2022-9-19
本日は平泉観光に連れて行って頂きました。
世界遺産を構成する平泉の文化財、大変趣深く勉強になる1日でした。
Oさん宅
Oさん宅からおはようございます。昨晩に今迫ってきている台風の話題になりまして、「危ないから台風が過ぎるまでいたらいいよ」と言っていただきました。お世話になりすぎかもと思ったのですが、台風の中野宿などすると本当に命に関わると思い、ありがたくお邪魔させていただくことにしました。
写真はそんな二日目、朝ごはん中の光景です。
Oさん宅はなんとネコが14匹いるネコ天国なのですฅ^•ω•^ฅ
見慣れない私という人間がいるからかリビングに姿を見せるのは2,3匹ほどでしたが(꒪꒳꒪;)
動物はにぎやかでいいですね。楽しい気持ちになります。
朝ごはんを食べ終わったら今度はなんとOさんの車で観光に連れて行って頂けることに!
台風が近づいてきているからか雲行きが怪しかったので、自転車で観光に行くのは難しそうだなと思っていたところでした。せっかくの機会、お言葉に甘えて是非! ということで本日は観光回です(`・ω・´)b
中尊寺
そうして連れてきてもらったのは中尊寺!
世界遺産平泉の構成五資産のうちの一つがここ中尊寺です。
西暦850年に比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれた中尊寺。その後は12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われます。
弁慶堂
弁慶堂は1827年の建立された勝軍地蔵を本尊とするお堂。古くは愛宕堂と呼ばれていましたが義経・弁慶の木像を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。弁慶堂の弁慶は本当にあの武蔵坊弁慶なんですね。
東物見台
北上川と衣川が望める展望台。平安初期まで、この衣川以北は『外地』すなわち中央政府の支配が及ばない土地であでした。水田となっている一帯は弁慶立往生の地と伝えられています。
薬師堂
1885年に改築。本尊の薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将を安置。また和歌山県の熊野より飛来したと伝えられる熊野権現の御神体を並び祀っています。
青色ポスト目を引きますね( •̀ᴗ•́ )
本寺『中尊寺』
中尊寺とはある一つの寺の呼称ではなく、山全体の総称。ここは本寺『中尊寺』と山内にある17ヶ院の支院で構成される一山寺院です。
中心となる本堂は1909年に再建されました。本尊は丈六の釈迦如来。像本体だけで約2.7mの高さがあり、台座・光背まで含めると総高は5mに及ぶビッグ尊像です。
本尊の両脇には比叡山から送られた『不滅の法灯』があります。
788年に最澄が薬師瑠璃光如来の宝前に灯したもので、一度も消えることなく伝わっているとされることから不滅の法灯と呼ばれています。オリンピックの火かな。
金色堂
中尊寺参拝の大トロとも言うべき金色堂ですがこちらは撮影NG。
実際に訪れてるか、公式ホームページからその威容を楽しんで頂きたく。
かの俳聖 松尾芭蕉もこう詠んでいます。
五月雨の
奥の細道
降り残してや
光堂
全てを朽ちさせる五月雨も、ここだけは降らなかったのかと思うくらい美しく輝いたままだ……。
豪華絢爛。金箔に螺鈿細工。往時の工芸技術が集約された金のお堂。大変眼福でした。
賢治詩碑
マジで賢治は岩手全土にいる。ここ中尊寺に関する詩も読んでいたんですね。
七重の舎利の小塔に
蓋なすや緑の燐光大盗は銀のかたびら
おろがむとまづ膝だてば
赭のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映えかゞやけり手触れ得ね舎利の宝塔
『中尊寺』 宮沢賢治
大盗は礼して没ゆる
大泥棒が金色堂に盗みに入ったが仏の威厳の前に目的を果たすことなく礼のみして去っていく、という詩だそう。確かにそれだけの威厳がありましたねあそこは。まさに「手触れ得ね舎利の宝塔」。俗人に手の出せるものではありません。
これは賢治の直筆を約20倍に拡大して刻んだようです。何も見えん(。◔‸◔。)
旧覆堂
1288年に鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる堂です。金色堂を風雪から護るために建てられたこの旧覆堂は、古い記録には『鞘堂』とも記されています。『大切なものを保護する鞘』は『覆』の文字と共通性がありますね。
善光寺の回向柱を思い出しました。
能楽殿
古くから「古実舞(古実式三番)」と「御神事能」が神前に奉納されてきました。
現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。この能舞台は2003年に国重要文化財に指定されました。
白山神社
中尊寺を開いた慈覚大師円仁が中尊寺北方鎮守のため、この地に勧請したと言われています。
楽しかったです中尊寺。このお寺自体の歴史も面白かったですし、宮沢賢治や松尾芭蕉といった有名人の足跡も感じられて一度で二度三度美味しい場所ですね。
吾朝無双『毛越寺』
お次も世界遺産平泉の構成五資産のひとつ『毛越寺』。
もうえつじ? けごえでら? いいえ
毛越寺と書いて「もうつうじ」と呼びます(๑-﹏-๑)
「つう」!? 所見では読めませんね(。◔‸◔。)
この毛越寺も中尊寺と同じく850年に慈覚大師円仁によって開山。12世紀末期の毛越寺は、堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの壮麗さだったと言われています。その立派さは「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と称えられるほどのものでした。
本堂
毛越寺一山の本堂。本尊は薬師如来で、脇士には日光・月光両菩薩。加えて周りには本尊守護の四天王が安置されています。
大泉が池
庭園の中心には大泉が池があります。池のほぼ中央にある勾玉状の中島ふくめ、池の周辺にはすべて玉石が敷かれています。
開山堂
毛越寺を開山した慈覚大師円仁をまつっています。
両界大日如来像、藤原三代の画像も安置してあります。
嘉祥寺跡
多くが火災で燃えたために嘉祥寺跡のような史跡が沢山あります。歴史的価値はあるのでしょうが目に楽しいものではありませんね。少し寂し気な風景です。
講堂跡
無い……。
なにも……。
金堂円隆寺跡
(。◔‸◔。)……。
遣水
池に水を引き入れるためのもの。遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては唯一のものです。この遣水を舞台に毎年『曲水の宴』が開催されます。
曲水の宴は盃を水に流し、それが自分の前を通り過ぎる間に詩歌を読むという遊戯です。
雅すぎ(˃▿˂๑)
常行堂
本尊は宝冠阿弥陀如来。奥殿には摩多羅神をまつります。毎年正月二十日に古式常行三昧の修法が行われ、国指定の重要無形民俗文化財である『延年の舞』が奉納されます。
州浜
池の東側から多く突き出た州浜は広々とした海岸の砂州を表し、水位の昇降に応じてその姿を変化させます。
空飛ぶお団子『かっこうだんご』
中尊寺に毛越寺と平泉の世界遺産を堪能させていただきました。歩き通しで何も食べていないのでここらへんで腹ごしらえです。連れてきてもらったのは厳美渓。
栗駒山源流の磐井川が悠久の時を経て巨岩を侵食し作り出した岩手の天然記念物です。景勝地として有名な厳美渓ですがここではもう一つ、お団子も有名なんですよ。ここの団子は空を飛ぶので……!
それがこちら『かっこうだんご』です。
着団子🚀 pic.twitter.com/ZWdObWPR3Q
— ほこから@日本一周193日目 (@fawtMT) September 19, 2022
向こう岸に店を構える郭公屋から滑車でお団子を渡すというエンターテイメント性の高い配達で有名です。滑車に吊り下げられた籠に代金を入れ木槌を叩いて合図すると店員さんが人力で巻き上げて対岸へ籠が渡されます。籠にだんごや茶が入れられて動画のように渡されるというわけです。
曇天もなんのその。空飛ぶお団子をお目当てに厳美渓には長蛇の列が並んでいます。私とOさんも並び、あと一組で自分の番という所でーー
黄色い旗が吊り下げられました。
私たち含めて「えっ、えっ」とざわつく列。
どうやら黄色い旗は営業中止の意らしいです。
ウッソでしょう。゚(゚^ω^゚)゚。
もうこれだけ食べられているんですからね。お団子がなくなってしまったのかもしれません。列は解散。なんという事です。
まあだんご自体は厳美渓周りにはいくつもお店があるのでそこで頂くこととします。空飛ぶ団子のシーンは撮れましたし、ブログ的には黄色い旗が見られて美味しいという部分もありますしね(・`_´・)
醤油、あんこ、ごま、ずんだ、くるみの5種類の味を堪能しました。美味い! 後だんごは腹に溜まりますね。空腹が収まりました( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
オチをありがとう厳美渓。天気のせいか景観はあまり楽しめませんでしたが美味しいお団子でチャラです。
帰宅したら夕食にでっかいコロッケをたくさんごちそうになりました。ビールも空になるたびに新しいものを出してくださって、本当こんなに良くしてもらってどうお礼を言ったらいいのかもわからないくらいです。ネコも可愛いですしね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
台風は今夜にかけて通り過ぎる予報。
大事を取って明日もう一泊させていただくことになりました。
観光に美味しい料理と寝床。
身も心もリフレッシュした1日でしたm(__)m
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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