「一之宮」とはどのような神社か

山だけでなく神社仏閣にもたびたび参拝している当ブログ。直近であれば長野の「善光寺」に3日連続で行っています。

そんな神社参り、お寺参りの中でも特に参拝しているのが「一之宮」というカテゴリに属する神社。今回はその「一之宮」とは何か? という事について書いていこうと思います。

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目次

一之宮は一番の神社?

一番はじめは一の宮
二は日光東照宮
三は讃岐の金比羅さん 
四は信濃の善光寺
五つ出雲の大社

世界の民謡・童謡

これは明治時代から歌い継がれてきた民謡で、数詞から始まる歌詞を順々に歌っていく数え歌の一種です。

神君・徳川家康を東照大権現として祀る日光東照宮。「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮。長野の名刹・善光寺。五つ目には出雲大社とそうそうたるメンツ。このあとにも十番まで歌が続くのですが、言いたいことはこのアベンジャーズの一番手を務めるのが今日のタイトルの「一之宮」であるという事です。民謡の中での話ではありますが、これだけの名社、名刹と肩を並べる一之宮はいったい如何なる神社なのでしょう。

簡単に言うと一之宮というのはカテゴリを表しています。つまり一之宮というくくりがあって、それに該当する神社がいくつかあるという事ですね。数え歌のトップバッターは固有名詞ではなく普通名詞でした。

その国で最も社格の高い神社

一之宮という言葉の意味をウィキペディアで調べてみると以下のように説明されています。

一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮、一ノ宮、一之宮などとも書く。

一宮

ある地域の中でナンバーワンの神社、故に一之宮。分かりやすいですね。これ以上分かりやすい説明もないでしょう。という事でこの記事もこれにて終了……

とはいかないのが一之宮の難しいところ。

複雑なんですよねこの一之宮という称号は。

まず、何をもって最も社格が高いといえるのか? という問題です。これ、明確には答えられません。それを説明するために延喜式神明帳というものについて触れさせて頂きます。

延喜式神明帳に記された神社たち

最古の住吉。筑前一之宮『住吉神社』

延喜式』というのは十世紀の初めごろに編纂された法典で、巻数にして50巻、条数にしてして3,300条と、非常に多方面かつ微細な事柄にまで触れたものです。こいつについて詳らかにしようとするといくら掘り下げても終わらないので端折ります。

この延喜式の9巻と10巻が神祇官に関する巻で『神明帳』と呼ばれています。つまり延喜式神明帳というのは「延喜式という法典の9巻と10巻を指している」と考えて差し支えありません。

その延喜式神明帳に記載されている神社の事を『式内社』と呼びます(載っていない神社の事は『式外社』)。延喜式由来の言葉で一般の我々が現在も耳にする機会があるのはこの式内社でしょう。有名な神社は大抵この式内社に乗っているので参拝に行けば「式内社○○神社」という表記を見ることもあると思います。延喜式神明帳というのは要は国家公認、国郡別の神社一覧表というわけですね。

現代までの残る一之宮のほぼすべてはこの延喜式神明帳に載った式内社です。十世紀の初めごろに編纂された神明帳ですから、この時点で「歴史」という観点からは一之宮の社格の高さを担保できるといえるでしょう。しかしこの式内社、

2861社

あるんですよね。当然このすべてが一之宮というわけにはいきません。ここから各国ナンバーワンの神社が選出されるーー

と思いきやそれが定かではないのです。゚(゚^ω^゚)゚。

創始がイマイチよくわからない一之宮

「敵国降伏」勝利を運ぶ筑前国一之宮『筥崎宮』

なぜ定かではないかというと一之宮の創始に関わる史料が存在しないからです。

例えば、一之宮の寺院版とも言うべき国分寺であれば、「国分寺建立の詔」という史実があり、聖武天皇が国家鎮護のために全国に国分寺を建立したという事が明確に理解できます。しかし一之宮にはそういった史料がありません。困るねぇ……。

一之宮の制度は11世紀末から12世紀初頭にかけて成立したのではないかとは考えられています。それも国分寺のように一斉に始まったのではなく、それぞれの国ごとに始まったという説もある様で。釈然としませんね。

創始は不明瞭ですが一之宮の力は確かなもので、モンゴル軍が襲来したの元寇では、朝廷がいくつかの国の一之宮に対して敵国降伏の祈祷を命じました。朝廷も一之宮に対して国家鎮護の要として大きな期待を寄せていたことが分かります。

近代の一之宮

雄山神社(立山頂上峰本社)

そんな一之宮も戦国時代に近づくにつれて、幕府が各国に置いた守護によって地方政務を執っていた国衙の機能が失われてくると、一之宮も存在意義を失い、単なる社格を表すだけの称号となってしまいます。

一之宮が存在感を再び現したのは神道家や国学者の神道研究で注目され始めた近世に入ってからのこと。その中でも橘三喜の「一宮巡詣記」は一之宮巡拝の先駆けともいえる資料で、全国の一之宮を巡詣して祭神や歴史についてまとめたこの書は一之宮研究においては重要な基礎資料となっているそうです。

終戦直後に、神社と国の結びつきを危険視したGHQによって神社の国家管理が禁止され、同時にこの一之宮という社格も消滅してしまいましたが、それでもその国で篤く信仰された神社であることは今現在も変わりません。

さいごに

「一之宮」という制度はいつ、何の目的で制定されたか定かではありません。しかし地方の政務を執っていた国衙と密接にかかわる影響力の強い神社であったことは確かで、今でも一之宮の多くは名社としてその存在感を示しています。

そんな全国の一之宮を参拝して周ることは登山と同じくらい楽しいもので、このブログのテーマの一つでもあります。スケールの大きい神社は祀っているものも大きく、御神体が山というパターンも多いので山に神社にと一石二鳥なことも多いですしね(立山の雄山神社や富士山本宮浅間大社など)。

全国津々浦々に分布している一之宮を巡る楽しさは、神社の歴史から日本史というストーリーにじかに触れる感覚が得られること、加えて全国を隅々まで訪問できるという冒険心を満たせることでしょう。

国土という平面を、歴史というZ軸を加えることで、日本を立体的に楽しむ。これが一之宮巡礼の醍醐味だと思っています。

おまけ

そんな、全国を回ることになる一之宮巡礼。せっかくならば神様の分身たる御朱印も頂戴しながら回りたいところですよね。私は一之宮専用の御朱印帳を使っています。これがまたデカくて表紙は木のジャバラタイプ108ページ。

これに記帳してもらえるとテンション上がります。昨今はコロナ禍の影響もあってか直に御朱印帳をやり取りするのを控えて、書置きしかいただけないパターンもありますが。゚(゚^ω^゚)゚。











追記
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