2019年10月に燃えてしまった首里城。3年前の沖縄旅行で一度見たことはあるのですが、復興がどれだけ進んでいるのかという興味もあり今回再訪しました。当時は気づかなかった城内にある御嶽にも興味がありますしね。
そうして興味が持てるのもフボー御嶽や斎場御嶽に行ったおかげです。
レッツ首里城
いい天気! 今日は自転車に乗って首里城に行ってこようと思います。首里城の燃えた3年前に行ったことがありますが、当時と比べて復興がどれだけ進んだか見るのは有意義な時間になりそうです。
首里城までの起伏の多さを舐めていました。この景色、坂の街小樽を思い出します。10kmで標高を200mも上げるという時点で嫌な予感がしましたが、予想通りの傾斜のきつさ。バスで行けばよかったかもと若干の後悔です。
軽荷の自転車でこのキツさ。荷物を外してきてよかった……。
首里城公園
三年前どこから首里城にアクセスしたのか全く覚えていないので始めて来たかのような感覚です。
復興状況も当時とは全く違うでしょうから本当に知っている景色があまりないかもしれませんね。
陽射しが強いですがその分木陰が気持ちいです。
デカイクレーンのおかげであそこに正殿があるんだなという事が一発で分かります。
京の内
首里城内の聖域である京の内。琉球開闢神話における聖地である御嶽も存在する、城内最大の信仰儀式の場でした。
京の内は復元されたもので内部4か所の御嶽も18世紀前半を想定して復元されています。
廣福門
廣福門をくぐって券売所に向かいますか。「廣福」とは「福を行き渡らせる」という意味。建物そのものが門の機能をもっているのが特徴です。
門の正面に向かって左側が、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座」、右側が神社仏間などを管理する「寺社座」という役所になっていたんですって。
下之御庭
何だか広いところに出ました。この広場は下之御庭といいます。首里城正殿前の広場を御庭と呼ぶのでその手前、というか下であるここは下之御庭にあたるということですね。
ここまでは無料で観覧することができます。ここに首里城の有料区間へ入るための券売所があるので買っておきましょう。
大龍柱
下之御庭には他に大龍柱が見られます。与那国町産の細粒砂岩で作られた大龍柱は首里城正殿の大きな特徴の一つ。火災後もなんとか崩れることなく立っていましたが、さすがにひび割れなどの損傷が多く、補修を行いました。大龍柱は今後は新しく製作されるのでその見本としての活用されます。また火災の歴史を後世に伝えるための歴史的遺物としての展示も予定されているようですね。
首里森御嶽
沖縄と言えば御嶽!(そんなことはない)
京の内で説明したように首里城にも御嶽は存在するんですよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
その名も首里森御嶽(すいむいうたき)。下之御庭の中心になる小さな森です。城内にはここを含めて10ヶ所の礼拝所があったとされ、それらは十嶽(とたけ)と呼ばれていました。琉球王国時代、首里森御嶽は重要な儀礼の際に拝まれる場所で、城内で最も格式の高い拝所と言われています。
フボーや斎場といったスケールの大きな御嶽を見て来たので広場にポツン佇む首里森御嶽はとても異質に感じますね。入れないように囲まれた禁足の森。八幡の藪知らずを思い出します。
フボー御嶽のように入りがたい空間は聖域に思えますが、このようにキッチリと空間が仕切られると異界に思えますね。鳥居の向こうは異界という神社と同じ世界観を感じます。
下之御庭はだいぶ楽しみました。チケットを買って有料区間に入っていきましょう。
奉神門
有料区間はこの奉神門をくぐった先です。奉神とは「神をうやまう」という意味。この門は別名「君誇御門」ともいいます。
下之御庭から門に向かって左側は薬・茶・タバコなどを扱った「納殿」。右側は城内の儀式などに使われた「君誇」という部屋になっていました。3つの入口のうち、中央は国王や中国からの冊封使などの身分の高い人だけが通ることができました。
神社の世界観ですねぇ。参道の真ん中は神様の通る道だから橋を歩けという作法を思い出します。参道の真ん中を歩くやつはアホや、と何かの番組で千原ジュニアも言っていました(▼∀▼)
奉神門を通た瞬間、目の前にはイラスト正殿が目に入ります。正殿は首里城で最も中心的な建物。木造の三階建で、一階は主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は国王・親族・女官らが儀式を行う場でした。
はやく復元した後の首里城も見てみたいですね。首里城って今回の火災だけでなく今までも何回も燃えているんですよ。最新の首里城は沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデル1992(平成4)年に復元したものです。
現在は作業風景が見られるようになっています!
首里城には3年前、火災のあった3か月後くらいに来たことがあるのですが、当時はこんなものありませんでしたからね。仮組の足場でなんとか廣福門あたりまで行くことができたくらいで本当に見るも無残な姿でしたから。
龍頭棟飾
首里城正殿の屋根にあった巨大な龍の装飾。多くの焼物を組み合わせて作られています。
その残骸が展示物として並べられていますね。
龍の瞳は初めて見ました。残骸でもないと首里城の装飾物を間近に見る機会はなかったでしょうね。
復元最中とはいえこうして別のアプローチから首里城を鑑賞できる場を設けているのは素晴らしいことだと思います。
火災を耐え抜いた大龍柱カッコよすぎる。
作業風景を地元の高校生が撮った写真が通路に並べられています。
~休憩~
東のアザナ
休憩したら東のアザナへ行きましょう。
標高約140mの位置にある物見台。首里城で最も高い位置にあり、その名の通り城郭の東端に築かれています。正殿復元の現場が良く見えます。
スカッとする見晴らしですね。天気も良くてさわやかな気分になります。
東のアザナはなんだか迷宮めいていて好きですよ雰囲気。
ガマ遺構
崖地の下部に見える石積みの奥には洞窟状のガマ遺構があります。ガマは沖縄に何千と存在する石灰岩の鍾乳洞ですがこれは人力で作られているんですね。この遺構は「ウシヌジガマ」と呼ばれ、首里王府の女官達が息抜きの場として使われたという伝承があります。
この一帯に2か所の御嶽が存在した可能性があるようです。
先ほど登った東のアザナを見上げます。
これ以上進むと首里城の外に出てしまうみたいですね。引き返して順路に戻りますか。
最も好ましいタイプの東屋みつけてワクワク。テント張るのも野ざらしで寝るのも自由自在。首里城内で野宿することなんてありませんが(。◔‸◔。)
そろそろ駐輪場に着きますね。しかしなんだこの既視感……。
あ!!!
三年前に来たところだ!
夕方に来てぶらっと回っていたらここで完全に陽が暮れちゃったんですよね。
見覚えある~。こんなところまで今は自転車で来ているんですから訳が分かりません。
休憩所で飯食ったなぁ。一気にかつての記憶が蘇って一人でウケていました。
いやぁ首里城、改めて見ると全く違う視点で見られて面白かったですね。3年前に来たときは御嶽なんて全く注目していませんでしたもん。これも他の沖縄の名所も回ってきたからこそ得られた視点ですね。
その時の自分の知識量によって見方も変わる。この日本一周で訪れた場所を将来再訪するときに今度はどのように感じるのか今から楽しみです。
原付は禁断の味
日が落ちる前にやすぼぅハウス帰還。
糸満の夕日はとても美しいと思います。
話の流れも何もあったものじゃないんですが、この石敢當という札、沖縄でめっちゃ見るんですよね。初めて見た時はそういう苗字の名札かと思いましたがあまりにもたくさん見かけるので気になっていました。やすぼぅさんに聞いても「え、わからない」とのこと。やすぼぅハウスにも置いてあるのですが。゚(゚^ω^゚)゚。
調べてみるとこれは「いしがんとう」という魔除けで、沖縄に伝わる魔物であるマジムンを撃退するためのもののようです。マジムンは直線にしか進めないとされているのでT字路やY字路に突き当たるとそのまま壁をすり抜けて侵入してくると考えられています。そういう突き当りにバリアとして石敢當をおいているんですね。スッキリしました。
夕景を撮ったあとブログ執筆に取り組んでいると
夕飯、から揚げするんだけど足りない材料買ってきてくれない?
とお使いをお願いされました。夕暮れの散歩がてら行きますかと思って了解すると……
なぜか私は原付にまたがっていたんですね。
免許もってるっしょ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
という事で原付を貸してもらいました。まさか旅中に原付に乗ることがあるとは。バイクの中免も持っていますが原付は乗ったことないんですよね。いや、教習で一回あったか? くらいのおぼろげな記憶。まあすぐそこですから体験という事で借りてお使いに行ってきました。
これはヤバイ
自転車で日本一周している時に味わったらいけないやつですね。漕がなくても進む二輪、快適すぎます。坂道でも疲れませんし。この感動は一刻も早く忘れなくては。自転車に乗った時に「なんかやたらと体力使うなこの乗り物」とか思ってしまいそうです。
感動の原付体験を終えて帰宅したらBさんももう帰ってきていました。唐揚げの調理はBさんがやってくれます。私は皿洗いと米炊きでもしますかね。
出来上がった唐揚げがこちら。よだれが垂れますね。旅中、手料理で揚げ物を食べられる機会なんてそうそうありませんよ。Bさんに感謝です。大量のから揚げを突きながらお酒を飲んで語り合う。贅沢な時間ですね。とっても美味しくてご飯もすすみました。ご馳走様です。
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