2023-10-12
阿波の札所の難所「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」一の焼山寺は一昨日攻略しましたね。続く二のお鶴、三の太龍が本日連続して襲い掛かってきます。特にお鶴こと二十番札所『鶴林寺』は自転車ではとても登っていられないほどの傾斜。ここで私は歩き遍路モードへの変身を覚えました。
快活クラブで目覚める遍路
快活クラブからおはようございます。お遍路中だというのにこんなに快適な場所に泊まってしまうとなんだか申し訳ないですね。誰に謝るという事も無いのですが。
お遍路のルートを見ると当然といいますか近くにネカフェがある様な場所もそうそうないのでもしかしたらこの快活がお遍路編最後のネカフェという事もあり得ますね。そう思うと出発するのが少し寂しい(。◔‸◔。)
8時ごろにまったり出発。トイレ休憩に入ったコンビニのトイレが初めて見るパターンで封鎖されていて驚きました。トイレを汚すんじゃない(・`_´・)
【十八番札所】母養山『恩山寺』
昨日は札所間隔も短くサクサク進んだ巡拝でしたが今日は一発目の十八番札所は前の札所から17kmほど離れています。ゆるふわ遍路はおしまいです。
山門
十八番札所『恩山寺』の山門、こじんまりしすぎていてビックリしましたね。右の小屋っぽいやつです。歩き遍路の人じゃないと通らないでしょうこれ。゚(゚^ω^゚)゚。
小松島市郊外の小高い山の中にある恩山寺。山門を通過してからもしばらく登りがあります。右に進みたくない……。しかし恩山寺右へ、と書いてある……。
山門からここまでがまあまあ距離ありましたね。
奥から3番目の美枝子氏の柄杓で手を清めます。
境内は自然みたっぷり。あと少し行くと「鬱蒼」と形容してしまいそうになります。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
恩山寺は聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたとされるお寺で、創建時は「大日山福生院密厳寺」と称し、女人禁制の道場だったといいます。
このお寺も当たり前のように「天正の兵火」で焼失していますが、江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄しました。現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜1830)頃に建立されたものです。
大師堂
このお寺に弘法大師が滞在していた時、讃岐の善通寺(七十五番札所)から大師の母君・玉依御前が訪ねてきたのですが、当時は女人禁制の道場のため母君は入山できません。そこで大師は山門近くの滝に打たれて一七日(一週間)の秘法を修し女人解禁の祈願を成就します。禁制ってそうやって解けるものなんですか?
何はともあれ禁制を解いた大師は母君と対面。母君は剃髪し、その髪を奉納しました。大師は「母養山恩山寺」と山号寺号を改め、自像を刻んで安置。
大師堂右手には「大師御母公剃髪所」の石碑と小さなお堂が建ちます。ここには大師作の御母君像と母君の髪が安置されているそうです。
母君の入山を記念して大師が植えたと伝わるビランジュは県の天然記念物になっています。
納経所
本当に油断すると納経所に行くのを忘れそうになります。気が逸っているのでしょうかね。
暖かな日差しを受けながらまったり行きましょう。お遍路はレースじゃないんですから。
坂を気持ちよく下って山門あたりに来た時に気づきました。ビランジュってここに生えてる木のことですか。行きはまったく気にしていませんでしたね。なんだか雰囲気があったのでこうして写真だけは撮っていましたが( •̀ᴗ•́ )
NEXT☞ 十九番札所『立江寺』
次の札所までの距離:約4km
移動時間(徒歩):約1時間10分
【十九番札所】橋池山『立江寺』
山門
恩山寺から30分ほど自転車を漕いで十九番札所『立江寺』到着。
境内は建物の密度が高い印象。
手水舎のデザインGOOD。
本堂
本尊:延命地蔵菩薩
真言:おん かかかび さんまえい そわか
縁起によると立江寺はまたまた聖武天皇の勅願で行基菩薩によって創建されたお寺です。勅命で、聖武天皇の皇后である光明皇后の安産を祈るため、「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられます。
また、四国各県に一つずつ存在する「関所寺」の一つであり、行いの悪い遍路は関所寺より先には勧めにといいます。考えてみれば遍路に紛れるお尋ね者なんかもいても不思議じゃないですね。
大師堂
815年に弘法大師がこの寺を訪れ、行基菩薩の刻んだ本尊の延命地蔵菩薩を拝したが、僅か5.5cmばかりの小さな本尊が後世で失われる恐れがあるがあると思い、自ら一刀三礼して新たに1.9メートルもある大きな延命地蔵像を彫造。その胎内に行基菩薩作の本尊を納めました。
その時に寺号を立江寺と改めたとされています。当時は現在地より西に400mほどの景勝地にあり、七堂伽藍も備えた巨刹でした。単なる関所寺の一つではなく「四国の総関所」と言われた立江寺です。
そんな立江寺ですが、毎度おなじみの天正の兵火ではさすがに無傷とはいかず大きな打撃を受けました。ヤバすぎますよこの兵火。しかし本尊だけはなんとか難を免れ、後に阿波初代藩主・蜂須賀家政公支援で現在の地に移り再建されました。昭和49年の火災でも本尊は救い出されています。
なんか大師堂に独鈷杵おいているのを良く見るようになりましたね。また触っていきましょう。南無大師遍照金剛。
納経所
最後に御朱印・墨書をいただいていきます。
立江寺は見どころが多くてとても楽しかったです。本堂の格天井画を撮り忘れているのに気づいて「ギャッ!」と言ってしまいましたがいつかの再訪の楽しみに撮っておくとしましょう。
さて、問題は次の札所です。かなり体力使わされそうなのでコンビニで何か腹に入れておきましょうか。
NEXT☞ 二十番札所『鶴林寺』(遍路ころがし)
次の札所までの距離:約13.1km
移動時間(徒歩):約3時間45分
【二十番札所】霊鷲山『鶴林寺』
阿波の札所の難所は「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われています。一の焼山はもうすでにクリアしましたね。二のお鶴とは二十番札所『鶴林寺』のこと。次の札所なんですよね……。
と言っても立江寺から鶴林寺までの獲得標高は500mほど。焼山寺の時の半分程度です。難所とはいってもだからそこまで苦労はしないはずですが(希望的観測)。
二十番札所『鶴林寺』の案内板が出てきました。察しの良い方はその下に二十一番札所の案内板もあることに気づくでしょう。この二十一番札所『太龍寺』が「三に太龍」が示す寺なんですよね。゚(゚^ω^゚)゚。
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」の二と三は連続しているんですよ(^-^;
ただ二十一番札所『太龍寺』で苦労するのは歩き遍路の人だけですね。心苦しいのですけど。理由は太龍寺に行く時に話しますか。
まずはこの鶴野郎を倒さなくては。もう「登山口」って書いちゃってますもんね。傾斜の厳しさは推して知るべしでしょう。
毎回こういう時に車道を選ぶことに負い目を感じてしまうのそろそろやめたい(๑-﹏-๑)
負い目を感じること自体、「苦労している人の方が偉い」という思い込みがあるという事ですもんね。「歩きは大変、自転車は楽をしている」みたいな。もしくはここまで色んな山を自分の足で登ってきたが故の「俺だって歩きでやれるはずなのに……!」という自負かも。邪心だ邪心。
自転車だから楽だという事は絶対ないですからね☝
ふざけた傾斜の道を通らせくれちゃってまあ。゚(゚^ω^゚)゚。
傾斜のキツさは焼山寺の時以上ですがその分苦しみの時間も短くて済みます。
一時間ほどヒルクライムをして鶴峠という少し広いスペースに出ます。
鶴林寺まではあと2km。しかしここからの傾斜がさらに激しいのです。これ以上の傾斜となるとなぁ……と思った私はーー
自転車を置いて歩き遍路モードに換装。往復4kmは徒歩で行くことにしました(๑•̀ᴗ- )✩
山門
歩きにさえなれば激しい坂道も軽いトレッキング。上がった息も落ち着いた頃に鶴林寺の山門が見えてきました。
いや、鶴林寺……
美しい札所暫定一位です。
なんて静謐で煌びやかな境内ですか。ここまでの苦労が報われるようですよ。これこそまさしく霊場。
心洗われますね。手水舎が私の気持ちを代弁してくれました。
階段さえも美しく思えますね。素晴らしい札所です鶴林寺。
本堂
本尊:地蔵菩薩
真言:おん かかかび さんまえい そわか
階段を登ると正面に本堂です。両脇の鶴の像がまたいい味出していますね。
鶴林寺は桓武天皇の勅願によって弘法大師が開いたお寺です。大師がこの地を訪れた時、雌雄の白鶴が小さな黄金のお地蔵様を羽に包んで守っていました。鶴は黄金のお地蔵様を抱えて大師の手元に舞い降りてきました。その時に明けの明星が出て、お地蔵様の顔を照らしたのです。それが得も言われぬ美しさで、歓喜した大師は自らも地蔵菩薩を刻みました。そして鶴の守っていた像を胎内に納めて本尊とし、寺号を鶴林寺にしたといいます。
山号の「霊鷲山」は、インドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に鶴林寺の山容が似ているからという由来のようです。
本堂の右手には立派な三重塔が立っています。
この三重塔は県指定の文化財で、徳島県下唯一の三重塔です。デカすぎて画角に収まりませんね。広角レンズも持ってくるんでした。
階段を下りてお次は大師堂です。
大師堂
桓武天皇以降も平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経などの武将にも深く信仰されて寺は大きく栄えました。そんな時にやって来るのはいつものアイツ。阿波一帯を荒らした天正の兵火ですよね。鶴林寺も他の札所と同じようにこの兵火にーー
吞まれませんでした!
鶴林寺は山頂の難所にあったおかげで兵火から逃れているんですよね。良かった……(っω<。)
納経所
大師堂そばの納経所で御朱印・墨書を頂いたら参拝終了。
今度は下り道を2km歩いて
相棒の元へ!
激坂だという事が分かっていて片道2kmくらいなら歩き遍路モードの方が楽ができますね。今後もこのモードは使っていきましょう。
NEXT☞ 二十一番札所『太龍寺』(遍路ころがし)
次の札所までの距離:約6.7km
移動時間(徒歩):約3時間
【二十一番札所】舎心山『太龍寺』
頑張って登ったおかげで鶴峠からは軽快なダウンヒル。坂を下り切ったら那賀川を沿うように通っている県道19号線に乗って次なる札所『太龍寺』に向かいます。
県下最長の一級河川『那賀川』。この川がまた美しくて、何度か立ち止まって見てしまいます。源流は剣山山系の次郎笈とのこと。
剣山山頂からの次郎笈がまた見事らしいんですよね。私はガスったから見られていませんが(・`_´・)
「最も良好な水質」とも言われる四国一の清流を楽しみながら太龍寺を目指します。ただ私が太龍寺に行く為には、一旦道の駅鷲の里に行かないといけません。
目的地の道の駅が見えてきました。
途中までずっと一車線で、こんなところに道の駅なんてあるのかなと心配になりましたよ。
この道の駅に来た目的はこちら太龍寺ロープウェイ鷲の里駅に乗るためです。太龍寺はロープウェイが通っているんですよ。お遍路ころがしの異名を持つ難所ですが歩き遍路以外は簡単に参拝できるお寺なのです。それが逆にスッキリしないのですが。一応ここまで人力でやってきましたからね。
山頂付近までロープウェイが通っている山というのは大して珍しくなく、私も登山でたびたび利用することがあります。しかし大抵の場合はロープウェイ下に徒歩でも行けるように登山道が付いているものです。でもこの太龍寺はそれができません。なぜならば
ロープウェイが那賀川をまたいでいるからです。一応、鶴林寺から太龍寺までの遍路道以外にもいくつか登山道があるようですが、そこまでどうアクセスするのか、今も道が通っているかなど色々と調べが足りませんでした。
時刻は16時。納経所は17時に閉まりますがロープウェイを利用すれば間に合うというタイミングだったのも私の背を押しました。さすがに今から太龍寺にいってもなぁ、とも思ったのですが私が道の駅に着いたタイミングでお遍路のツアー団体も到着してロープウェイ乗り場に向かうものですからつられて「行けるんだ!」という気持ちになったのもデカイです。
この旅でロープウェイに乗るのは駒ヶ根ロープウェイが最後だと思っていましたが、まさかお遍路中に乗る機会があるとは。
美しい夕暮れだ。しかし日が暮れるという事は納経所も閉まるという事。慌ただしい参拝になりそうです。もしかしたらロープウェイに乗ったのは早まったかもと冷や汗が流れます。今日はもう行動終了して太龍寺は明日に回せばもっとじっくり境内を回れたかも、もしくは今晩登山ルートを調べて自分の足で登れたかも、など詮無いことを考えてしまいます。今日は邪念が湧きますね。修行が足りません。
ロープウェイから大師像をみて心を落ち着かせますか。どんなところに立っているんですか大師像。
ここは舎心嶽といって、大師が修行していたと伝えられる場所です。境内から道が繋がっていてそばまで行くことができるようですね。
10分ほどで太龍寺駅に到着。この時点で16時半です。もうゆとりはありません。
ツアーのお客さんも駆け足で石段を登っていきおるわい。
私もパッと手を洗って
石段を登っていきます。
地味にきついんですよねこの階段。
本堂
本尊:虚空蔵菩薩
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
階段を登ったら目の前に本堂です。桓武天皇の勅願により弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を刻んで安置し開創しました。本尊は厨子の中に納められていて、その扉が開くのは年に一回、一月十二日の初会式だけです。
しかし虚空蔵菩薩! 真言がめっちゃ嚙むやつ!
「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」
じゃないですか。時間が無い時に限って。゚(゚^ω^゚)゚。
いや落ち着け。急がば回れだ。丁寧にミスらないように読経していきますよ。
真言を丁寧に3回唱えた後は般若心経です。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経……
般若心経も大分読み慣れてきました。あまり詰まらずスラスラ読めるようになってきましたね。この調子で最後まで読み切ったら大師堂へ参りまーー
舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色
仏説摩訶般若波羅蜜多心経……
マズイ! 団体さんの合唱が始まった!
吞まれるな、自分のペースを貫け!
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶ーー
ーー般若心経
っはw
めちゃめちゃつられてちょっと笑ってしまいました。般若心経が輪唱みたいになっていましたからね。
団体さんと読経タイムがかぶるとお互いのために良くない。一足先にお経を読み終えたら速足で大師堂まで向かいます。太龍寺の境内はかなり広いので大師堂までもけっこう距離があります。
大師堂
どんだけ広いんだと思いながら大師堂に到着。大龍寺は「西の高野山」と呼ばれる巨刹。境内は広く荘厳です。
弘法大師が19歳のころ、先ほどロープウェイから見えた「舎心嶽」で100日間、虚空蔵求聞持法を修行したといいます。出ましたね虚空蔵求聞持法。焼山寺の時も触れましたがこれは虚空蔵菩薩の真言を100万回唱えることで無限の記憶力を授かるという荒行。本堂脇の求聞持堂で真言を唱え、早朝に舎心嶽の先端で明けの明星を拝むのです。100日間の修行という事は一日一万回真言を唱えるんですよね。リアルネテロ会長だ。
山号の舎心山はこの時修行した舎心嶽から来ています。太龍の由来は修行中の大師を守護したという龍神です。
阿波中を巻き込んだ天正の兵火では太龍寺もやられています。山の上という事で兵火を捲ぬが荒れた鶴林寺の例があったので太龍寺ももしかしたらと思ったんですけどね。やられてました(´;ω;`)
江戸時代になっても何度か罹災した太龍寺ですが、そのつど藩主の保護を受けて再建されています。
太龍寺の大師堂の造りは拝む場である拝殿と、その後ろに大師像が納められた御廟という四国霊場では珍しい造り。この造りは高野山の奥の院と同じで、太龍寺が西の高野山と呼ばれる所以でもあります。
納経所
さあ大師堂のお参りも終わったら最後に納経所です。
境内が広すぎて納経所も遠い! 境内で駆け足なんて良くはないんですけど一緒にロープウェイで上がってきた団体さんがもし納経も貰うとなれば絶対に先んじなければタイムオーバーになりますからね。
なんとか御朱印・墨書も頂けて太龍寺駅まで戻ってこられました。ノンストップの30分でしたね。
舎心嶽も行ってみたかったのですがさすがに時間が足りませんでした。
太龍寺駅そばの遙拝所から眺めるに留めます。太龍寺を堪能するなら30分は無理ですね。3時間は欲しいところ。舎心嶽の他にも持仏堂の天井に描かれた龍画など見どころだらけです。
すべては私の選択が招いた結果。本堂、大師堂を参拝して御朱印をもらうというお遍路として最低限を行えただけでも良しとしましょう。
ロープウェイでまったりと山を下りていきます。
NEXT☞ 二十二番札所『平等寺』
次の札所までの距離:約10.9km
移動時間(徒歩):約3時間
那賀川の河原で野宿
17:10に鷲の里駅に到着。ちょうど日暮で現在地も道の駅なので今日はここで野宿させてもらいましょう。
ただ道の駅と言っても駐車場以外はこのロープウェイ駅くらいしかないのでテントを張るに適した場所が見当たりません。一応駅の裏に公園がありますがかなり手入れされた芝生ピカピカの公園。人通りも多そうなのでテントを張るには向かないですね。
ただロープウェイからも見えたように河原がとても大きいのでそこで野宿するとしますか。しばらく雨が降ることもなさそうですし危険はないでしょう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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