2023-6-23
大峯奥駈道は吉野と熊野を結ぶ山岳道。今回は吉野駅から熊野本宮大社を目指す全長100km弱の道を歩き通す挑戦をしたいと思います。行程は5泊6日。そんなに長いこと山に籠るのは初めての事ですが、これまで300日近く日本を回ってきた自分の気力、体力を信じてこの修験道をやり遂げます。今日はその初日。気合を入れていきましょう!
大峯奥駈道のスタート地点『吉野駅』へ
さあやって参りました登山回。奈良は大峰山を大峯奥駈道で歩き通したいと思います。できるのかなぁ本当に(๑-﹏-๑)
まずは大峯奥駈道のスタート地点である吉野駅に向かいましょう。快活クラブの最寄り駅である大和新庄駅の駐輪場に相棒を停めます。
再び相棒と会えるのはおよそ一週間後ですか。そんなに長い間旅中に自転車から離れたことが無いので色々と心配ですね。二重ロックはもちろん自転車カバーもかけておきます。それじゃあ、お互い無事にまたこの大和新庄駅で会おうじゃないか。゚(´つω•`。)゚。
大荷物抱えて電車で登山口に向かうこの感覚。長い山行が始まるのだと体で理解させられますね……。
50分ほどで吉野駅に到着。
ぐおおおあああ!!!
着いてしまったァ!!!
さあ修行の始まりです。
パーティメンバーのI君も到着したし出発しますか
え、誰!?
と驚かれる方もいるかもしれません。I君は前職の同期で私の登山の師匠です。現在、三重県に住んでおり、今回私が大峯奥駈道に挑戦すると言ったら「じゃあ途中まで一緒に登ろう!」と提案してくれたのでした。
彼は滋賀県に行った時も駆けつけてくれましたね。フットワークの軽さ尊敬です。
I君は私の様な浮浪者とは違って普通にお仕事があるので5泊6日かかる奥駈の全行程には参加できませんが、大体中間地点の八経ヶ岳(大峰山脈の百名山としてのピーク)までは一緒にいけます。八経ヶ岳までは吉野駅からだと2泊3日なので期間的にも半分ほど行動を共にしますね。
お互い登山の準備ができたらいよいよ出発します。
マジで始まるのかぁ……私にとっては大きな挑戦過ぎて恐ろしいやら楽しみやら複雑な気持ちです。゚(゚^ω^゚)゚。
大峯奥駈道1日目
11:00 吉野駅
奥駈スタート! 11時開始と遅めの出発ですが、今日の行程は6時間ほどで済むので十分明るいうちに行動終了できるでしょう。
しばらくは舗装路歩きです。まだまだ登山というよりはハイキング。人の領域の真っただ中です。今は歩きやすく見えるこの道も桜のシーズンなどは恐ろしいほどに混むのだとか。オフシーズンで助かりました。
荒行の最中とは思えないくらい風情ある道のり。まあウォーミングアップと思って楽しみながら行きましょう。
11:25 第73靡『吉野山(金峯山寺)』
30分ほど歩くと最初の靡、第73靡『吉野山(金峯山寺)』に到着です。
靡というのは大峰山系において神仏が祀られている霊地の事。なぜ靡と呼ぶのかというと信仰的な解説では「奥駈を拓いた役行者(えんのぎょうじゃ)の法力に大峰山中の草木までもが靡いたから」と言われています。そんな靡、大峯奥駈道には75あり、それらを拝して修行しながら進むのが奥駈なのです。
……といいつつ初っ端から第75、74の靡を逃しているわけですが。゚(゚^ω^゚)゚。
第75 柳の宿(やなぎのしゅく)
第74 丈六山(じょうろくさん)
は吉野駅より北にあるので、吉野駅スタートの時点で回れないのです。まあ正直な事を言うと、初めからそんな意識の低い事でどうするのだと怒られそうですが、75靡すべてを回ることはハナから諦めています。
靡のコンプリートはなんといいますか、やり込み要素みたいなもので、シンプルに吉野から熊野に歩いていくだけでもとんでもない苦行なのに、時にはルートを外れ参る必要のある靡の参拝は超ハードモード。奥駈初心者の私がそれをやるのは、殿堂入りもしていないのにポケモン図鑑の完成を目指すような茨の道です(´;ω;`)
それにしても金峯山寺の立派な事よ。靡は75、74と飛ばしてここが73番目の靡ですがこのように靡のナンバーはゴールの熊野本宮大社に近づくにつれて小さくなっていきます。
これは奥駈を拓いた役行者が熊野から吉野むかって歩いたため。役行者と同じルートで大峯奥駈道を行くことを順峯(じゅんぶ)といいます。私たちのように吉野から熊野へ向かうのは逆峯(ぎゃくぶ)なので靡のカウントも逆になっているんですね。
初奥駈にしてトリッキーなルートを選んだなと思われるかもしれませんが、今日ではこの逆峯を行くのが主流なんですよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
じっくり見て回りたくなりますが今回は観光ではないので滞在時間は最小限に。手だけ合わせて先を急ぎます。
ちょっとトイレ休憩。ルートを外れるこの石段を下らないとトイレにたどり着けないなんて泣。
しかし山のトイレにしては綺麗ですね。ここら辺はまだ自動車が通れるからですかね。人の領域と山の領域の境目は車が通行できるかどうかだと思います。車が入れるところには文明があります。
12:30 第72靡『吉野水分神社』
第72靡は『吉野水分神社(みくまりじんじゃ)』
吉野水分神社は地元では「子守さん」の方が名の通りが良いのだそう。「みくまり」がなまって「こもり」となり子授け、子守の神となった結果です。豊臣秀吉もこの神徳を頼みにし男子出生を記念した所、秀頼が生まれました。社殿は重要文化財ですが、実は1604年にその秀頼が改築したものだったりします。
吉野水分神社の写真を撮り忘れていました。゚(゚^ω^゚)゚。
13:00 修行門
吉野水分神社でしばし休憩。その後15分ほど歩いて修行門の前まで来ました。
そのまんまの名前の門ですね。ここをくぐればいよいよ修行本格化というわけですか。確かにこの門の先の傾斜はエグ過ぎました。゚(゚^ω^゚)゚。
傾斜が落ち着くと奥駈道の案内板が。
吉野山を出てまだ四寸岩山にもついていません。どれだけ長い修験道か、この時点で察せられて気が遠くなります。
13:20 第71靡『金峯神社』
第71靡『金峯神社』。ここは吉野山の地主神である金精明神を祀ります。
道中、希望を見つけました(。◔‸◔。)
希望を胸に進みます……。
黒滝村の標識。こんな山奥に……。なんだかtrickで出てきそうな村ですね。
ひたすら雲、山、森。
15:30 四寸岩山
四寸岩山登頂。
展望もあまりないので楽しいピークではありませんね。進みましょう。
四寸岩山から15分ほど歩くと小屋が見えてきました。残念ながら今日の宿泊地はまだ先です(๑-﹏-๑)
15:45 足摺宿
この小屋は足摺宿。
中にはお堂が。雰囲気ありすぎるでしょう。ここで一泊するのは落ち着かないかもしれませんね。
この地には都覧尼(とらんに)という女仙人の伝説があり、曰く彼女は吉野山の麓に住んでおり仏道修行を続けて今や数百歳という歳になっていたと。あるとき山上ヶ岳に登ろうとしましたがそこは女人禁制の山で蔵王権現が守っています。そのため都覧尼は山上ヶ岳に登ることができず足摺りして悔しがったというお話です。
これが山伏の伝承になると登場するのは奥駈を拓いた役行者の母親です。大峰で修業中の息子に会うために女人結界を侵してまでここまで来た母親は、都覧尼同様それ以上進むことができませんでした。悔しさのあまり母親はここで足摺りをしたのだとか。
仙人の都覧尼はともかく、役行者の母親はパワフルすぎますね。
足摺宿で休憩したら再び移動。そろそろ疲れてきたので早く今日の宿で寝たいです(´Д⊂ヽ
たまの舗装路が足に負担をかけてきおるわい……。
足摺宿から40分歩いて見えてきました今日の宿!
16:40 第69靡『二蔵宿(百丁茶屋)』
第69靡の『二蔵宿(百丁茶屋)』が今日の宿です!
食事を済ませて早く寝たいところですがまずは水を確保しなくては。
水場は小屋から10分ほど離れたところにあるので怠け心を押し殺して汲みに行きます。道が細くて普通に危ないので油断なりません。行動終了する時間帯ですから疲れも出る頃。慎重に行きましょう。
小屋に戻ったら夕食、少々おしゃべり、そして就寝です。初日の今日はスタートが遅かったので6時間弱行動時間でしたが、明日からはもうゴールの熊野本宮大社に至るまで毎日10時間以上の行動です。頼みますよマイボディ。300日近く日本を駆けまわってきた自分の体を信じます(・`_´・)
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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