2023-6-24
5泊6日行程の大峯奥駈道。本日は二日目です。初日の昨日は11時の出発という事もあり行動時間は6時間ほどでしたが、本日は10時間越えの行程。というか計画上は最終日までずっと10時間越えの行程です。歩き通せますかねぇ。゚(゚^ω^゚)゚。
大峯奥駈道2日目
6:05 第69靡『二蔵宿(百丁茶屋)』
大峯奥駈道2日目です。昨日は第69靡にして山小屋の『二蔵宿(百丁茶屋)』に泊まりました。小屋を利用したのは我々パーティ2人のみ。快適な夜を過ごせましたね。こんな小屋泊が続いてほしいものです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
朝食を済ませたら6時過ぎに出発。最初にめざすピークは大天井ヶ岳。朝っぱらから本格的な山道の登りが続きます。
しかし朝日の木漏れ日が気持ちよくてさわやかな気分です。いい天気でよかったですね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
天気わるいですね。
一瞬でガスってしまいました。雨は降ってないので良いですが。
6:50 大天井ヶ岳
50分くらい歩いて大天井ヶ岳到着。まだ一時間も歩いていないのにかなり疲れましたね。登山じゃんこれ(そりゃそう)。
大天井ヶ岳のピークはもうちょっと歩いたところにあります。特に展望はありませんね。
大天井ヶ岳で少し休憩したら移動再開。大峰山は時折木々の隙間から見える景色が毎回お同じに見えますね。
8:00 五番関
杉の植林地帯を歩き続けて五番関に到着。見ての通りここには女人結界門があります。
女人結界の中には女性は入ることはできません。ジェンダー平等が叫ばれる昨今、未だにこうした女人禁制が守られている場所が存在するというだけで大変神秘を感じますね。
男だ女だと非常に敏感な世の中になってきていますが、この女人結界も女性差別反対運動の的になってきた歴史があります。この女人結界の門の「女」の文字、なんだか違和感あるでしょう?
門の梁にある「女」の文字、壊されたことがあるんですよね。
これは平成九年から平成十一年の女人解禁をめぐる運動の中で起こったことです。
聖護院をはじめとする修験教団は、平成十二年の役行者千三百年忌を期して女人解禁の道を探っていましたが、大峯山寺を管理する天川村洞川地区や登山講が強硬に反対。一方で女人禁制を女性差別だと主張する女性グループが強引に女人結界を進み山上ヶ岳に登頂するという出来事があり、これに大峯山寺側が態度を硬化させて、結局女人禁制は今日まで残ることになりました。
これに関して私が意見できることはないですね。女人禁制が差別だろうとなかろうと千年以上続いてきたしきたりは「男女平等」という簡単な一言で変えられるものではありません。だからと言って実力行使に出た女性グループを「理性的な行いではない」と糾弾するのも違う気がします。私はこの道を彼女たちほど宗教的に真剣に歩いているわけではありません。私が大峰山へのバリエーションルートの一つとして奥駈を歩いている私がたまたま男だったので何の問題意識を持つことも無かっただけで。この女人結界に対して憤りを感じていいのは熱心な女性信者だけでしょう。
女人結界に入って我々一行は山上ヶ岳を目指します。
8:50 鍋かつぎ行者堂
祠に到着。その隣には鍋が括りつけられています。ここは鍋かつぎ行者堂。役行者が修行中に突然火の雨が降ってきたのですが、咄嗟に持っていた鍋をかぶって難を逃れたという話に由来します。どういう事?。゚(゚^ω^゚)゚。
これはですね、調べてみたら「どういう事?。゚(゚^ω^゚)゚。」なんてからかった自分を恥じたんですけど、火の雨というのは修行者にとって行を妨げようとする魔性の事ではないかという考察があるんですね。つまり修行によって極限まで心身を追い詰めた時、魔性というものが火の雨に見えたりするのかもしれないという事です。確かに、山の中で何十日も籠って修行していたら幻覚の一つや二つ見そうですよね。ありえないと思うなら山に籠ってやってみろ、と怒られた気分です。
シレっとこういう鎖場も出てくるので油断なりません。
不動明王が見えてきたら
その先に小屋発見。
10:00 洞辻茶屋
洞辻茶屋到着。道自体を覆っている大きな小屋です。
縁台で休憩させてもらいましょう。
休日は小屋番さんがいるのでお菓子やインスタント食品が買えます。私も小腹がすいたのでどん兵衛を購入。いただきます。
洞辻茶屋から先にもいくつかの茶屋が存在します。
「だらにすけ」の看板が目を引きます。だらにすけとは陀羅尼助のこと。洞川で伝えられてきた千三百年の歴史を持つ胃腸のお薬のことで、通称ダラスケ。江戸時代の川柳には
だらすけは 腹よりはまず 顔に効き
と詠まれています。苦みが強いということを伝える句ですね。名前の由来は、僧侶が陀羅尼(呪文)を唱えるとき眠気覚ましに口に含んだためとか、陀羅尼経のように有り難い薬効があるからだとか……。
キハダの木の皮を主成分としたこの薬の製法も役行者が伝えたと言われています。役行者以来、山伏と薬は切っても切れない関係。薬を授けることも山伏にとっては重要な宗教活動の一つとなりました。
大峰山以外の霊山でも同じような薬が伝えられています。例えば信州木曾の百草、伯耆大山の練熊などです。これらの薬もキハダのエキスからできているんですよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
今でもこうして陀羅尼茶屋があるのは、修験道が医術を内包していたことの証左ですね。
11:10 鐘掛岩
山上ケ岳の表行場のひとつ鐘掛岩に到着。
まさに岩壁。ガチ登攀の様相を呈してきました。一応迂回路もあるのでわざわざここを登る必要も無いのですがせっかくなので挑戦してみたいと思います。
緊張感はありますがつかみどころも多く、中盤まではスイスイ登れました。問題が起きたのはラストの鎖場。足をかけるところがほとんどなく、鎖に身をゆだねなくては登れない場所があったのですがここが通れない。ザックの頭が岩に干渉して身を乗り出せないのです。鎖には手が届きますが体全体を移動させるためには鎖にほぼ全体重を預けなくてはいけない状況。それはあまりにリスキーすぎます。もし足が置けなかったら鎖を握って宙ぶらりんですからね。事故はこういう状況で賭けに出た結果起こるのかもしれない……と冷静になり、ゆっくりと引き返しました。鐘掛岩、強い……!
鐘掛岩に跳ね返された後は迂回路を使って山上ヶ岳を目指します。一般登山道で登攀できずに諦めるという事が初めてだったので地味にショックです。これが敗北感。命あっての物種、という事にしておきましょう。
……チィ(メ゚皿゚)
山道を歩き等覚門に至ります。等覚とは、仏の心に近づき、仏に近い悟りを得た境地の事。くぐるのが畏れ多い門ですね。
宿坊が視界に入りました。山上ヶ岳は近いです。
11:35 西の覗き
不動明王の石仏が立つここは西の覗き。
この断崖から吊り下げられるが如く身を乗り出してお祈りをすると言う日本三大荒行のひとつ。先人達の問いかけすべてに「はい!」と答えるまで吊るされ続ける常軌を逸した荒行です。特に案内の人もいなかったので実際に修行体験はできませんでしたが。
問いかけの内容は「親孝行しなさい」「下山後も生活をしっかりしなさい」「同僚と仲良くしなさい」というもののようです。生活や仕事の事を言うのは、いま自分がやらなければならないことをはっきりさせるため。修行はその後の人生を豊かにするためのもので大事なことは山から下りてからの家族や職場の人間との付き合い方です。仕事を捨てての修行などは道楽であるというのがこの行で強調されるところですね。仕事をやめて旅をしている私にとっては耳の痛い話(^-^;
修行と生活倫理が同居しているのも修験道の特色のひとつです。
西の覗きは捨身行の名残で、崖から身を乗り出すことで精神的な捨身を行います。捨身のルーツもやはり役行者です。役行者は17歳の時に大峰山に入り衆生の救済を祈願。「その願いがかなわないならば命を捨てる」と深い谷に飛び込みました。しかしそれで命を落とすことはなく悟りを得ることができたというお話です。
11:45 第67靡『山上ヶ岳と大峰山寺』
西の覗きから10分ほどで山上ヶ岳もとい大峰山寺に到着。百名山『大峰山』の代表的ピークの一つです。深田久弥氏の日本百名山においても大峰山の解説ではこの山上ヶ岳に関して記述の多くを割いていますが、女人禁制という事もあって百名山としてのピークは最高峰の八経ヶ岳を指すことが多いです。
金峯山秘密伝ににある蔵王権現の出現譚によると、熊野から順峯で山上ヶ岳に至った役行者は、この山が三世の諸仏が集まる山だと感知しました。乱れ切った世の中を正す主尊を顕現(濁世降魔)させようとしたところ、釈迦・千手観音・弥勒菩薩と次々に仏が出現しましたが、役行者はそうした優しい仏ではならぬと降魔に応じません。すると恐ろしい形相の蔵王権現が顕現し岩の上に立ったのです。
石鎚山の本尊も蔵王権現なんですよ( •̀ᴗ•́ )
12:40 第66靡『小笹ノ宿』
第66靡『小笹ノ宿』
赤い建物は行者堂で奥の建物は小屋です。
小屋の中はこんな感じ。寝るには十分ですね。近くには沢が流れていて水にも困りません。
小笹ノ宿から40分ほど歩くと
女人結界を抜けました。南側の女人結界門がここです。広大ですねこの結界は。
まだまだ続くよ奥駈道。
次は大普賢岳を目指して歩いていきます。
14:40 第63靡『普賢ヶ岳(大普賢岳)』
第63靡『普賢ヶ岳(大普賢岳)』へ到着。小笹ノ宿からは2時間ほどですか。結構疲れましたね。足もまだ登山2日目という事で慣れていないのか靴に締め付けられる感じがします。血行を良くするためにも登山靴を脱いで大休止。足をもみほぐします。
大普賢岳からは大峯山寺の屋根まで見えるというのですが今回は確認できませんでした。雲が大峯を覆い始めています。
稜線を境に東側が雲で埋まっています。雨など降らなければ良いですが。しかし急いで体を痛めても仕方ありません。40分ほどたっぷり休憩を取って行動再開です。いやかなり休みましたね!?
弥勒岳を突破。ここから奥駈道の過酷さを味わうことになります。鎖や梯子のラッシュ。激しい昇り降りを繰り返します。
本日最大の難所を前に大普賢岳で大休止をとったのは正解でした。
鎖をもって壁にへばりつくように進みます。そんな道ばかりです。゚(゚^ω^゚)゚。
道幅も狭くて鎖場でなくても神経を使う所が多いですね。自然に口数も減っていきます。弥勒岳あたりではまだ
風穴!!!
など冗談を言っている余裕がありましたが。
湿っていて岩も木の根もツルツルです。
滑落注意。
16:20 第60靡『稚児泊』
第60靡『稚児泊』
テント泊適地のようですが今日の宿はまだ先です。
七つ池。役行者が大峯奥駈道を拓いて久しく人通りの絶えて荒れていた道を再び開いたのは理源大師聖宝。その際、聖宝が大蛇を退治したのがここ七つ池だと言います。水はありません(。◔‸◔。)
森の中を無心で進んでいくと
突然視界が開ける木橋に出ました。
大普賢岳を出発してからずっと森の中にいたのでちょっぴり感動です。
16:40 第59靡『七曜岳』
第59靡『七曜岳』に到着。休憩は無しです。先に進みましょう。
これは真横の写真ではなく見下ろした写真。怖い怖い。
宿も近くなってきましたが油断せずに行きましょう。
もう急登は勘弁。
本日の宿泊地は行者還ノ宿。その手前10分くらいの場所に水場があるので汲んでいきます。
これが水場なのですがーー
これは汲むのに時間がかかりますね。゚(゚^ω^゚)゚。
18:20 行者還小屋
やっとの思いで本日の宿泊地の行者還小屋に到着。いやなんて立派なログハウス!これで避難小屋ですか(꒪꒳꒪;)
到着時、外にテントが張ってあったのでまさか小屋内は満員かと身構えましたがガラガラでした。テントを張っていたおじさんは「せっかくテントを担いできたから張った」とのこと。安心しました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
小屋内で荷物を下ろしたら即ゴロン。さっさと夕食を済ませて長く睡眠時間を確保した方が良いのですがこのゴロゴロタイムは譲れません。今日も一日頑張ったなと自分を褒めてあげる時間です( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
しかし二日目にしてこれだけの疲労度。あと四日間歩き通せるのやら……(。◔‸◔。)
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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