2023-10-10
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」とはお遍路における阿波の難所を示したものです。その焼山というのが今日打つことになる十二番札所『焼山寺』です。標高938mの焼山寺山、その8合目あたりにある焼山寺は四国霊場では2番目の高さにある山岳霊場です。ヒルクライムは、避けられないという事……!
体調に違和感を感じます
西麻植児童公園からおはようございます。さすがに日が無い時は冷えるようになってきました。本格的な冬になる前に旅が終わるか心配になってきた今日この頃です。
心配といえば、なんだか喉が痛いんですよね。それに誘発されるかのように体のだるさも出てきてしまって……。もしかして風邪? いや風邪ならまだいいですが。最悪コロナやインフルエンザとなったら非常に手間がかかります。
幸い熱もなくちょっと違和感を感じるくらいで。こんな旅をしていると体調を崩す要因はあり過ぎて何が悪かったのかは特定できません。それでも喉が痛いというのはかなりレアケースなので何か普段とは違う事をしているはずです。
最近した普段とは違う事……。
まさか……。
般若心経か?
普段と違う喉の使い方しているのは般若心経の時くらいしか心当たりがありません。まだ上手く読めないので大きな声を出すのが恥ずかしくってくぐもった声で読んでしまうんですよね。それが喉に良くないのかもしれません。早く上手くなりてェ……(向上心)。
体動かすのは問題ないのでさっそく十一番札所へ向かいますか。
【十一番札所】金剛山『藤井寺』
十一番札所『藤井寺』への案内板が出てきました。遍路道は歩きと車でしばしば分かれます。
山門
十一番札所『藤井寺』は三方を山に囲まれた渓流の清らかな仙境です。
柄杓の並びが美しい手水舎だ。
本堂
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
本尊は平安時代末期の仏師・経尋の作で、国の重要文化財に指定されています。制作年・作者が明らかな基準作として貴重なんですよね。年号が分かるものとしては四国最古の仏像になります。像内部の墨書銘から「仏師経尋、尺迦仏、久安4年(1148年)」などが読み取れることから元々は釈迦如来として制作されていたものも、後に薬壺を持つ薬師如来に作り替えたと推測されます。なんか、仕事のしがらみを感じますね。納期、仕様変更……。
もとは真言密教の道場として隆盛を誇りましたが天正の兵火(1578〜1780)の兵火によって全山を焼失し衰退しました。四国の寺社、天正の兵火で焼かれまくってますね。1674年に臨済宗の南山国師が入山して臨済宗として再興しました。
1832年に再び火災に遭い、1860年に再建されたのが現在の伽藍なのですが、本尊は二度の火災を免れたこともあって厄除け薬師として信仰を集めました。台風で落ちなかったリンゴを「落ちないリンゴ」として縁起を担いで受験生に贈る、みたいなやつだ。
本堂の天井には龍が描かれています。本堂の中を覗き込むように天井を撮るのもどうかと思ったのでこんな写真です。描かれているんだなぁという事だけ分かればOK。龍には雲龍という名前がついていますが、龍は雲を呼び雨を呼ぶという事で、守り神として寺が火災に遭わないように書かれているとのことです。このお寺は何度か燃えていますから切実な話だ。雲龍は鳴き龍のようで、手を叩くと響くようです。
大師堂
弘法大師は42歳の厄年にこの地を訪れ、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を刻み、堂宇を建立しました。また現在の境内から200mほど山中に入った岩の上に金剛不壊という堅固な護摩壇を築いて一七日(一週間)修法し、その堂宇の前に五色の藤を植えました。これが金剛山藤井寺の由来になっています。
納経所
納経所では三番札所あたりからずっと顔を合わせている歩き遍路のお兄さんとまた会ってお互い笑ってしまいました。なんで私は歩き遍路の方と同じペースなのか( ´艸`)
面白いのが六番札所でツーショットを撮った外国の方ともペースが同じなのでここでもまたお会いしたんですよね。歩き、自転車、車でなんでみんなペースが同じなのよ。偉いのは歩き遍路のお兄さんですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
また次の札所で再会しそうです。
しかし次の札所『焼山寺』までの道が「遍路ころがし」と呼ばれる、初心者お遍ラーに立ちふさがる最初の壁なんですよね。歩き遍路の方々は藤井寺境内から始まる焼山寺を歩いていきます。
NEXT☞ 十二番札所『焼山寺』(遍路ころがし)
次の札所までの距離:約12.9km
移動時間(徒歩):約6時間
過酷なチャリダーころがしの道
藤井寺境内からの遍路道は歩き専用。自転車の私はいったん国道192号線まで戻って来てすき家でエネルギー補給タイムと行きます。焼山寺まで直接向かってしまうともうほとんど補給ポイントがありませんからね。メガ盛りカレーを食べて焼山寺までのヒルクライムに臨みます。
そう、ヒルクライムなんですよ焼山寺までは。「遍路ころがし」というのは藤井寺から焼山寺までを直接つなぐ古道の事なので歩き遍路専用の言葉なのですが、だからと言って車道から行く道が楽々快適化と言われれば全くそんなことはなく。
焼山寺山中腹の標高705 m付近にある十二番札所はどこからどう行くにしてもコツコツと標高を稼いでいかなくてはなりません。獲得標高1000m越えの県道43号線から往く焼山寺までの道は「チャリダーころがし」と呼ばれています(私が勝手に呼んでいます)。
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」とはお遍路における阿波の難所を示したものですがこの焼山寺までの道はお遍路全編を通しても最も過酷な道と言われています。まあネットで調べても遍路ころがしの大変さしか出てこないのですが、車道も腹立たしいほど大変であることは、誰かが伝えなきゃ……!(使命感)
登坂に入ったらもう文明の類はないものかと思っていましたが自販機や快適な休憩所もありますし行き倒れることはなさそうですね。少し息を整えてから再び漕ぎ始めます。
あああああああ!!!!!!!
完全に登山口へアクセスするのと同じ苦しみを味わっています。鳥海ブルーラインを走った時の記憶が蘇りますよ。登山口に向かうのと違って登山という報酬がありませんが。
微妙に体調が悪い日に限ってお遍路の難所とはツイていないのか、それともこれも大師の導きか。悪化しないことを祈ります。
しかし本当、登山するわけでもなく、四国を一周するのに絶対通らないといけない道でもないのにこんな山越えをしている自分の状況が訳が分からなくなりますね。
焼山寺までのヒルクライムが腹立たしすぎて何度その名の通り山を焼いてやろうかと思ったか知れないのですがマジで山が火の海になったことが名前の由来なのです。
ようやく後1kmちょっと。゚(゚^ω^゚)゚。
【十二番札所】摩廬山『焼山寺』
くぁ~~~!!!
やっと到着しました焼山寺、の駐車場!
麓からここまで3時間半かかりました。時間で言えばそれほどかかってもいませんね。早池峰、鳥海山、那須岳あたりと比べると流石に楽ですが比較対象にこいつらが挙がる時点で普通の道路じゃありません。
駐車場から境内まではさらに10分ほど歩きます。平坦な道の散歩は逆に体力が回復するので気持ちがいいですね。
お天道様もここまで頑張って登ってきた私を褒めて下さっとるわい……。
山門
本当に「ようやく」という感じです。ようやく、到着しました十二番札所『焼山寺』!
四国霊場の中では2番目の高さにある札所です。納得。
さっそく境内に入るとしますか。
美しッ!
ここまでの苦労が報われるような景色で迎えてくれました焼山寺。サンキュ( •̀ᴗ•́ )
何?
石燈籠にお人形さんが座っていたんですけどシュールですね。
遍路ころがしを登ってきた歩き遍路も、チャリダーころがしを登ってきた自転車遍路もジュースでも飲んで一息入れましょう。こういう山寺に自販機があるの助かりますね。
手水舎のデザインがナイス。
本堂
本尊:虚空蔵菩薩
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
焼山寺の開基は修験道の開祖とされている役小角(えんのおづの)、またの名を役行者(えんのぎょうじゃ)です。役行者! 大峯奥駈道を開いた飛鳥時代の呪術者ですね。
役行者が山を開き、蔵王権現を祀ったのがこの寺の始まりとされています。でもこの山は神通力を持った大蛇が棲む魔域で度々災いを起こしては人々を苦しめていたのです。その大蛇を退治したのが弘法大師と虚空蔵菩薩の加護でした。
こういった縁起あって本尊は虚空蔵菩薩なのですがその真言が難しい……!
これを三回唱えるのですが
噛むて
「きゃしゃ きゃ」で絶対噛みますね。これまでの真言より長めですし一筋縄ではいきません虚空蔵菩薩。
大師堂
前述のように元々魔境だったこの山ですが、弘法大師はそんな場所だからこそ仏法鎮護の霊域とするべきと開創のために山に登りました。それを恐れた大蛇が山に火を放ち大師の道を阻みます。しかし大師が「摩廬(梵語で水輪の意)の印」を結び、真言を唱えながら進むと火は徐々に消えて、ついに9合目あたりで大蛇が姿を現します。ラスボス戦だ。大師が一心に祈願すると虚空蔵菩薩が現れ、その加護をもって大蛇を封じ込めることに成功。これが摩廬山『焼山寺』の山号寺号の由来です。
この伝説は大師が虚空蔵求聞持法の修行を行ったことを示すものだと考えられています。虚空蔵求聞持法は無限の記憶力を身に付けることができるという修行法で、そのやり方は虚空蔵菩薩の真言を100万回唱えるというもの。笑った。今日日、なになにを100万回やれ!なんて冗談でも言いませんよ。仏教の荒行、数字がぶっ飛んでいて笑うんですよね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
疲れたので一服しますか。タバコは持っていないので休憩するだけですが。
というかガッツリ境内内に喫煙所があるの驚きました。ここ大師堂の目の前ですよ。喫煙者に寛容でありがたいお寺です。”焼”山寺だからかな(何が?)。
納経所
締めに御朱印と墨書をもらいましょう。
ここで今朝藤井寺で会った歩き遍路のお兄さんとまた会いました。笑う。焼山寺も同着ですか。
再開にひとしきり笑ったら納経所へ入ります。
納経料を払う時になってビックリしました。なんと500円です。
コロナ禍以降、神社で御朱印をもらう時の初穂料がシレっと300円から500円になっていることに憤っている私。これまでの札所はどこも納経料が300円だったのでかつての神社を思い出してホッコリしていたのですが、焼山寺、カマしてくれましたね……! 他の札所も警戒しておかないといけません。300円だと思ってトレーに先払いして待っていると、納経帳を返してもらう時に「500円です」と言われて恥をかくことになります(・`_´・)
休憩所はめちゃくちゃ快適そう。
さて参拝も終了して現在15時。
次なる札所は山を下った所にあるので焼山寺へ来るよりは楽に行けそうですが、17になると納経所も閉まりますからね寺の周りは野宿しにくそうなので神山町あたりで今日は行動終了しておきますか。
なんだか雲行も怪しく、少し寒いので早く休みたい気持ちです。体調が悪化しなければ良いのですが。ここまで来て何を言っているんだという感じですけど。
NEXT☞ 十三番札所『大日寺』
次の札所までの距離:約20.3km
移動時間(徒歩):約6時間20分
番外霊場『杖杉庵』を見逃しちゃったねぇ……
ヒルクライムの鬱憤を晴らすように景気よく坂を下っていたのですが、焼山寺山の中腹あたりにある番外霊場『杖杉庵』を見逃してしまいましたねぇ……。振り返って見れば視界に入れた記憶はあるんですが慣性のままに坂を下って行ってしまいました。
せめて写真に撮っておけばブログも書きやすかったのにと少し後悔。番外というように別にお遍路で絶対回らないといけない場所ではないのですが、面白い伝説があるところだったのでできれば寄っておきたかったんですよね。
番外霊場『杖杉庵』は四国遍路の元祖と伝わる右衛門三郎が行き倒れた地だとされています。
右衛門三郎は伊代に住む強欲な長者。あるとき行脚中だった僧が托鉢を求めたのですが、三郎はそれを拒み鉄鉢を投げ捨てました。その後、三郎の家では不幸が続くことになります。八人いた子どもが毎年一人ずつ亡くなり、八年目には全員亡くなってしまいます。三郎が悲しみに打ちひしがれていると枕元に弘法大師が立ちました。ここで三郎あの時の僧が大師だったことに気づき、なんという事をしてしまったのだと後悔します。懺悔の気持ちから三郎は大師に謝罪するためお遍路を始めますが、20周しても大師に会うことができません。21周目に今度は逆打ちをしましたが焼山寺近くで行き倒れてしまったのです。その時、倒れた三郎の前に大師が現れ三郎の罪を許します。さらに大師は三郎の「来世は功徳を積みたい」という願いを聞き届け、路傍の石に「衛門三郎再来」と書いて三郎の手に握らせました。葬られた三郎の杖から芽が出て杉となったのが番外霊場『杖杉庵』なのです。
罰厳しくない?
この伝説から大師は今も四国を回っておられて、お遍路を続けるうちにやがて大師に巡り合えるという信仰に繋がっています。反時計回りにお遍路をする「逆打ち」には3週分の御利益があるなど「順打ち」よりもありがたいという風潮ありますが、それもこの伝説に端を発するのかもしれません。大師は順打ちをしているので、逆打ちをすれば必ず会えますからね。
そんな番外霊場『杖杉庵』を見過ごして国道438号線に出てきました。ファミリーマートがあったのでイートインで早めの夕食がてら休憩させてもらいますか。
日が暮れた頃に道の駅 温泉の里・神山に到着。久しぶりに道の駅で一夜を過ごさせてもらいましょう。今日は疲れた疲れた(๑-﹏-๑)
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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