2023-10-18
本日の見どころは月の名所『桂浜』。海の国・土佐の要衝で当時の領主・長宗我部氏にもかかわりが深い景勝地です。その歴史が近くの札所にも関係してくるのでお遍路と観光とで二度おいしいスポットでした。
青柳公園からおはようございます。この解放感よ。早朝散歩勢の目につく前に撤収して移動を開始します。
札所区間の長い修行の道場ですが、高知市内の札所は比較的間隔が短いので昨日と同じようにとんとん拍子で回ることができます。それも今だけと思い、観光を交えながらお遍路を続けていきましょうかね。今日はまずは三十二番札所からです。
【三十二番札所】八葉山『禅師峰寺』
標識に従い三十二番札所『禅師峰寺』を目指します。実は昨日一度見ているこの標識。竹林寺のある五台山から下りてきたらこの標識が目に入ります。マクドナルドに行く為に昨日は右折して善楽寺方面に向かいました。現在、来た道を戻っている状態ですね。往復というのは山でもそうですけどあまり楽しくない……。
禅師峰寺まであと650mという所に来ましたがこの札所も山寺です。地元では「みねんじ」と呼ばれている禅師峰寺は峰山の山頂にあります。
山といっても標高82mですけどね。だからと言って楽ではなく、距離650mで標高を80m以上上げるというのはしっかり面倒です。
なので歩き遍路モードで行きます。自転車はお留守番。
さらに車道ではなく歩き遍路道から行ってみたり。こここそ『竹林山』でしょう! というような道ですね。
山門
5分ちょっとで山門に到着です。車道を自転車を連れて登ってきたら3倍の時間はかかっていましたね。
ここも人感センサー手水舎ですか(。◔‸◔。)
本堂
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
禅師峰寺も聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が建立した鉄板のパターン。
海上の交通安全を祈願して建立されたということで、漁師たちからは「船魂の観音」とも呼ばれているとか。三方を海に囲まれた浦戸は上方との連絡、水軍の保有に適しており、戦国時代には長宗我部氏が桂浜の北に城を築くなど土佐の要衝でした。なのでこの寺は漁師だけに限らず、藩政時代には参勤交代などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちからも崇敬が篤かったのです。
大師堂
807年に弘法大師が訪れた時、禅師峰寺のある峰山が、天竺にある仏道の理想の山とされる補陀落山さながらの霊域であることを感じ、ここで虚空蔵求聞持法を修しました。またやってるじゃないですか虚空蔵求聞持法! たびたび触れていますけど虚空蔵求聞持法とは虚空蔵菩薩の真言を100万回唱えることで無限の記憶力を得られるという荒行です。一回やれば良いのではないんですかこれは!?
この時に土佐沖の海上安全を願って十一面観世音菩薩像を刻み本尊として安置。寺号を「禅師峰寺」と定めました。また峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから山号を「八葉山」と定めたといいます。
陸の鼻先のような場所にある禅師峰寺。海の眺望は最高です。
次の札所はここから見える桂浜を渡っていくことになりそうです。
納経所
御朱印を頂いたら下山。
帰りは車道の方から行きます。クロックスで来ているので下りの山道は怖いですからね。
自転車を回収したら間髪入れずに次です。
NEXT☞ 三十三番札所『雪蹊寺』
次の札所までの距離:約7.5km
移動時間(徒歩):約2時間
坂本龍馬の愛した桂浜
三十三番札所『雪蹊寺』へは浦戸湾を渡らなくては行けません。手段は、浦戸大橋を渡るか、長浜種崎間県営渡船に乗るかの二つでしょう。前者は遠回りなので後者の渡船を利用する方が手間が少ないでしょう。渡船の方は人、自転車、原動機付自転車、125cc以下の小型自動二輪車は無料で利用できますし。
ただ浦戸大橋を渡れば桂浜に行けるんですよね。そちらに興味があるので私は橋ルートで行きます。
その選択を後悔するくらいこの橋はキツイ!
この橋は山型になっているので登りと下りしか存在しません。しかもこの車道の狭さよ。登っている時は常に後ろを気にしながら走って、後続車に追いつかれたら自転車を歩道に寄せて流れが止まるのを待つ。その後はまた隙を見てひたすら登坂の繰り返し。歩道に上がれないこともありませんが荷物が柵に当たって車道に倒れたら一巻の終わりですからね。非常にスリルとストレスの大きい区間でした。
そんな試練を越えて桂浜へ到着。どっと疲れましたね。
自転車は無料。ちょっとおトク感( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
桂浜の駐車場からは浦戸大橋が良く見えます。こう見るとなだらかな橋に見えるんですけどね(。◔‸◔。)
駐車場から観光案内所を通り過ぎて林の中に入っていきます。海岸に出るためには丘を越えないといけません。ホントちょっとですけど。
歩いて3分もしない内に坂本龍馬像が見えてきます。桂浜は、幕末の英雄「坂本龍馬」が最も愛した場所。この像は1928年に高知県の青年有志たちの募金活動によって建てられました。この龍馬像は第二次大戦中金属供出から免れているのですが、それは龍馬が海軍創始者であったからなのだとか。
この日は高台が用意されていてもっと近くから龍馬像を見ることができたのですがお金がかかるので止めました(ケチ)。
龍馬像を通り抜けて階段を下ると桂浜がみえてきます。
これは龍馬が愛するのも納得の美しさですね。
しゃがんで取ってみたり。写真が楽しくなる場所です。もっと腰を据えて撮影して回りたいですが札所も控えているのであまり長居はできません。
あと暑いですし。完全に夏の景色なんですよ(^-^;
海岸沿いに南へ歩いて、桂浜の見どころのひとつである竜王岬へ向かいます。
急な階段を登ると鳥居が見えてきます。岬には神社が二つあるのです。
まずは一番高いところに早高神社。御祭神が日本武尊という事以外よくわかりません。
近くには早高神社から見下ろすように
海津見神社が鎮座しております。御祭神は大綿津見神(おおわたつみのかみ)。つまり海神(わたつみ)ですね。対馬の一之宮と同じ。
海津見神社から俯瞰してみるとまた味わいのある桂浜。
いくらでも長居してしまいそうになります。
贅沢な散歩道でした。お遍路の合間のいいリフレッシュになりましたね。
坂本龍馬にただいましたら
観光案内所のエリアを通り抜けて駐車場へ。自転車を回収したら次の札所に向かいます。
【三十三番札所】高福山『雪蹊寺』
山門
桂浜から三十三番札所『雪蹊寺』まではだいたい4km。自転車漕いで20分ほどで到着です。
暑いので水が気持ちいい。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
雪蹊寺四国霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺です。弘法大師によって815年に開創された頃は「高福寺」という真言宗の寺でした。
鎌倉時代には高名な大仏師、運慶とその長男の湛慶がこの寺の本尊の薬師如来像を始め諸仏を彫像。そのゆかりで寺名を「慶運寺」と改められます。
大師堂
その後、荒廃しましたが戦国時代の土佐領主・長宗我部の援助で月峰和尚が再興。親元の宗派である臨済宗に改宗します。元親の死後は四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号「雪蹊恕三大居士」にちなんで寺名を「雪蹊寺」と改めました。
まあ弘法大師の足跡を追う遍路にとっては宗派は特に関係ありませんけどね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
納経所
御朱印を頂いたら境内を出る前に
山本玄峰老子像を拝んでいきます。山本玄峰雪蹊寺で出家し、遍路も17回行った禅僧です。7回目の遍路の際、ここ雪蹊寺前で行き倒れになり、当時の住職・山本太玄和尚に救われ出家しました。1901年に太玄和尚の後を継いで雪蹊寺の住職になります。その後は全国の古刹を再興させていきました。時の首相・鈴木貫太郎の相談役でもあり、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」は玄峰が手紙で進言した文言です。
すごい人過ぎる。この話で気になって玉音放送全文読んでみましたが「耐え難きを耐え……」の部分は別に全然キメ台詞然としたワードじゃなくて驚きました。
NEXT☞ 三十四番札所『種間寺』
次の札所までの距離:約6.3km
移動時間(徒歩):約1時間45分
【三十四番札所】本尾山『種間寺』
さあお次は三十四番札所です。めちゃめちゃのどかな穀倉地帯ですね。穏やかな気持ちになります。
甲殿川を越えて県道279号線に合流。西に進んでいけば三十四番札所『種間寺』です。
山門
種間寺も仁王門がありませんね。見逃したかと心配になります。
境内に入ってまず目につくのは沢山の柄杓が並んだ子育観音。
この奉納されている柄杓は全部底が抜けています。これは安産祈願の柄杓で、寺があらかじめ柄杓の底を抜き安産祈祷をします。それをお札を添えて妊婦に授け、妊婦は柄杓を自宅に祀り、無事に出産を終えたら柄杓を寺に奉納するのです。ここに並ぶ柄杓は安産の証なんですね。
底を抜くのはなんでなんでしょう。
私が底抜け柄杓で思いだすのは船幽霊の怪談。海で死んだ者たちの幽霊が船端に取りついて「柄杓をよこせ」と言ってくるのですが、言うとおりに与えてしまうと柄杓で水を船に注ぎ込んで沈没させてしまうので、底の抜けた柄杓を与えて諦めさせるというお話。
また、最強の縁切り神社『門田稲荷神社』では縁切りのために穴をあけた柄杓を奉納していましたね。あれには、穴の開いた柄杓からが水が流れていくかの如く悪縁も流していくという意図がありました。
これらを見ると底の抜けた柄杓には水による災難や悪い流れを逃がす効果がありそうです。水だの流だのは確かにお産においてはネガティブなワードですね。
子育観音を拝んだ後は底の抜けていない柄杓で手を洗います。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
種間寺の縁起はいつもの「聖武天皇の勅願で行基菩薩が開いた」パターンではありません。
敏達天皇の時代(572~585年)に摂津(大阪)の四天王寺を建立するために百済から仏師たちが招かれました。ようやく落慶し帰途の航海中だった仏師たちでしたが暴風雨に遭い、この地に漂着。航海の安全を祈願するために薬師如来を彫造し、本尾山の山頂に祀ったことが種間寺の起源とされています。山号の本尾山もこれが由来です。種間寺の由来としては、仏師たちが薬師如来を彫るという善根、つまり良い種を植えたからという説があります。
大師堂
後に弘法大師がその薬師如来を本尊として堂宇を建立。その際に唐からもち帰った五穀の種「米」「麦」「粟」「きび」「豆」または「ひえ」の五穀を境内に蒔いたことから種間寺としたとも言われていますね。
納経所
納経タイム。
境内を回ってみましたがやはり山門はないようです。見逃したのではなくて良かった良かった。
NEXT☞ 三十五番札所『清瀧寺』
次の札所までの距離:約9.8km
移動時間(徒歩):約2時間45分
フォロワーさんと遭遇
のどかな穀倉地帯も終わりを告げまた街中に入っていきますよ。
お次は三十五番札所『清瀧寺』ですがこちらは明日になります。今日はまた電源と寝床を探してブログを書かなくては。
まずは新仁淀川大橋を渡り仁淀川を越えます。
このデカすぎる仁淀川よ。この川は流路延長124kmと、吉野川・四万十川に次ぐ四国第三の河川であり、水質は全国トップクラスのめちゃくちゃ綺麗な川です。
高知市と土佐市の市境でもあります。という事で土佐市入り。
新仁淀川大橋を渡り切った所でX(旧Twitter)のフォロワーさんが待機しておりお接待を頂いてしまいました。種間寺から清瀧寺なら新仁淀川大橋を通るだろうと当たりをつけていたようです。ご明察( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
別れ際に三角の反射板(手作り)まで頂いてしまいました。これをつけてゴールまで安全に旅をしていこうと思います。今日は私のために時間を使って頂いてありがとうございましたm(__)m
フォロワーさんから頂いたパンでエネルギー補給。もう少し走れそうです。
国道56号線をうろつきます。夕食でも買おうと寄ったサニーマートが電源有りのイートインスペースを備えていたのでここで食事して、ブログも書かせてもらいましょう。
夜になったら新仁淀川大橋まで戻り、橋下で野宿です。橋の下はフラットな場所が確保できるのであれば超贅沢な東屋ですね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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