日本一周後の初詣に太宰府天満宮へ行ってきました

2024-1-8

昨年11月に自転車日本一周を終えてから約一カ月半ほど経過しました。実家の宮崎にて日本一周のゴールを果たして以降は今回の初詣が一番の大移動ですね。当然、車移動ではありですが(^-^;

そんなおよそ2年かかった日本一周を終えて、これからは旅ではない一年が始まる2024年。天神様の御利益にあやかろうと初詣は大宰府天満宮へ行って参りました。

大宰府天満宮は学問の神と称えられる菅原道真公を御祭神として祀っています。

旅中はいくらでも神社に行くことがありましたが、それが終わってからはこの天満宮が初めての参拝。自転車とは全く関係のないところで神社に訪れるというのは不思議な気分です( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )

目次

まだまだ初詣シーズンの太宰府天満宮

宮崎からはるばる福岡まで。

太宰府天満宮の駐車場についたのは12時半でしたがこの賑わいですよ。お正月も三が日が終わり8日くらいになれば人も少なく成る頃かなと思っていましたが甘い考えでしたね。まだまだ初詣に来る参拝客は多いようです。

学問の神様を祀る太宰府天満宮ですから、むしろ受験が近づくこの時期はお正月関係なく賑わうのでしょう。

大宰府駅前はまだスペースにゆとりがありますが

鳥居に近づくほどにエライ騒ぎです。

オシャレなスタバを撮るのに立ち止まる事すら億劫になる人の流れ。人気の神社の集客力、恐るべし。

学問の神様を祀る『大宰府天満宮』

鳥居

大きく「太宰府天満宮」と書かれた石碑。

本殿まで石畳がずっと続いています。

案内所

案内所では境内マップやパンフレットの配布、車椅子の貸し出しなど行っているようです。

祭神の菅原道真公は、平安時代の学者で政治家です。学者としては当時最高位の文章博士となり、光孝・宇多・醍醐天皇と三代の天皇に仕えました。特に宇多天皇に重用され、学者としては異例の右大臣まで出世します。

右大臣は朝廷の最高機関である太政官の職の一つ。左大臣と共に太政官の事実上の長官。

しかし左大臣の藤原時平の妬みを買い、延喜元(901年)に太宰権帥に左遷されました。今の感覚だと理解しにくいですけど当時の太宰府に送られるのは左遷なんですよ泣。しかも太宰府までの旅路では、途中に通過した国々による食料や馬の支給が禁じられていたので、扱いは流罪人の移送よりも厳しいものです。疲れ果てた馬の蹄が割れても好感が許されず、それに鞭を打って進む状態。道真公の無念はいかばかりか。

延寿王院

京を発つときに道真公は

東風吹かば
におひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春なわすれそ

という歌を詠みました。その歌が刻まれた石碑がこれです。

鳥居を抜けてまっすぐ進むと延寿王院があり、その前に歌碑が立っています。延寿王院は太宰府天満宮が安楽寺と呼ばれていたころの宿坊。太宰府天満宮はもともと道真公のお墓を守るお寺だったのです。

幕末には三条実美を中心とする尊王攘夷派の5人がここに滞在し、その間に西郷隆盛や坂本龍馬といった志士がやってきました。

左手には鎌倉鳥居と呼ばれる、この太宰府天満宮で最も古い鳥居が建っています。福岡県の文化財です。

心字池・太鼓橋

鎌倉鳥居を抜けると今度は心字池にかかる太鼓橋を渡ります。

欄干の朱が水面に映えるわい……。住吉大社を思い出します。

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心字池は二つの太鼓橋と一つの平橋、計三つの橋が架かっています。この三つは過去・現在・未来を表すとされているんですって。何か三つのものに「過去・現在・未来」を当てはめるというのは神社仏閣ではよく見ますね。出羽三山なり、お遍路の三本の線香なり。

心字池は草書体の「心」という字を模しているそうです。ドローンで見てみたい。

志賀社

橋の途中にある志賀社は保存修理中で参拝できませんでした。残念。海の神様である綿津見三柱神を祀っています。

橋を渡り切ると楼門の姿が見えてきました。

楼門前には左右5基ずつ、計10基の燈籠が設置されていますが、これは1625年に福岡藩第二代藩主の黒田忠之の寄進によるもの。多くの寺社に寄進をした忠之でしたがこのように10基の燈籠を寄進した例はなく、天神信仰の篤さが伺えます。

麒麟がいました。麒麟は、徳をもって世を治める王者が表れた時に、姿を見せるという聖獣。誠の心を貫いた道真公の生き方と重ね合わせて制作されたとのこと。かつては二体の麒麟がいたのですが戦時中に金属供出を求められた時に失ったようです。

手水舎

楼門右手には立派な手水舎。

柄杓タイプでは無いねぇ……。コロナ禍以降、柄杓が少なくなりましたね。

手洗い鉢は太宰府天満宮の北東にそびえる宝満山の山麓から掘り出された一枚岩からできており、中央には神亀が手彫りされています。手の込んだ手水舎ですよ。

手水舎の奥には平成四年に改築オープンした宝物殿がありますが時間が無いので泣く泣くスルー。

神牛像

次は楼門前の神牛像を撫でます。太宰府天満宮の境内には、全部で11体の御神牛像がありますがこの像は特に撫で牛として有名です。自分の体の悪いところと同じ部位を撫でると治っていくと信じられており、長年多くの人に撫でられた牛は全身ピッカピカ。

楼門

豪奢な楼門は迫力満点。数多の火災に遭った楼門はその度に再建されており、この楼門は1914年に再建されたものです。楼門は二階建ての門の事を言いますがこの楼門は特殊で本殿側から見ると一層に見えるという特殊な造りをしている……

ということをこの記事を書いている時に知ったので本殿側から撮った写真が無い!泣。リサーチ不足でしたね(メ゚皿゚)

楼門を抜けたらいよいよ本殿ですが

仮殿

現在、太宰府天満宮の本殿は改修中! 

改修期間中、天神様の御御魂はこの仮殿に遷されます。なので現在の神事や祈願、参拝をおこなう場所はこの仮殿です。レアな期間ではありますね。

屋根に木々が乗っかっているというのがすごく面白い。本殿の改修工事が終わった後はこの仮殿の木々は天神の杜に移されるそうです。

本殿(改修中)

本殿の中は全く見えませんね。

飛梅

本殿の右隣には飛梅という御神木があります。これは道真公が京の自宅で大切にしていた梅が、左遷された公を追って飛んできたという伝説に由来するもの。「色玉垣」という品種で、境内の梅の中で最も早く白い花を咲かせ、公に春を告げます。

大樟

境内西側には国の天然記念物に指定されている大樟があります。樹齢約1500年という事ですから、道真公が生きていたころからこの太宰府に根を張っているというロマンの木ですね。

摂社・末社

境内には摂社・末社あわせて37社もあります。多い。

野見宿禰公碑

野見宿禰は道真公の先祖で、相撲の元祖・神様として祀られています。

筆塚

書道の三聖に数えられる道真公は書道の神様でもあります。大きな筆の像を乗せた筆塚は、使い終わった筆に感謝して納める場所です。

書道の三聖は菅原道真・空海(弘法大師)・小野道風

法性房尊意社

廻廊の西側

奉寄進と書かれた納め所の横にある石段を登ると

道真公の怨霊を鎮めたという法性房尊意の社があります。

隣には相輪塔という青銅製の塔。

時間の余裕もなくなってきました。いくらでも見て回りたいところですが今日中に宮崎に帰らなくてはいけないのでそろそろ撤収です。

ふたたび太鼓橋を渡り、

菖蒲池

東神苑の菖蒲池をチラ見。

最後にもう一度太鼓橋を撮ったら

駐車場へ向かいます。

さいごに

見どころだらけの太宰府天満宮。人も多く思った通りのペースでは回れないので、ハイシーズンに半日だけですべてを周ろうというのは無理な話ですね。しかし初詣という目的は達成できたので満足です。初詣に太宰府天満宮なんて贅沢な話ですよ。去年は初詣をおろそかにしてしまったので今年こそはという気持ちが大きかったです。日本一周というチャレンジが終わって、再び新たな門出へと立つ2024年。天神様の御利益にあやかって頑張って行き来ましょう( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )











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