバイクで遍路する人くらいでしょうね。歩きと車での遍路であれば必須装備です。

まあどんなスタイルでお遍路するにしても最悪、手ぶらで霊山寺に来て納経所の人に見繕ってもらえば必要なものはすべて揃います。現地で購入したからと言って割高という事もありませんしね。私は納経帳なんかはAmazonで3000円ちょっとのものを購入しましたが、霊山寺には2000円代のものもありましたし。

お遍路用具が揃ったら納札に住所、氏名、巡拝年月日を記入しましょう。納札は各寺の本堂と大師堂にある納札箱に収めるので八十八ヶ所×2で176枚記入することになりますね。

176回も住所、氏名、巡拝年月日を!?

完全に小学校のペナルティとしての書き取りじゃないですか。゚(゚^ω^゚)゚。

お接待を受けた際にお礼として納札を渡すかもしれないことを考えるとさらに追加で何枚か書いておかないといけないでしょうね。ヤバい。

ここで全部書いていると日が暮れてしまうのでとりあえず今日必要になる分だけを記入してお遍路をスタートさせます。どこかで腰を据えて納札は書かないといけません。

では、購入したばかりの真新しい白衣に袖を通し、輪袈裟を掛けたらお遍路の始まりです。これより修行の身。弘法大師の足跡をたどる旅の始まりです。

最初にくぐるのは「発心」の門。四国四県はお遍路においてはそれぞれ四つの道場に見立てられており、ここ徳島県は「発心の道場」とされています。発心とはすなわち「思い立つ」ということ。

お遍路に必要なものは4つあると言われています。「時間」「お金」「健康」の3つはすぐに思い浮かぶでしょう。最後の一つがこれまた頓智が効いているといいますか、それは「お大師さんに呼ばれること」だというのです。お大師さん、つまり弘法大師に呼ばれることというのは「お遍路をしよう!」と思い立つこと。そう思う事が発心の表れである、と。お遍路を始めようと発心し、実際にようやくそのための一歩を踏み出しました( •̀ᴗ•́  )

山門

四国霊場第一番、その山門(仁王門)に近づき立ち止まります。まずは一礼。

ここを通る人はどんな気持ちなんでしょうね。考えてみれば発心というのは容易なことではないかもしれません。「やりたい」は誰にでも、いくらでもあるでしょうが「やる!」と思い立つと、もうそれはいつか叶ったらいいなという願望ではなく、必ず未来にやらなくてはならない予定です。

仕事や学校があればお遍路のための数カ月の時間を空けることはとても困難でしょうし、定年後ともなれば今度は体力や気力がとネックになることは様々。「時間」「お金」「健康」三拍子揃ったとしてもそれをお遍路にあてようと思うに至るにはそれこそお大師さんとの縁が無ければ難しいのやも……。

ですからこうして四国霊場第一番に立てたことはその時点で幸福なことかもしれませんね。

山門をくぐり、まず向かうは手水舎。

手水で手を清めるのは一之宮参りで慣れたものです。毎度「手水舎チェック!」なんて言ってみてね。コロナ禍もあって柄杓での手水が少なくなった神社ですが、霊山寺は古き良き柄杓タイプ。良し良し。

本堂

本尊:釈迦如来
真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

お次は本堂を参拝。

最初にろうそくに火を灯し、次に線香に火を灯して香炉に立てます。この時、他の方が献灯したローソクで自分のローソクに火を灯してはいけません。他人の火をもらうもらい火という行為は、その人の業(ごう)全てを引き受けるという意味を持ちます。

献灯、献香を終えたら納札を納札箱に納めて(納が多い)読経をします。

読経をするために堂内に入るとこの光景です。灯籠の明かりがなんとも幻想的じゃないですか。

浮世離れした美しい堂内には私と同じように真新しい白衣に身を包んだ人々が礼拝しています。

見惚れて時間を忘れそうになりますがずっとここにいる訳にも行きません。経本を取り出して初めての読経といきましょう。経本には般若心経、13の仏様それぞれの真言などが書かれています。霊山寺の本尊は釈迦如来なので読む真言は「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」です。これを三回唱えます。

お経のどれもが普段は発音しないような音の並びで、経本に乗っているひらがなを読むだけの事なのにそれがとても難しく感じます。その中でも般若心経がとても難しい……!もう噛み噛みで読み終わるまでにとても時間がかかりました。

般若心経、名前だけはけっこう聞いたことがありましたがまさか中身はこんなに難しいお経だったとは。

般若心経

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得
以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経

ほこから

気が狂う

狂うてまうわ、気が。

般若心経は大師堂でも唱えます。つまりこれを176ヶ所で唱えるんですよね。自信がなくなります。゚(゚^ω^゚)゚。

しかし、やるのみよ。ただ、やっていきます。読み続ければいずれ慣れてくるでしょう。

大師堂

読経を終え本堂を出たら鯉が沢山泳ぐ泉水池へ。そのそばに大師堂はあります。

大師堂での参拝手順も本堂と同じです。献灯、献香、納札そして読経。般若心経で時間を取られますね……。

さあこれで全部ですか。なかなか時間がかかってしまいました。お経がスラスラ読めないという事もありますが、それ以外にもローソク取り出すのに手間取ったりと色んなことがおぼつきません。まは一番札所ですから最初から完璧になんて無理な事ではありますが。これも徐々に慣れていくしかありませんね。

山門を出て一礼。兎にも角にもこれで参拝終了。最期に白衣などを購入した納経所に戻り納経所でお納経(ご朱印)をいただきます。

神社で御朱印を頂くのと同じですが、お遍路では納経と別に各寺院のご本尊が描かれた御影(おみえ)も頂けます。薄い栞のような紙ですね。これも大事に保管しておきましょう。

一番札所を打って完全にお遍路さんとなりました。さっそく次の札所に参りましょう( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

NEXT☞ 二番札所『極楽寺』

次の札所までの距離:約1.4km
移動時間(徒歩):約25分

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次