2023-9-27
かれは、海の輝きに眼をむけながら、熱海線の開通が、東海道線を名実ともに日本の大動脈とさせるのだ、と思った。
闇を裂く道:吉村昭
闇を裂く道はあるトンネル建設について描いた吉村昭の歴史小説。舞台は東海道本線の熱海駅ー函南駅間にある丹那トンネルです。16年の歳月をかけて開通したこのトンネルの建設工事では作業者だけでなく、トンネル直上にある丹那盆地に住む人々にも大きな災いが降りかかりました。今日はそんな「闇を裂く道」にゆかりのある場所を回りながら三島から熱海へと抜けていきます。鉄道トンネルなので自転車で通過できないのが残念。
4日間お世話になったUさん宅を出発
もはや見知った天井。Uさん宅にて4回目の朝を迎えました。今日からようやく自転車旅の再開となります。UさんMさんにはずっとお世話になりっぱなしの静岡編でした。
山を筆頭に多くの観光に連れて行って頂き、その間食事や寝床の世話までしていただいて本当に頭が上がりません。出発前にはお弁当としておにぎりまで持たせて頂くという。何から何まで本当にありがとうございました!
北海道で結んだご縁がこうして静岡まで繋がったことがとてもうれしかったです。こういう再会が旅の醍醐味だと改めて実感しました。お二人のおかげでとても楽しい静岡滞在でした。改めてありがとうございました。無事に旅をゴールして、またどこかでお会いしましょう( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
静岡の名物ハンバーグ屋さん『さわやか』
Uさん宅を出発して目指すは熱海。本州編の終わりも近いですね。
ただ静岡を出る前にこいつを食っておかなければ嘘でしょう。
という事で「静岡と言ったら」なハンバーグ屋さん『さわやか』にやって参りました。開店30分前に来たんですけどもうお客さんが沢山待っています。整理券を受け取って時間を潰します。平日に整理券が配られるレベルなんですか!?と大変驚きました。人気具合は聞いていた以上ですね。
30分待ちで11:30に入店。初めてのさわやかですから王道メニューを注文します。
それがこちら
げんこつハンバーグ
デッケェ肉の塊を目の前で二つに切り分けて鉄板に押し付け熱を通します。肉汁の跳ねること跳ねること。ナプキンしっかりガードしましょう。しかしこの豪快さ、たまりませんね。見た目でも音でも食欲をそそられますよ。
肝心のお味はというと
おいしい( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
味も良いんですけどそれ以上に一口の満足感がすごいですね。質量のデカイ美味さ。肉のボリューム感が凄まじいんです。チャリダーのエネルギー源としても最適なハンバーグ。大変美味しゅうございました。
さわやかハッカ飴でお口の中もさっぱり。これで静岡に思い残すことはありませんね。この旅においてはですけど。開山している時に今度は富士山を登りに来なくてはね。
丹那隧道工事 殉職者慰霊碑
さあ、おいしいハンバーグで空腹も満たしたところで移動再開です。
函南から熱海に行くにはちょっとした峠を越えるのですが、その付近に山体をぶち抜いた函南と熱海を結ぶ丹那トンネルという鉄道トンネルが通っています。このトンネルがまた鉄道史に残る難工事で、その開通にかかった期間は16年、工事による殉職者は67名という大変なトンネルです。その殉職者慰霊碑が函南側と熱海側どちらにもあるので今回お参りしていきたいと思います。
私がこのトンネル工事の事を知ったのは吉村昭の歴史小説『闇を裂く道』から。吉村昭作品の聖地巡礼としては二度目になるでしょうか。一番最初は高熱隧道の下ノ廊下です。
日本の大動脈たる東海道本線は丹那トンネルが完成する前は現在の御殿場線を経由していました。この区間は急こう配の為、上り列車は沼津駅で登坂用の補助機関車を連結していたのですが、それでも登坂による速度低下は避けられず、御殿場線の区間は東海道本線において交通流量の妨げとなっていました。丹那トンネルはその問題を解消するために穿たれたのです。
しかし丹那トンネルの工事は困難を極めます。湧水、崩落、地震とあらゆる災厄に見舞われて、7年の予定だった工期は実際には16年かかりました。その中で犠牲になった殉職者は67名。自然を相手にするという事はこれほどまでに厳しいことなのかと闇を裂く道を読みながら思いました。
私などは所詮当時の現場なんて何も分かっちゃいない後世の小僧なのですが、こういう日本を巡る旅をしていて偶然その丹那トンネルにまつわる場所を通りかかるとあったら、慰霊碑に手を合わせに行くくらいのことはしたいと思いますよね。
あまり人の入っている様子はありませんね。慰霊碑までの案内板みたいなのも特に見当たりませんでしたし、Googleマップだけを頼りにやって来ました。
この隙間から入ってきたんですけど絶対正面入り口ではないな……。
慰霊碑の正面にはちゃんと石段もありますし。ただ蜘蛛の巣のガードが張ってあったのでここを下りるとどこに出るのか確認するのはやめました。
まあ長居して写真パシャパシャ撮る様な場所ではありませんし他所事はやめて手を合わせましょう。南無阿弥陀仏……。
では熱海に向かいますか。慰霊碑は熱海側にもあるのでそちらにも参ります。
まったく何も考えずに慰霊碑から冷川を渡って函南駅に来てしまいましたけど逆方向に進んでいました。冷川を渡らなくていい。このまま進んでも熱海に行けるっちゃ行けるのですが超遠回りになるので戻ります。゚(゚^ω^゚)゚。
熱海まで15km。距離としては短い。しかし峠越えがある(メ゚皿゚)
丹那断層公園で北伊豆地震について学ぶ
ジワジワと体力を奪っていくヒルクライムの苦しみに耐え丹那断層公園にやって来ました。まだまだ峠のピークには達していませんけどね。一旦休憩して公園散策をします。ここはただの公園ではないんですよ。丹那断層公園は地球の活動がわかる地質・地形が確認できる場所であるジオサイトで、ここで確認できるのはその名の通り丹那断層の活動跡です。
丹那盆地の南北には直線状の長い谷がありますが、この谷や盆地は過去に何度も繰り返されてきた丹那断層の活動によってつくられたものです。
この断層の最近の活動は1930年に発生した北伊豆大地震です。地震の規模はマグニチュード7.3、震源は丹那盆地付近の地下5km以内という、直下型の大地震でした。
そしてこの北伊豆大地震が発生した1930年というのは丹那トンネルの工事中だったんですね。この地震によってトンネル内では超常的としか言いようのない現象が起きました。
「あの柱は、右側にあったもので、それが左側に移っています。左側の柱は消えています」
支保工長は、とぎれがちの声で言った。
闇を裂く道:吉村昭
切羽(トンネルの掘削面)に組み立てられた鳥居状の支保工(トンネル内部が崩れてこないようにする為の支え)が断層ごと一緒にズレ、左の柱は飲まれて右側の柱だけが残っていたというシーンです。当時トンネル工事は断層に達したために一時中断中。そのタイミングで北伊豆地震が発生したことでこのような恐るべき光景が生まれたのです。
丹那断層公園ではそうした、断層がずれて地形も一緒にそのままずれた地表が保存されています。
断層地下観察室でも断層のずれを観察できます。
トンネル工事中に大地ごとズレる、恐ろしすぎる話ですね。自然はあまりにも雄大で、その活動は人智を越えます。
「もしも、工事を中止せず、あのまま坑道を先に伸ばしていたら……」
闇を裂く道:吉村昭
熱海峠を越えて熱海へ
闇を裂く道を読んでいるからか余計に面白かったですね丹那断層公園。見るべきものを見終わったら再び熱海に向けて自転車を漕いでいきます。
実は丹那断層公園に行くにあたって県道11号から外れてちょっと坂を下ってしまったんですよね。なので元の県道11号に復帰するためにまた下った道を登り返さないといけないのですが……
来た道を戻る、しかも上り坂なんてとても面倒くさいのでより移動距離の短いルートを探してそちらから向かう事にしました。
それが大間違いよ
もう気が狂う程に傾斜がキツイ!!!(´;ω;`)
傾斜がめちゃくちゃキツイのに加えて道の状態も悪いですし押して歩いてもなお困難。3歩歩いては息を整え、というのの繰り返しです。クロックスを履いているので足が汗で濡れると踏ん張りがきかなくなりますし、もう、本当ーー
怒 り
感じたことが無いような激しい怒りを覚えました。夜だったら吼えてましたよ。
県道11号が見えてきたときの嬉しさと言ったら……。二度と横着はしません。゚(゚^ω^゚)゚。
超悪路の急坂から解放されてようやくまともな舗装路に。
トンネルの通過と共に峠のピークも突破。熱海まであとはほぼ下りです。やったね!
命の危険を感じる下り坂『あたみ梅ライン』
熱海市街地まであと4km。ここからはあたみ梅ラインという下り坂に入るのですが……
これが超の付く急こう配。ブレーキレバーはずっと握りっぱなしです。それでもなおスピードが乗ってします自転車。ペダルを漕ぐどころかブレーキレバーを少し離しただけで吸い込まれるように加速してしまします。それに加えてそこそこ交通量が多い!こんなにありがたくない下り坂はなかなか無いですよ。この旅で一番嫌いな下り坂かもしれません。
丹那トンネル殉職碑
しばらく握力が低下するのと引き換えに何とか無事にあたみ梅ラインを下り切りました。この坂は上るのも大変そうですね。二度とは自転車では通りたくありません。
そんな道を通ってやって来ました熱海側の丹那トンネル殉職碑。
こちらは函南側とは違って分かりやすいところにありますね。鬱蒼ともしていないですし。
殉職碑には英語以外に韓国語でも表記が。闇を裂く道を読んでいても「朝鮮系の名前をたびたび見るな」と思っていました。外国人の工夫も相当いたのでしょう。
この殉職碑は丹那トンネル入り口の真上に立っています。草木が邪魔で殉職碑からは線路などよく見えませんが。
殉職碑のすぐそばには丹那神社があるので参拝していきましょう。通路が狭すぎ、自然に侵食されすぎ。゚(゚^ω^゚)゚。
1921年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生しました。坑口から300mの地点で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなり、崩壊から8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の犠牲が出てしまいました。
このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の為、また工事の守り神として坑口上に建立。当初は「隧道神社」と命名されれましたが、後に「丹那神社」と改称されました。
丹那神社右横には救命石という石が安置されています。これは大崩壊のから作業員を守ったというエピソードのある石です。
大崩落から生還した人は、坑内で作業中、ズリ(掘削した残土)を受ける漏斗に大きな石が落ちこれを取り除く作業に時間を取られたことで崩落ポイントからズレ、圧死を免れたのです。このことからその石は救命石と名付けられ今も大切に保存されています。
熱海でチャリダーと遭遇!
あたみ梅ラインを抜け、丹那トンネル殉職碑のお参りを終え、来宮駅に到着する頃にはもう夕日になり始めている頃。熱海を少し見て回るか、それとも小田原まで進むのを優先するかスマホを眺めながら迷っていると前方から大荷物装備した自転車がやって来るじゃないですか。チャリダーセンサーが反応します。これは確実に
チャリダーですね!
久しぶりにチャリダーと遭遇しましたよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
この素敵な笑顔のチャリダーAさんは静岡スタートの旅人さんです。
え、静岡がスタートという事は
なんとAさん、今日がゴール予定日なんですって!
うおお、おめでとうございます!まさか日本一周最終日のチャリダーさんにお会いするとはね。海底ツモでアガった気分です。何はともあれお疲れ様でした。まあAさんはこれからあたみ梅ラインを登っていくという事なのでもうひと踏ん張り必要なようですが。ゴールテープを切る瞬間まで気を付けて、そして楽しんでください! 嬉しい出会いでした( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
熱海の街をぶらり回る
せっかく来た熱海ですからスルーするのももったいないですね。日暮れまでそう時間はありませんが海岸くらいは散歩がてら写真を撮っていきましょう。
熱海と言われて私が連想するのは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード』くらいなもので、劇中に映ったというパチンコ屋のゴリラなんか見てみましたが映画を見たのがはるか昔すぎてピンときませんね。
熱海親水公園へ移動。
南に目をやると熱海城。見晴らしが良さそうです。
ロープウェイが通っているんですね。城へのアクセスは良さそう。
これが天下の熱海の海ですか。中々美しい。
ムーンテラス。
オブジェの近くで写真を撮っておられる方が多くて人が掃けるのに時間を要しました。確かにここら辺は中々のインスタ映えスポットかもしれません。
熱海親水”公園”ではありますが野宿とかできるロケーションでは全然ありません。
熱海で夜を越すのは手間がかかりそうなので暗くなる前に移動しなくては。
日が暮れるまで海岸に居るのもオツなものですけどねぇ。あとで苦労するのでそろそろ出ますか。
熱海と言ったらこの像というくらい有名らしい『金色夜叉』の銅像を確認したら熱海を抜けます。金色夜叉を読んだことが無いのでこの像に感動できなかったのが残念。
熱海、路上にゴミ箱があるのにちょっぴり感動。タイミングが良いのか悪いのか、現在は捨てるものが何もありませんでしたが。
熱海はさすが日本屈指の観光地なだけあってただのコンビニも店構えがオシャレ。綺麗な街ですね熱海。
さあもう暗くなってきました。今日はこのあとちょっぴり神奈川県に進入し、足柄下郡の公園で野宿。明日には余裕で小田原にたどり着けそうですね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
よろしければ以下のバナーをクリックしていただけると大変励みになります。
↑日本一周バナー
コメント