昨日は大変ボリューミーな一日でした。
無料キャンプ場の雨晴キャンプ場にて野営したので7時ごろにのっそりと置きます。
人が来る前に撤収しなければならない公園などで野宿するとこうはいかないですからね。
キャンプ場だとぐっすり眠れて最高です( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
そんなしっかり寝た今日は元気いっぱいに神社参り!
旅のテーマである一之宮を二社回ります!
越中国一之宮『氣田神社』

雲行きはよろしくないですね。
途中でひと雨降りそうです。
降っていない内に最初の目的地『氣田神社』に向かわねば。

こんな天気の時でもシュラフは干しておきます。
30分くらいでも干すのと干さないのとでは乾きが違います。
その間に朝食、荷造りですね。

撤収完了!
ばったもんさんともここでお別れです。
流石に今日また会うというオチはないでしょう笑。
再会するとしたら次こそ北海道ですかね?
お互い怪我無く病気なく、安全に旅を楽しみましょう!


では、行きますか。


道中見えてきたオモシロ岩。
これは義経岩と呼ばれる代物です。
「義経岩(よしつねいわ)」は、鎌倉幕府の追捕を受けた源義経主従が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという岩で、地名「雨晴(あまはらし)」の由来となっています。
引用元:https://www.takaoka.or.jp/viewpoint/archives/815
昨日止まったキャンプ場の名前も雨晴キャンプ場でしたね。
雨晴の名の由来だと。
ここまでのルートは弁慶に義経と大河ドラマを見ているかのような道です。
人に歴史あるように土地にも歴史あり。
自分が滞在した場所の由来が、これまた自分が旅したものの中から明らかになる瞬間は得も言われぬ面白さを感じますね。

出発してから50分ほどで見えてきましたよ鳥居が。




瑞々しい緑に光遮られて暗さを増す鳥居が好きすぎます。

越中一之宮『氣田神社』


氣田神社、この名前に「ん?」と思われた方もいるのではないでしょうか。
そうこの神社はあの能登国一之宮『氣田大社』から勧請してできた神社なのです。
神は分霊が可能とされる。
水をいくつかのツボに分けるように神もまた神社という社にその存在を分けることが可能。そうして分霊した神を別の場所で祀ることを勧請という。



勧請の定義から考えるといかにも氣田大社の子分といったイメージを持ってしまいますが、水と違って神の場合は分けたからと言って力が弱まるわけではありません。
元の存在と同等の尊いものとして在ることができるとされています。


また場所的に見てもこの神社が一之宮にふさわしいものであるということが言えるでしょう。
日本海を望む有明の岡に鎮座するこの神社。
全国の一之宮は現在でいう県庁にあたる国府に近いという共通点があります。
氣田神社のある高岡市伏木も越中国府や国分寺があった官庁街だったのです。




1183年には木曽義仲の挙兵による兵火で燃え、1532~1555年には上杉謙信の兵火によって再度燃えています。
再建は加賀藩主の前田利常によるもの。
氣田大社も前田利家を始めとした歴代加賀藩主の崇敬を集め多くの寄進がありましたね。氣田に加賀の加護あり。

朱印いただきましょうか。
社務所は階段手前の駐車場、そのまた手前にあります。


社務所というより民家という感じですね。

これはまた……
コロナ対策でしょうか。
仕方ないことですけど風情が無いのが残念です。
ポストカードかな?
越中国一之宮『射水神社』

さあ本日2社目の一宮。
氣多神社に続いてお次は射水神社です!
この神社は高岡城本丸跡にある、江戸時代の城郭内に存在する一宮という珍しい立地。
たくさんある富山の一之宮の中でも特色のある神社です。

富山の一宮の何が以上事態って、4社あるんですよ。一之宮が。
異例中の異例ですよね。



長野にも信濃国一之宮は4社ありますが、あちらは四つで一つと見る諏訪大社ですから富山とはまた違う例でしょう。
四つ別々の神社がそれぞれ一宮を主張している全国でも最多の一之宮数なんです。

まあ一之宮も法律や制度で決められているものではなく、平安から鎌倉時代にかけて最も力のあるとされる神社がその地位を獲得するケースがほとんど。
自己申告性みたいな面もありますし。


もともとは二上山の麓にあったのですが明治八年に現在の場所へ遷座しました。


遷座の理由としては「二上山麓は狭いし、墓地と隣接していて不浄。神徳発揚の場としては不適切」というものでした。表向きは。
二上村民からの信仰篤く、遷座に対しても必死の抵抗があった神社ですので、その無理を通してでもやる理由が上述のものなのかどうかは確かなことは言えませんけどね。

祭神は天照大神の孫神『瓊瓊杵尊』。
有名な『天孫降臨』の主人公です。
天照大神の命を受け、瓊瓊杵尊が国土平定のため日向国(宮崎県)に天下ったこと。
瓊瓊杵尊は天照大神の孫神なので『天孫』が『降臨』したというわけですね。
天照大神に持たされた稲穂と共に天下った瓊瓊杵尊は農業神として崇敬されており、射水神社の御神徳には五穀豊穣や商業繁栄があります。
戦国時代の末期に社殿が焼失しますが江戸時代には加賀藩の祈祷場となり復興しました。サンキュー加賀藩。戦国時代は寺社燃えすぎ(๑-﹏-๑)
参拝して御朱印もらって終了です。

同じエリアにある高岡市護国神社も参拝。
高岡出身の戦没者を祀っています。


氣田神社でも見ましたねこの馬。
こういう共通点かなり気になります。
どうやってそういう由緒とかって調べるのでしょうね?
ググるしか調べ方を知らない現代っ子です( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

非常に静謐な閉じた空間。
厳かな気持ちで参拝させていただきました。
寝床を目指して富山市へ

富山市内まで出ましょう。
今日はネカフェですかねえ。
充電類がもう切れかけなんです。

充電が切れたり、洗濯物が溜まったりするとどうしても全て解決する快活クラブに行きがち。
もっと上手く充電を行えればわざわざ宿代にお金を割かなくて良いのですが……。

まだまだ旅人ビギナーということですかね。

富山市内に向かっていると思わず止まってしまう景色に遭遇!
富山城前なんですけど、ここ見たことある!
というか来たことあります!
社内人時代仲のいい同期たちと富山に旅行へ来たことがあって、ここはその時訪れた場所なんです( •̀ᴗ•́ )
めちゃくちゃ感慨深い……。
かつて訪れた場所に意図せず再訪した時のこの感情は、なに?
妙にしんみりとした気持ちになってしまいました。

さて本日の宿に到着しました。
というかここも来たことあって笑いました。
立山・剱岳登山の前日に泊まった快活クラブですよ。
富山めっちゃ来ているじゃん!と思って笑ってしまいました。
さっそく入店……と行きたいところですが本日はまだ休みません。
なんとTwitterのフォロワーさんが近くに住んでいるようで、ご挨拶したいとここまで来てくださいました。
近くのガストで食事も一緒に摂り、たくさんお話しさせていただきました。オススメのお店や温泉、これから行く北海道のアレコレ。楽しい時間はあっという間です。
1時間ほどしてお店を出ました。
応援したいと仰ってくださり、食事はご馳走に。
手土産として行動食までとても嬉しかったです。

一日の最後に素晴らしいご縁に恵まれ素敵な時間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。
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