【242日目】水俣病について考えさせられました

2023-5-4

今日は本当にエラかったと自分を褒めたいですね。雨の中90km走って、17時前には寝床についているという理想的なムーブ。かつてないほどちゃんとした日です。あと水俣病資料館は勉強になりました。精神の削られ方はひめゆりの塔に匹敵しますが……。

目次

天気が悪いです

5時半には起きて6時にはスタート。真面目に旅人やれていますね。気温が高ければ早起きも余裕です。これが夏が終わってくると寝袋から出られなくってダラダラやってしまうんです。゚(゚^ω^゚)゚。

早いうちにスタートは切れたもののご覧の通りハチャメチャに雨。一日中雨の予報なので雨宿りしたところでどうにもなりません。

かといって停滞する選択肢もないんですよね。小雨程度なら進んでいかないとあまりにも進捗が遅すぎます。別にお金が続く限りはいつまでも続けられる旅なのでケツが決まっているわけではありませんが、山登りの事を考えるなら7月には長野に入っていたいですからね。

道の駅阿久根

今日中に熊本に入って、明日には熊本市まで出るのが理想ですね。水俣市までは余裕で行けます。おそらく午前中には。

晴れていたら綺麗なんだろうなぁというような景色をどんどん抜き去っていきます。雨だとカメラを取り出すのも億劫で(^-^;

雨もいったん落ち着きました。そんな時に無人販売所が見えてきたので何か買っていきますかね。トマト以外でも果物の栄養を摂っておきましょう。

みかんと書いていますが甘夏ですね。皮が固いんですよこれが。一袋で十分なのですが値段が300円だったので二袋買いました。小銭が500円玉×1、100円玉×2、50円玉×1しかなかったので600円払わざるを得ないという。゚(゚^ω^゚)゚。

近くに蟹がいたので撮りました。

熊本入り

水俣市に入りました。という事は

ほこから

熊本突入!

この時点でまだ10:50ですよ。時間に余裕を持った行程過ぎる。

道の駅みなまたで少し休憩しましょう。というか本来はここでもう行動終了するつもりだったんですけどね。さすがにまだ行動できるだろうという事で、一息ついたらまた進みます。

あと撮れ高が今日はありませんね。別に必ずしも必要なものでもありませんが、昨日も単なる移動日だったので連続はちょっと味気ない。せっかく水俣に来たんですから水俣病資料館に行ってみましょうか。

水俣病資料館

水俣病資料館は道の駅みなまたの近くにあります。この二つは同じエコパーク水俣というエリアにあるので。水俣病の原因である水銀を含んだ水俣湾の汚泥を封じ込めるために作られた埋立地がこのエコパーク水俣なんですよね。

なぜ水銀が海に垂れ流されたのか?

どのようにしてその水銀が人間に害を与えたのか?

資料館でそれらをしっかり学んで来ようと思います。

水俣病という公害病があったことは小学校で社会の時間に習うはずなので、おそらく誰でも知っているとは思いますが実際に何が原因でどのような症状の病気なのかと聞かれると答えに窮する方も多いのではないでしょうか。

私もそうで、「水俣病のほかに四日市ぜんそくやイタイイタイ病とか習ったな~」くらいの記憶があるだけでそれがどういうものなのかは抜けてしまっていました。

ほこから

暗記科目は名前しか記憶に残らない

いまから学び直しましょう。

水俣病って?

水俣病メチル水銀が原因で起こる中毒症状で、感覚障害・運動失調・視野狭窄などの神経症状が引き起こされます。文章だとイマイチ怖さが分かりにくいですよね。こうして文字で示されるだけだと「感覚が鈍くなったり、歩きにくくなったり、視野が狭くなったりって大変そうだけど命に関わるほどでは無さそう……?」みたいにも思えるかもしれません。とんでもないですよ。

資料館では実際の患者の写真や映像も展示されていますがどれも壮絶の一言に尽きます。跳ね回るように痙攣する患者の映像は見たら頭から離れませんね。一番印象に残ったのは抉られた病室の壁の写真。これ何かというと末期の患者が痛みのあまり壁をかきむしった後の写真なんですよ。人間が素手で壁を抉るくらいかきむしる苦しみなんて想像するだけで恐ろしいです。まさに地獄のような苦しみ。それが水俣病なんですね。

そんな水俣病の原因物質であるメチル水銀はどこから生まれたかという話をするためにはまずチッソという会社について説明しなくてはなりません。

大企業チッソ

チッソは明治後期に創業した会社で、1908年に水俣に工場ができました。昭和初期には日本の化学工業をリードする企業に成長。チッソ水俣工場の発展とともに街は活気を帯び、水俣市は工業都市へと発展していったのです。チッソに勤める人は「会社行さん」と呼ばれ、地元の憧れとなりました。

ほこから

どこの地方にもありますよね、その地元で有名な会社。そこに勤めれば将来安泰、と言われる地元の星

チッソ水俣工場は、1932年から約40年間、アセトアルデヒドや塩化ビニールの製造工程で硫酸水銀を使用。そこから毒性の強いメチル水銀が副生されたのです。チッソはこのメチル水銀を含む排水を浄化せずに海へ垂れ流していました。

どのように水俣病は発症する?

そうしてメチル水銀は海中のプランクトンに取り込まれ、それを食べる魚や貝に溜まっていきます。厄介なことにメチル水銀は食物連鎖の上位にいる生物ほど水銀濃度が高くなる傾向があります生物濃縮)。メチル水銀を取り込んだプランクトン。それを食べる魚。その魚を食べる魚。そしてそれを食べる人間……。

魚がメチル水銀に汚染されていても味も臭いも変わることが無いので、人々は異常に気付かず魚介を食べ続けました。そうしているうちに海辺で生活している人々を中心に原因不明の病が発生していくのです。

水俣病による異変を初めて報道したとされる新聞記事の内容は「ネズミが急増した!」なんですよね。ネズミを狩るネコがなぜか大量に死んでいるのでとても困っているという記事です。ネコも汚染された魚を食べて水俣病になっていたという事なのですが、当時はそうとはわからないので市の対応はネズミ駆除剤を配るにとどまりました。とてつもない脅威が近づいてくる足音が聞こえるようでそら恐ろしい気持ちになりませんか。

水俣病の原因究明

水俣病の存在が明らかになってからはその原因究明です。1957年3月、水俣保健所長は水俣湾の漁期類をネコに与えるという実験を行いました。その結果ネコが水俣病を発症したことで原因が水俣湾の魚介類にある事が分かったのです。

このネコの映像も凄まじいですよ。水俣病を発症したネコが檻の中でめちゃくちゃに跳ね回るのです。体がめちゃくちゃに破壊される恐ろしい公害病ですよこれは。

一方ででチッソの方でも原因究明のために同様の実験を行っていました。工場排水をかけたエサをネコ「400号」に与えたところ同じように水俣病を発症したのですがなんとこの事実は公表されませんでした。

チッソ上層部は原因究明のための実験を中止させ、メチル水銀の浄化効果がない設備を作り、原因を隠そうとしました。国の方でも、水俣病がチッソの排水である事が分かっていても、国益のために排水を進んで止めようとはしなかったのです。

なぜすぐに排水が止まらなかったのか

戦後、敗戦した日本は国を立て直すために経済の成長を一番に考えるようになります。そんな中で迎えた高度経済成長期、もはやチッソはその中核を担う程の大企業となっています。チッソの生み出すものは間違いなく国を豊かにしていたのでその利を失う事に抵抗があったのでしょう。チッソが倒産でもしたら自分たちの仕事もなくなってしまうと、チッソと共に発展してきた地域の人々も排水を止めることに反対するほどです。

水俣病資料館の見学を終えて

エコパーク水俣バラ園

どう考えても国やチッソはひどいよ! と思う内容でしたが私が一番ドキッとした展示は「あなたがチッソの人間だったらどうしていましたか?」というパネルです。

排水を止めるという事は操業が止まるという事でそれは倒産のリスクもある行為。「人命が大事!倒産した方がマシ!」とは誰でも言えます。私も言えます。ただその言葉を言えるのは私が部外者だからなんですよね。

一社員として私がチッソにいたとしたら……言えないな。ネコ400号の実験すら隠す当時の状況。一般社員が声を上げて排水が止まるとは思えません。それどころか声を上げたことでつまはじきになるかも。何も変えられないんだったら黙っていた方が……。

単なるイメージでもこの思考回路。当事者たちはどんな気持ちだったのか分かりませんし、私が理解した気になっていい話でもない気がします。

このパネルの展示で思ったことは被害者でも加害者でもない傍観者でいられる安心、ですね。そしてそれを見抜かれてるなと思ったからこの展示にドキッとしました。

「悲惨さを分かった気になっているだけの傍観者じゃいざ同じ状況に立たされた時チッソと同じ判断をするぞ」と言われているようで。

そんなパネルの最後の文は「あなたを信じています」でしたかねぇ。なんかグッと来てしまいました。

埋め立て地エコパーク水俣。そこにはこうして立派なバラ園が建てられています。

もう終わったことのように思える水俣病ですがそうではありません。ここも現状だけ見れば美しいバラ園ですが、その地下には水銀の汚泥が封じ込められているのです。

「悲惨な出来事だったけど昔の話だよね」と思った瞬間傍観者。人間の失敗を過去の事だと思わず、そのすぐ上に自分が立っているのだと考えることが過ちを繰り返さないために必要なことかもしれません。

ちなみにチッソは現在も存在しています。

雨に打たれて峠越え

雨の方は全く止む気配がありません。それどころか勢いが強くなるばかり。

お前は屋久島か。

道中は写真を撮る暇もありませんよ。休憩所を見つけて度々避難しますがあまり意味はないですね。今日はずっとこんな天気なので雨宿りの効果がありません。早く寝床に着くしかない。

道の駅 たのうら

悪路を走破してなんとかたどり着きました道の駅 たのうら

24時間開いている休憩室がある神道の駅です。毎回雨の日にはこういう場所で寝たい……。

荷物を整理しているとキャンピングカーで九州を周っているご夫婦に声をかけてもらいました。道中助手席から手を振ってもらったんですよね。まさかここで再会できるとは。

奥様からタピオカミルクティーをごちそうになりました。写真まで撮って頂いて本当にありがとうございますm(__)m

売店で買ったカレーと共にタピオカミルクティーを頂いて夕食としましょう。




いやぁ、今日は90km超えの大移動でしたし、水俣病資料館は勉強になりましたし良い一日でしたね。その分ブログが大変ですが、休憩室が使えるなら作業も捗ります。

甘夏をお供にパソコン作業。明日は熊本市まで出ますよ( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )











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