2022-9-25
昨日ようやくその姿を視認した鳥海山。本日はその登山口まで向かいますがその前に白瀬南極探検隊記念館に寄ってきました。南極という大冒険。それを明治の時代に行った男たちの物語です。
道の駅 象潟 ねむの丘
道の駅 象潟 ねむの丘からおはようございます。休憩室はこの豪華さです。ベンチが大きいので寝るに苦労はしませんでした。電源が使えないことがネックですがさすがに望みすぎか。
さて昨日はカブ日本一周勢のあきやまさんとお会いしたんでした。実はこの休憩所ではあきやまさんだけでなくもう一人、自転車で日本一周している方がいて我々三人でおしゃべりしながら夜を過ごしていました。自己紹介せずに話していたのでお名前把握していないのが今になってもったいなく感じてきました(๑-﹏-๑)
なんか途中で『自称旅人の友達が多いおじさん』が会話に入って来て、「あの旅人に奢ってあげた」「あの旅人はいまどこにいる」など自分の話ばかりするもんですからスマホいじりながら寝ころんじゃったんですよね。そのままお開きになる流れになったのでチャリダーの方の名前を聞きそびれてしまいました( ´﹏` )
「おっ旅してんの?」みたいな話しかけ方してくるおじさん、100%自分の話がしたいタイプです。自分のしたい話をしたい話のタネをまくために一旦会話を私に振るんですけど大抵途中から「俺もこのまえ~!」と話が止まりません。タチが悪いのが私も自分の話がしたいタイプの人間という事です。
自分から話を振っておいて私の話を聞かないってどういうこと!? と
自分の話がしたい奴 VS 自分の話がしたい奴
が始まってしまうんですよね。「あ~それ私の場合はァ!ꉂꉂ(˃▿˂๑)」の応酬です。これは本当に不毛なので最近は聞き手に徹する努力をしています。あまりに身勝手な場合は今回のように寝ます( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )zzZ
閑話休題。
今朝は砂の器メロンで豪華な朝食です。
めちゃくちゃ美味い……。
あきやまさんにもメロンおすそ分けしました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
「旅中にメロン丸々一個!?」とあきやまさんは爆笑しています。
朝食を済ませて出発です。今日は鳥海山の登山口まで行かなくてはいけません。距離は大したことありませんが標高を1200mほど上げないといけないので結構過酷な日です:;(∩´﹏`∩);:
それではあきやまさん、昨日はありがとうございました。
残り4日でゴールとのこと。お互い旅が終わるその時まで気を抜かず、そして楽しんでいきましょう!
またいつかどこかで( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
白瀬南極探検隊記念館
鳥海山向かう前に近場の白瀬南極探検隊記念館を見学します。
青森の弘前でお世話になったsuzuponさんにおススメしてもらった場所なんですよね。
ここは、明治の終わりに日本人で初めて南極を探検した白瀬矗(しらせのぶ)たちの繰り広げたドラマと、日本の南極観測隊の歴史と現在について学ぶことができる施設です。
南極探検なんて冒険の極致でしょう。興味ないわけがありません。
南極と比べるとヌルいですが私もこうして自転車日本一周という冒険チックなことをしていますしね( ˶´ヮ`˵ )
自転車を停めるところを探しているとチャリダーの自転車を発見しました。こちらは昨日道の駅でご一緒した肩の自転車ですね。やはり白瀬南極探検隊記念館にも来ていましたか。旅人は無視できない施設ですよね。
もう先に入っているようなので中で見つけてあいさつしますか。
オイ。゚(゚^ω^゚)゚。
現在9:30なのでもう入れないかと思いましたが、チャリダーの方の姿が見えないので「入館できるのかも?」と思い受付まで行ってみました。
係員さんに聞いたところ団体さんが実際に入場するのは10時からなので、それまでだったら見学可能とのことでした。30分で出ないといけないようです(。◔‸◔。)
入れないよりはマシですね。せかせか見るものではないのですが仕方ありません。30分以内でサクッと済ませますよ。
当時の南極探検隊の装備。服はかなり暖かそうですね。テントはとても厳しそう……。
防寒服はここに展示されているものだけでなく用途に合わせて各種用意していたようですね。展示されている防寒服はカラフト犬の毛皮を二重に縫い合わせたもので、諸々含めた全重量は約10kmもあるのだとか。
南極と比べるのもおこがましいですが冬山(約-20℃)行くのでも服だけでこんなに重くはならないですね。現代技術に感謝。サンキューモンベル……。
テントは基地用と突進隊用がありました。展示されているのは突進隊用ですね。幕の上部は水色の麻布。裾はカーキ布で作ってあるようです。
こちらが日本初の南極探検家『白瀬矗(しらせのぶ)』隊長です。
白瀬隊の探索船となった『開南丸』はあの東郷平八郎が揮毫(毛筆で言葉や文章を書くこと)して命名したものなんですって。そこ繋がりあるんですね(。◔‸◔。)
開南丸は1912年1月16日に南極ロス海ホエールベイ(鯨湾)に到着。同年1月20日に南極点に向かって出発しましたが走行距離282キロの地点で撤退しています。走行期間は9日間でした。
帰国した白瀬は国民から熱い歓迎を受けます。
が、晩年は貧しさにあえいだようです。
南極探検の総費用は推定で12万円~12万5000円余り。対して寄付で集めた総額は7万1800円に過ぎず、40,000円近く(現在の約1億円)の借金は全て白瀬が背負うことになりました。借金を完済したのは白瀬74歳の時。あんまりすぎる(๑-﹏-๑)
南極の氷。
北極の氷は、降り積もった雪が重なって氷になったもの。気泡を含むため遠目には白く見えます。
ペンギンの展示。
ペンギンって目も怖いですし、口内がグロテスクですよね。
まだまだ見たいものは沢山ありますがそろそろタイムアップ。゚(゚^ω^゚)゚。
館内のスタンプラリーだけはちゃっかり終わらし缶バッジをもらいました。
『宇宙よりも遠い場所』通称『よりもい』のパネルをパシャリ。
何にも打ち込んだことのない事をもどかしく思う女子高生玉木マリ(たまきまり)と、母の亡くなった地南極に行くことを目指す小淵沢報瀬(こぶちざわしらせ)の出会いから始まるストーリー。めちゃくちゃ泣ける……というと安っぽく聞こえますね。ただ結果を言うのみにしましょう。最高のアニメです。私は泣きました。
アナタは……どうかな?( •̀ᴗ•́ )
というかこの小淵沢報瀬(こぶちざわしらせ)の報瀬って白瀬矗から来ているんですね。ここではじめて気づきました(。◔‸◔。)
30分だけという事もあり少し物足りないですが退館。
短い時間にしてはかなり楽しかったですね。次はじっくり見たいものです。
チャリダーの方とも会えてお話しできました。
お互いの無事と旅の達成を祈って、お別れです。
またどこかで( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
いざ鳥海山へ
さあ大変なのはここから。地獄のヒルクライムセクションです。海抜ゼロから1100メートルまでかけのぼる鳥海ブルーラインという山岳観光道路を登っていきます。
道中昼食も済ませて現在14時前。戦いのとき来たれり……。
いやキッツイ!!!。゚(゚^ω^゚)゚。
景色楽しむ余裕無し!!!
どこまでも続く水平線。平らなのは良いですね。私はまだまだこの勾配と向き合わないといけません……。
ハァ……
ハァ……
も゛っ……嫌ッ!。゚(゚^ω^゚)゚。
という所ですれ違った車が急停止。運転手さんが駆けつけてきました。
なんとお水を差し入れして下さったんですよね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
わざわざ車停めてありがとうございます!
お礼を言い名刺を渡して別れたのですが……
実はこの頂いた水、飲みかけのボトルだったんですよね。
このことはまた後に物語を生むことになります( •̀ᴗ•́ )
そうしてしばらく進んでいると
見えた! 鳥海山!!!
ということは
鉾立山荘
ゴール!!!
よく頑張りました!
一合目の看板を見てから実に三時間。
毎回こういうヒルクライムの達成感は登山のそれを上回って来るので複雑です(。◔‸◔。)
いい夕日じゃないですか。過酷なヒルクライムを終えた後は夕日が沁みます。
駐車場はあまり車が無いですね。車中泊する人もあまりいなさそうです。
終わってみれば良き一日だった。
本日の宿泊場所はこの鉾立山荘。
なんと私の貸し切りです( ´艸`)
まあ今日は日曜日ですしね。
夕景を撮ろうとしましたが雲に隠れてダメでした。
皆さん残念そう。私もね……。
鉾立山荘にもどって休むとしましょう。広々としてよいですが一人だとそれはそれで寂しいですね。
私の部屋はここです。持て余すよ(˃▿˂๑)
サザエさんを見ながら食事の準備をしているとオーナーさんがビールをごちそうしてくださいました。ごちそうさまです! ビールを楽しみながらオーナーさんと旅や山の話。図らずも孤独な夜は回避できましたね。
食事も済ませてほろ酔い気分で就寝。
明日も朝は早い……。ということでおやすみなさい( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
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