2023-10-11
難所の十二番札所『焼山寺』を打ち終わり、今日あまり負担のかからないゆるふわお遍路デー。十三~十七番札所はのんびりとした里道で繋がっているんですよね。地元ではこの五つの札所だけをお参りする五カ所参りという風習もあるのだとか。そういった風習も含め今日巡る札所は見どころだらけ。スケジュールを押さない範囲でじっくりお寺を見るというのがお遍路の難しいところですね。
歩き遍路さんと寝床がかぶりました( ´艸`)
道の駅 温泉の里・神山からおはようございます。昨日は道の駅で歩きのお遍路さんと一緒になりまして、同じ東屋で一晩過ごさせてもらいました。歩きの方はテント張ったあと裏手にある日帰り温泉に入っていて羨ましかったですね。私は体調が少し悪かったのと、それもあって眠かったのでテントを張ったらすぐ就寝しました。そうするとどうでしょう!
めちゃくちゃスッキリ
めっちゃ快調です! 普通に疲労がたまっていただけだったのかな? 何にせよインフルとかじゃなくて良かったです。
道の駅出発時に歩き遍路さんからすだちを頂きました。お遍路さんも他の方からお接待で頂いたんですって。飲み水に果汁を混ぜて飲んでるとの事。良いですね。基本水分補給はただの水ですから柑橘類の香りがあると爽やかかも。おすそ分けありがとうございました!
昨日頑張って標高を上げたおかげで下り多めで非常に快適です。サクッと神山町を抜けて徳島市に戻ってきました。
途中で見かけたこの遍路小屋。いやいやこれはもう家でしょう。すごいですね四国。
【十三番札所】大栗山『大日寺』
快適なサイクリングを楽しんでいたら見えてきました次の札所。自転車を停めるところないかなぁ、とゆっくり走っていると団体さんに呼び止められました。六番札所でツーショットを撮った外国の方の団体じゃないですか! 十三番札所に至っても同じペースなのに笑います。これも御縁という事で今度はみなさんと一緒に集合写真を撮ってもらいました。
「旅がんばってね!」と送り出していただきましたがこの調子だと以降の札所でも絶対会うと思うので気恥ずかしいですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
山門
そんなホッコリした朝の一幕の後、十三番札所『大日寺』へ参拝です。
そろそろ手水舎の水も冷たく感じる季節ですね。
本堂
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
そういえば四番札所も大日寺でしたね? 八十八ヶ所中で同じ名前のお寺があると混乱してしまいます。まあ大日如来は仏界のスーパーエースですからその名を冠したお寺がいくつもあるのは不思議ではありませんが。
そんな十三番札所『大日寺』、本尊は十一面観世音菩薩です。何なんだ一体。
ただこれには理由があり、私の旅のテーマである一之宮に深くかかわって来るんですよ。詳しくは後述します。ブログの構成的な問題で……(^-^;
大師堂
寺の開基は弘法大師。大師がこの地で護摩修法を行っていた時に大日如来が現れ、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と一宇建立のお告げを受けました。そこで本尊を刻んで堂宇を建立し安置したと伝えられています。寺号もこれに由来して大日の名が付いています。
しかし天正の兵火(1578~1580)により堂塔はすべて罹災します。きたきた天正の兵火。徳島中をやってますねこいつ。その後、江戸時代前期に阿波藩主・蜂須賀光隆によって再興されました。
納経所
納経所に向かう前に境内でひときわ存在感を放つ何ともありがたい名前の観音様を拝んでいきます。しあわせ観音ですって。
しあわせ観音の覆っているのが合掌する手なのが面白いデザイン。納経所はこの奥にあります。
さて、納経所で御朱印・墨書を頂いて次なる札所に向かおうと山門に目をやると気になるものが見えますね。
阿波国一之宮……?
NEXT☞ 十四番札所『常楽寺』
次の札所までの距離:約2.3km
移動時間(徒歩):約35分
阿波国一之宮? 『一宮神社』
阿波国一之宮と書かれた一宮神社。その名の通りここはかつての阿波国の総鎮守でした。明治以前の神仏習合の時代は神社を管理するために置かれた寺を別当寺と言いますが、大日寺はこの一宮神社の別当寺だったのです。なので当時は大日寺ではなく一宮寺と呼ばれていました。江戸時代は札所として扱われていたのはこの一宮神社の方だったようです。
一宮神社の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像だったので、明治の神仏分離令によって神社が独立して寺号が大日寺に戻ったあとも本尊は十一面観世音菩薩なのです。もともと大日寺にあった大日如来像は脇仏として祀られています。大日如来を押しのける観音様とはね。十一面観世音菩薩はその名の通り十一の顔を持っており、それでもって衆生救済を行うという、観音様のなかでも非常に強烈な効験がある観音様です。
神仏習合。一宮神社と大日寺は仏と神の融和した日本人の信仰の根を覗いたような気持ちになれる神社とお寺でした( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
【十四番札所】成寿山『常楽寺』
十四番札所『常楽寺』の駐車場の案内が見えました。十三番札所『大日寺』から十七番札所『井戸寺』まではのんびりとした里道で繋がっているのでしばらくは楽が出来そうです。
駐車場っぽいところまではこの傾斜を上がらないといけないのですか。汗をかきたくないのでここら辺の隅っこに停めてあとは歩くとします。
自転車を停めて参拝の準備をしていたら、参拝後のおじいさんが話しかけてくれて少しおしゃべりを。お接待として缶コーヒーを頂きました。ありがとうございましたm(__)m
駐輪したら歩いて駐車場まで登ってきましたがこれ絶対裏口ですね。どこから山門のある道に入れるんですか。
ここに来る直前の道をシャーっと右に進みましたがまさか左が山門に進む道ですか!? 歩きで来た人以外、初見で左は選べませんよこれ。゚(゚^ω^゚)゚。
山門に一礼して、という参拝ルーティンができているのでそれが崩されると違和感を感じますね。まあ臨機応変に行きましょう。手水舎で手を洗って本堂に向かいます。
札所の手水舎なんですけど、ここまで十四ヶ所も周っていると気になることがあってーー
この柄杓をよく見るんですよね。よく見るというか「奉納」と書いているのでもしかして結願した方が八十八ヶ所すべてに奉納しているのかもしてません。最近奉納されたのか、新しくてきれいなので手水舎では進んでこの柄杓を使っています。「よく見るな」と気になるともうこの柄杓しか目に入らなくなります。今後もこの「畑美枝子」氏の柄杓を贔屓にしていくとしましょう。
本堂
本尊:弥勒菩薩
真言:おん まい たれいや そわか
常楽寺の本尊は四国霊場唯一の弥勒菩薩です。弥勒菩薩は後々この世界に現れて衆生を救済すると言われている未来仏。その未来はいつなのかというと、弥勒菩薩は現在、兜率天(仏教の世界観における天界の一つ)で修業をしているのですが、そこで4000年の寿命が尽きたらこの世界に下生します。ですので4000年後に衆生は救済されるーー
と思いきやそうはいかないんですね。兜率天の一日は地上の400年に匹敵するので4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年。これが後代になって数字が入れ替わったのか仏教の世界では弥勒菩薩は56億7千万年後に下生するとされています。通るか、そんな話がっ……!
波打つような岩盤の上に立っている堂宇。境内は「流水岩の庭園」と呼ばれています。
大師堂
弘法大師が42歳の厄年の時にこの地で修業している時に、多くの菩薩と共に弥勒菩薩が現れて説法を行いました。大師はすぐに感得し、そばの霊木に弥勒菩薩の姿を刻んで堂宇を建立。これが常楽寺の縁起です。
大師による建立の後に七堂伽藍がそびえる大寺院となりましたが毎度おなじみの天正の兵火によって灰燼に帰しました。カマしすぎでしょこいつ。
大師の御遺告の一節に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし」とあることから、大師は往生してこの世から弥勒菩薩の元へ行ったとされます。その大師の足跡を追う我々お遍路が着ている白衣の背に書かれている梵字は弥勒菩薩を現しているんですよね。
アララギ大師
本堂の前には大きなイチイの木が立っています。
こちらは「アララギ大師」と呼ばれ、その昔、糖尿病に苦しむ老人に大師が煎じて飲ませた霊木だといいます。
木の股に大師像が安置されていますね。
納経所
御朱印・墨書を頂いて参拝終了です。
NEXT☞ 十五番札所『国分寺』
次の札所までの距離:約0.8km
移動時間(徒歩):約15分
【十五番札所】薬王山『国分寺』
十四番から十五番までは激近です。ところどころに設置してある案内板に従って進んでいくと住宅地の中に山門が見えてきます。
住宅地の中の小さなお寺かなと思ったら駐車場含め割と余裕のあるところですね。
山門
門前にデカデカと刻まれた「聖武天皇勅願所」の文字。ここは仏教に深く帰依した聖武天皇の勅命により、国家鎮護、五穀豊穣、地方文化の向上のために全国各地に建てられた国分寺の一つです。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれます。
国分寺という名前のお寺は無数にありますが、考えてみれば昔は「国」が行政体・地理区分の基本単位だったので当然の話ですね。四国霊場にある国分寺の内ではこの「阿波國分寺」が最初の札所です。
なんか生活感を感じる手水舎ですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を刻んで本尊としました。聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』、本堂には光明皇后の位牌厨子が納められたといいます。
創建当初の寺領は二町四方で、金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍でしたが時代とともに衰退し、いつもの(天正の兵火)で焼かれました。その荒廃ぶりは「四國遍禮霊場記」(1689年・寂本著)で描かれており、当時はわずかに雨露をしのげるくらいの小さな祠に薬師如来が安置されているだけという状態だったようです。
大師堂
弘法大師が四国霊場開創のため巡教された際に宗派を真言宗に改めています。その後、寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって再興され、宗派は現在の曹洞宗となりました。
大師堂には弘法大師尊像と結ばれた独鈷杵が置かれています。大師のご宝号である「南無大師遍照金剛」を唱えながら振れると同行二人の結縁をすることができるんですって。同行二人の結縁は遍路に出た時点で済んでると思うのですが一応触っておきますか。南無大師遍照金剛。
納経所
納経タイム。テンポよく打てていますね。
NEXT☞ 十六番札所『観音寺』
次の札所までの距離:約1.8km
移動時間(徒歩):約30分
【十六番札所】光耀山『観音寺』
国分寺を出るとのどかな田園風景から
交通量の多い国道192号線の町並みに替わります。難所『焼山寺』へ向かう前も192号線のすき家で食事していましたね。ようやく戻ってきたという感じです。
山門
完全に町中に入って、家々と軒を連ねるように建っているのが十六番札所『観音寺』です。
適当なところで駐輪していざ、お参りに行こうと歩き出すと、ここまで同じペースで周ってきたツアーの外国人お遍路さんと再び合流。十三番札所で集合写真を撮った方々ですね。自転車と車という歩調の違う乗り物で周っているのに、ここまで顔を合わせるのはもう何かの御縁だろうと思ってお互いに名刺を交換。ハワイで宿をやっているという事で「もし来ることがあれば泊めてあげるよ~」と言ってくれました。ひのもと行脚海外編か?(▼∀▼)
皆さんは今回の遍路は徳島だけで、今後毎年一県ずつお遍路をしていくとの事。毎年お遍路という楽しみがあるのはめっちゃいいですね。苦労もある旅ですが。
団体さんを別れたら境内に入りまずは手水舎。今日もめっちゃ手を洗っていますね。
こじんまりとした境内ですが整然としていて居心地が良いですね。
本堂
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざらたらま きりく そわか
十六番札所『観音寺』の本尊は十番札所『切幡寺』以来の千手観世音菩薩。寺伝では十五番札所と同じように聖武天皇が全国に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願寺として建立されました。弘仁7年(816)に大師が訪れ、本尊像などを彫造して再興。その際に現在の寺号を定めたと言われています。
それとは別に後に寺に伝わる宝物『観音寺縁起』一巻においては、弘法大師によって観音寺は創建され、大師がこの地に逗留した際、等身大の千手観音像を刻み、脇侍像として悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を安置したといいます。
阿波の他の霊場と同じように栄枯盛衰の道を歩みお馴染みのやつ(天正の兵火)に罹災。蜂須賀家の支援を受けて万治2年(1659)に宥応法師によって再建されます。
大師堂
こちらの大師堂にも独鈷杵が置いてありますね。触っておきましょう。南無大師遍照金剛。
大師堂の横には夜泣き地蔵。子どもの夜泣きにはもちろん、ぐっすり眠れるように祈願しても効果があるのだとか。
納経所
納経所に行くのを忘れそうになることが結構あります。本堂と大師堂で読経したらもうやり切った感で溢れてしまうんですよね。知らない内に納経をスルーしている札所が無いか都度都度、納経帳を確認する等にしています。完全に「玄関のカギ閉めたっけ?」と何度も確認しちゃうアレと同じ。
NEXT☞ 十七番札所『井戸寺』
次の札所までの距離:約2.8km
移動時間(徒歩):約45分
【十七番札所】瑠璃山『井戸寺』
観音寺を出てから北に進みJR徳島線を越えて道なりに進むと十七番札所『井戸寺』が見えてきます。井戸寺までは要所要所に案内板が立っていて分かりやすいです。
田畑や民家に囲まれた井戸寺ですが結構大きいお寺ですよ。
山門
立派な山門ですねぇ。四国最大級という仁王像に圧倒されます。
この広々とした境内よ。
手を洗ったらさっそく本堂へ向かいます。
本堂
本尊:七仏薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
十七番札所『井戸寺』の本尊は七仏薬師如来で、その名の通り薬師如来が七体という全国でも珍しいお寺。このうちの薬師瑠璃光如来が主尊で瑠璃山という山号の由来になっています。脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩策と伝わります。
天武天皇の勅願道場として建立され、当時の寺名は「妙照寺」称していました。七堂伽藍はもちろん、他にも末寺十二坊を誇る壮大な寺院だったといいます。天正の兵火? もちろんくらってます。1661年に本堂が再建されました。
薬師如来の真言はすごく言いやすいので好きです。「ころころ」が気持ち良いですよね。薬師如来が本尊のところが多いので単に言い慣れただけというのもありますが。薬師如来は八十八ヶ所中で最も多い本尊なんですよ。
大師堂
大師堂での礼拝が終わったら次は
大師堂の前にある日限大師堂へ。
815年に弘法大師が七仏薬師如来等の尊像を拝むために訪れた時、水不足で苦しんでいる村人のために錫杖で井戸を掘ると、一夜にして清水が湧きだしました。その時に付近を「井戸村」と名付け、寺号も「井戸寺」と改めたといいます。
日限大師堂の中にあるこの井戸がその時掘りあてた井戸で「面影の井戸」と呼ばれています。覗き込んだ時に自分の姿がうつれば無病息災、移らなければ3年以内の厄災に注意するとの言い伝えがあるのですがこれ金泉寺パターンじゃないですか。私は覗きませんよ(・`_´・)
余談ですが仏教では水の事を閼伽と呼びます。この井戸の閼伽を持ち帰って家で使う人が多いそうですね。賽銭箱の右隣には閼伽を持ち帰るための容器が置かれています。水と言えばこのお寺の事を調べている時にこんなお釈迦様にまつわる話を知りました。
お釈迦様が諸国行脚されていた時にちょうどガンジス川あたりで雨期に。雨に当たられたのか、お釈迦様は修行中にお腹を壊してしまいます。その時、地元にいるスジャータという娘が乳粥を持ってきて、それを飲んだお釈迦様は体が回復しました。
あのコーヒーフレッシュとか売ってるスジャータってこれが由来なの!?
という驚きがありましたね。
納経所
閑話休題。御朱印・墨書をもらったら参拝終了です。
NEXT☞ 十八番札所『恩山寺』
次の札所までの距離:約16.8km
移動時間(徒歩):約4時間50分
今日は十七番札所で打ち止め
十三番~十七番のゆるゆる遍路区間は終わり、次の十八番札所までは少し距離があります。現在15時という事でブログも書きたいですから今日はここらへんで行動終了します。
お昼ご飯も行動食で済ませてしまったのでお腹ペコペコです。夕食には早いのでミスドでおやつタイムと行きますか。
このミスドでトラブルというか、そんなに大したことじゃないんですけど手間取ることがありまして……。
お会計が確か1007円だったんですよね。小銭があったのでピッタリ支払えたんですけどお賽銭用に5円玉が欲しかったので1012円支払ったんですよ。そうしたら、支払いが機械式のセルフだったんですけどエラーが起きて止まってしまって。
機械が全然復旧しないので店員さんがマニュアルでレシートを打ってくれたんですけどその時
お会計金額丁度でお支払いされましたか?
と聞かれた時に
はい!
って言っちゃったんですよね。
5円お釣り出るように支払ったのに(^-^;
商品とレシート受け取って席に着いた時に
ちょうどの支払いじゃなくね?
という事に気づきました。これを店員さんに言いに行くか一瞬悩みました。「5円多く払ってました」なんてわざわざ言うのはすごいドケチ野郎に思われるんじゃないかって。だから「まあ5円くらいいいか」と思ってスルーしようと思ったんですけど
これもしかして俺のせいでレジが合わなくなる?
それは大変だよなあという思いと、おやつタイムでまあまあ混んでるレジに5円を返してもらうために対応してもらう恥ずかしさがせめぎあいます。
結局は私が流れで「はい!」って言っちゃったのが悪いというのと、レジが合わないことの方がはるかに手間だろうと思って、5円返してもらうために席を立ち上ろうとしたときに
お客様、先ほど5円多くお支払いいただいていたようで、こちらお釣りと打ち直したレシートになります
と店員さんの方から来てくれたんですよね。これは全部丸く収まったぞと思って
ああ、すみません。ありがとうございます!
とお釣りを受け取ったら
5円が1円玉5枚で返ってきました。
お賽銭用の5円玉を求めたのがすべての始まりだったのにこの結末。オチが付いたので良しとします。
ミスドを出たら今日泊まる快活クラブを下見。着替えがもう無いので今日は快活に入って、シャワーを浴び、コインランドリーで洗濯しないといけません。
日がある内に寝床を見つけておくと楽なんですよね。
快活の位置を把握したので安心してガストでブログが書けます。
ガストを出てちょうど0時ごろに快活へIN
お遍路のルートを見るにしばらくネカフェにはありつけないでしょうね。今のうちに堪能しておきます。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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