おはようございます。
もう公園での野宿も慣れたものですね。
東屋があれば何でもできる気がします( •̀ᴗ•́ )
朝食は毎度のホットサンドメーカー。
焼いていないパンがなかなか喉を通らないんですよね。
やはりパンは焼いてこそ。
これを……
こう!
ホットサンドメーカーは調理が楽で助かります。
本日は忙しいですよ。
寺行って神社行って、大変な撮れ高になりそうです。
上杉謙信に関係するというだけで行ってしまいますからね。
そして行った場所では景色なり、他の偉人の逸話だったりと、謙信以外の部分でも面白い話が入って来るのでインプットが止まりません。
イベントが多いことはありがたいことなのですが、それをまとめる私の能力を超えてくると大きな壁としてブログ執筆の際に立ちふさがって来るんですよね( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )
アウトプットが大変すぎる。
嫌いではないのですが時間がかかるので困ります( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )
そんな遅筆の私が執筆の時間を取るためにも大切なのは即行動!
そして即行動終了!
テキパキ行きますよ。
26日目スタート!
燕市内へ
直線はうれしくなって毎回写真撮ってしまいますね。
田んぼ道だと途中で砂利道になることもありますが……。
燕市に入りました!
つ、つばくろ市……?
燕岳(つばくろだけ)という名山のせいで本気で『燕』の読みに迷うことがあります。
通行人に話しかけてもらうことが多く、「このあとどこ行くの?」と聞かれることがあるのですが「燕市に向かっています」を咄嗟に答えられず詰まるシーンが度々ありました。
「あ~、ツバメ? 市に向かっています!」と答えています。(ツバメで合っています)
ムダに自転車から下りてあおりアングルで撮影。
あおりアングル大好きなんですけど、撮影姿勢がかなり怪しくなるのが難点。
人ごみの多いところでやると通報されかねませんよ( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
(笑い事ではない)
日本一長い川『信濃川』が見えて来ました!
新潟県および長野県を流れる一級河川。
長野には6年住んでいたのでなんだか実家の様な安心感を感じる川ですね。
長野では千曲川の名で呼ばれることが殆どです。
この川にまつわる歴史もまた泣ける……( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )
本当、トンネルだったり道路だったり治水だったり、土木関係の先人たちの命がけの努力の歴史、涙なしには聞けないんですよ。
日本一長い川である「信濃川」は暴れ川でした。
その治水の歴史は血の歴史。
ひとたび豪雨ともなれば洪水となり、越後平野一帯は洪水に見舞われるのです。
特に1896年に燕市で起きた堤防の決壊での死者は48人。
この被害を機に越後平野を水害から守る分水工事が1909年に開始しました。
分水路の開削には延べ1000万人と外国製の掘削機を投入し、13年の年月を経て1922年に最初の通水が成されています。
分水路はこの燕市にある大川津から寺泊海岸までの約10km。
洪水を日本海へ流すことで越後平野を守っています。
甲武信ヶ岳にある源流はあんなにもチロチロとしたものなのに流れを束ねると凄まじい川になりますね。
で、その寺泊の名前がさっそく青看板に現れてテンションが上がります。
知ると楽しむは同義ですね。
旅人、青看板に興奮しがち問題。
新潟市に向かっているんですから右折したいところですが……
左折!
国上公園に用があります!
上杉謙信の祈祷寺? 国上寺へ
国上寺に行きたいんですよね。
はい、上杉謙信関連です。
まったくこの戦国のヒーローがいなければ私がこうしてわざわざ積載車で山を登る必要もなかったというのに……。
張り合いがあって大変結構!
心癒されるのどかな風景。
こういう所にある祖父母の家に夏休みは遊びに行ってさぁ……
バーベキューして、カブト虫捕まえて……
一瞬で少年時代に戻ってしまう風景、危ない危ない。
郷愁抱くには早いでしょう!
進め!
坂じゃないですか!!!
進みたくない!!!
いい加減気づきましたけど、山登りを旅のテーマに組み込んでいるとこれから坂地獄ですね?
山登りが好きなだけでヒルクライムは勘弁してほしいのですが……。
真面目な話、交通機関を使う登山と、登山口まで自力で向かう登山をどう分けるかに悩みます。
自転車で移動したルートを記録には残しているので、日本一周データとして残らない登山は車でアクセスしようが自力で行こうが何も変わらないのですがねぇ……。
自力で登山口まで行った伊吹山と電車で行った荒島岳では前者の方が満足感高かったんですよね。
まあここは自己満足の世界。
後で考えましょう(問題の先送り(いつもの))。
30分登って到着。
30分しか経っていないんですね……。
ヒルクライムの体感時間は長すぎる。
自転車だと私は一日に標高200m上がるのが精一杯です。
それ以上は愚痴が出ます(=_=;)
自転車で通れるのはここまで。
下りて登りましょう。
寺に行くだけですから登山みたいなことにはならないとは思いますが、駐車場の雰囲気が登山口そのものなので少し心配です。
国上寺の山号は国上山ですからね。
国上山国上寺というわけです。
↑読めますか?
国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)です。
ややっこしい!
お地蔵様。
拝ませてもらいましょう。
賽銭を用意するのが結構大変なんですよ。
大量に5円玉を持つことなんてないですからね。
「ご縁がありますように」で5円玉というダジャレに神仏が付き合ってくださるとは思ってはいませんが、1円だと安すぎで10円は少し高い(不敬か?)イメージなので5円がちょうど気持ちがいいです。
見えてきました。
5分も登っていないですね。
ビビることはありませんでした。
あらあらなんだか素敵な絵が見えてくるじゃありませんか。
日本画風ですが何だか絵のタッチが現代的。
比較的新しいもののように見えますね。
木造の本堂に色彩豊かな絵が目を引きます。
まずはお参りしてから散歩しましょう。
越後一之寺国上寺。
上杉謙信の祈祷寺という事で参拝しました。
完全に上杉謙信に所縁があるというだけでここまで来ましたね。
私は完全に上杉謙信を楽しみに新潟を訪れているので。
この寺を訪れるにあたって仕入れていた情報は謙信関係の事のみだったんですが、調べてみたら結構チャレンジ精神旺盛なお寺でした。
まずお寺の壁のこの絵の数々。
現代っぽいのは当たり前で、国上寺住職の空想を描いたものなのです。
その名も『イケメン偉人空想絵巻』。
どんなチャレンジ精神ですか(。◔‸◔。)
国上寺は709年に建立された越後最古の古刹です。
歴史が長い分多くの偉人と関りを持つことがありました。
古くはあの鬼の頭領酒呑童子がこの寺の稚児だったという言い伝えから始まり、
逃亡中の源義経と弁慶がこの寺に隠れ住み、
そして上杉謙信の祈祷寺に、
敷地内にある五合庵は良寛の終の住居となりました。
そんな国上寺にまつわる偉人たちが同じ時代に住んでいたらどんな生活を送っていたのだろう……というのが住職の幼いころからの空想だったのだそう。
最近では、昨今の若者の寺離れを危惧して、何とか若者が寺に足を運ぶ機会を作れないかと2018年にSNSでの炎上を供養するためのサイトを立ち上げるなど寺の常識を覆す挑戦している住職。
このイケメン空想絵巻も世界的アーティストである木村了子先生とコラボレーションし制作したものなのです。
ネットの神絵師にskebで自分の好きなキャラ描いてもらう、の超巨大スケール版ですよね。自分の空想を寺の壁に描いてもらうって、なんというかもう『挑戦』のふた文字では片づけられない様な所業ですよ。
しかし檀家も少なくなってきた現代ではこうした取り組みも行っていかないと寺の存続自体も危ぶまれるようで。歴史ある寺だからと言って現代的な意匠を取り入れてはならないなどという事はありませんからね。
神社仏閣は古風であれ、というのも固定観念なのかもしれません。
「上杉謙信の祈祷寺ってのはどんなもんなんだい!」くらいの気持ちでやって来た国上寺でしたが中々にインパクトの強いお寺でした。
仕入れた情報以上の収穫がありましたね。
あとは本堂とは別の謙信公の祈祷寺とされているところを参拝するだけでいいかと思っていたのですが……
登山、口……?
ここが頂上ではなく、更に上の国上山のピークを獲れると……?
じゃあ登ります( ᐢ ᵕ ᐢ )
結局登山じゃないですか!
登山道具は持って来ていないですけど、往復1時間未満なら手持ちの水食糧で何とかなるでしょう。
普段履きしている靴は最初から登山靴ですしね。
この今はいている登山靴はこの旅中で新調したもので、実際に登山で使用するのはここが初めてですね!
新調してからの最初の登山は北海道の利尻岳になると思っていたので願ったり叶ったりです。
本当に怖い。
熊も狐も猪も勘弁ですよ(๑-﹏-๑)
K2登頂!( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
……などと冗談を言えるくらいには余裕があります。
片道25分のコースタイムですからね。
思いもよらない登山でしたがいい運動です。
自転車で百名山に登ろうと思うと山と山との間が結構長くて、お預け食らってしまうのでなんだかんだと登山に飢えてしまいますよ。
縦走であれば一日に何座も登れますが、それも感覚的には1回の登山ですからね。
イイ感じの花。
図鑑を調べても名前が分からず……。
花の……というか植物の種類を特定できる人本当にすごいなと思いますね。
図鑑を見ても分からないんですよ。
どれも同じものに見えてしまって。
興味の問題でしょうか……?
花も撮りたいと思うんですけど名前が分からないと魅力も半減してしまいます。
名は偉大よ。
名には魂が宿る。
(じゃあしっかり特定しなさい)
ほんとうの登頂!
地元の低山という感じですね。
自分の背よりも高い木々に覆われた山頂というのも新鮮な感じです。
水は500mlペットボトルが一つ。
食べ物もカロリーメイト一箱。
あまり長居できる装備ではないので下山しましょう。
先ほどのK2が展望台との分岐点。
せっかくですから展望台に寄って下山します。
本当に登山道?というような道。
枝葉のフォトフレームに囲われた越後平野が気持ちいいですね!
絶好の登山日和( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
特にトラブルもなく下山です。
新しい登山靴ですが……
やはり靴底が少し柔らかいですね。
それは自転車を漕ぐ普段も履くのでどうしたってストレスにならない程度の柔軟さが欲しかったからなんですが……。
店員さんにもあらかじめ言われていたように穂高なんかの岩稜地帯をがつがつ登るには少々不安なスペックの靴ではあります。
岩に足を乗っけると、足つぼマッサージマットから受けるような感触を感じましたからね。長いこと岩場を歩いていると疲弊しそうです。
ただ普通に登山するには全く問題はなさそうなのでまた北海道の山々を何度か登って様子見ですね。靴底の柔らかさだけが少し気にかかった程度ですから。
さて下山したら今度は本堂から離れたところにある謙信公の祈願寺エリアです。
本堂より楽しみにしているというね。
SNS炎上供養やイケメン空想絵巻で話題になったことなんて知らずに来ているわけですからむしろレアな参拝客かもしれません( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
善光寺の大香炉のような。
枯れていますね……。
これはくぐってよいのか判断に迷います。
まさか阿比多神社のようなスローイング形式ではあるまいし( ᐢ ᵕ ᐢ )
上杉謙信が御霊験あらたかな観音様を信心し、祈願寺として必勝祈願・戦勝祈願をされたお寺。
私も必勝祈願をしたいのですが勝つべき相手がいないんですよねぇ。
誰とも戦っていないのでここはカッコよく『怠惰な自分』への必勝を祈願しておきますか(メ゚皿゚)
国上寺といえば五合庵。
五合庵といえば良寛。
……らしいのですが、私は寡聞にして存じ上げず。
ここには上杉謙信の(略)
せっかくなので回れるところは全部回っておきましょう!
そうして得た撮れ高がブログ執筆時に私を苦しめる(=_=;)
五合庵に向かう途中にもう面白そうなものがあります。
縁切り……縁にまつわる御神徳は神社を回っていればいろんな場所がありますからね。
旅人としても、神社を回る参拝客としても縁深いテーマであります。
縁……。
縁切りの絵馬が面白い!
絵馬が「縁」の字に抜かれているんです( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
絵馬に書いてある願いもぼかしてありますが中々に陰鬱な事が書いてあります。人間の「念」を感じて興味深いですよ。
やっぱり人間、芯が垣間見える瞬間が最も面白いですよ。
ごまかし抜きの本性がね。
それが善性であれ悪性であれ、祈りであれ恨みであれ。
だからこそ神社仏閣巡りをする旅の中では、御利益だけでなく呪いや祟りという一見ネガティブにみえるものについても調べたいと思いますよ( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
縁切り地蔵の近くにあるこの井戸は鏡井戸なるもの。
これは酒呑童子に由来するもののようです。
酒呑童子はもともと人間で、その時の名前は外道丸。
いやもう最初っからダークサイドに落ちそうな名前!
外道丸はめちゃくちゃイケメンで周りの娘さんたちはキャーキャー言っていたそう。
ラブレターも葛籠いっぱいになるほどもらっていましたが、佛道修行に熱心だったその頃の外道丸は読みもしません。
そのうち外道丸に恋焦がれて死んでしまった娘が出てしまい、さすがに外道丸も驚いてラブレターの入った葛籠を確認しようとふたを開けるとあら不思議。
ラブレターは白い煙となって外道丸を包み気絶させてしまいました。
意識を取り戻した外道丸は顔の違和感を覚え、この鏡井戸をのぞいてみるとなんと水面には鬼の面となった自分の姿が写っているではありませんか!
狂乱した外道丸は寺を飛び出して山中の断崖穴にこもり、自らを酒呑童子と名乗って最終的には大江山へ移り住んだとのことです。
ちょっと待て。
カワイソ過ぎない外道丸?
外道丸とは関係ないところで災いへのカウントダウンが進んでいるんですよ( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )
佛道修行に励んでいるなら女性関係を断つのは褒められることでしょうに。
いきなり「お前のせいで女の子死んだぞ!」言われて、ラブレターガス浴びせられて、鬼に変えられたらそりゃ発狂しますよ。
俺の人生めちゃくちゃになったんだが?って。
そんなこの鏡井戸。
「今も悪心を持つ者が、この井戸を覗くと鬼に見える」らしいです。
だから外道丸のどこに悪心があったというんですか( ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )
この物語だけ聞くとめっちゃ不憫に思えてきましたね酒呑童子。
もっと心置きなく酒呑童子を悪役と思えるように、外道丸の邪悪ムーブも描写してほしいところです。
まあそんなこんなで、悪いやつがこの井戸を覗くと鬼に見えるようなので私も試してみますかね。
私は大丈夫ですよ。
誠実な男ですからね(フリ)。
いざ!!!
枯れとるやないかい!!!
何なんですかこの時間は。
次いきますよもう!
この際です。どっちも行きますがまずは五合庵。
これが五合庵ですか。
五合庵。
良寛が約20年間住んだ場所です。
五合庵の名前は、国上寺の阿弥陀堂の再建に身命をかけた万元上人に、この草庵と毎日5合の米を影響したことに由来すると言われています。
Wi-Fiが繋がってAmazonが配達に来てくれるならマジでこういう部屋でいいです私も。
つぎは千眼堂吊橋ですね。
国上寺に来ただけなのにどれだけほっつき歩くつもりなのか。
でもいい感じの橋っぽい!
ほぉ~……。
なかなか満足度の高い橋ですよ。
橋の下まで木々が生い茂っているので吊橋ならではの高度感はあまりありませんが。
緑の森に刺さる朱色の橋が見るに心地よいじゃないですか!
渡ってよかったと思います。
橋を渡ると公園。
良い東屋ですね!
この東屋は良いですよ!
テントを張るも良し。
寝袋だけ出すも良し。
野宿に最適な東屋ですね!
(公園での野宿を推奨するものではありません)
鬼を祀る? 酒呑童子神社
めちゃくちゃ色んなものを見て回った国上寺をようやく出ます。
このあとはおなじみの一之宮へ参りますからね。
さっさと移動したいところですが……。
撮れ高は撮れ高を呼ぶ……。
いまさっきめっちゃ不憫に思った酒呑童子を祀る神社……?
行くしかないでしょう!!!もう!!!(メ゚皿゚)
本当、酒呑童子神社の看板からすぐなのでね。
移動に時間は食いません。
また酒呑童子に関する記述がありましたね。
子どもの頃は乱暴者だったが、母親が亡くなってからは佛道に熱心に打ち込んだと。
大筋は変わりませんね。
鬼になってからは再び暴れまくったようですが、そりゃキレるでしょうよ(๑-﹏-๑)
この酒呑童子のお話の教訓は一体何なんですかね。
LINEの返信はマメにしろよ!ってことですか。
世のイケメンは気を付けてください。
未読スルーしていると鬼に変えられてしまうかもしれません!
良い五重塔だ。
撮りがいがあります。
外道丸、イケメンであったが故に……。
「外道丸が娘さんの恋文を読んでいたなら、娘さんは死なずにすんだでしょうし、外道丸も鬼のような顔にならなかったでしょう」
めちゃくちゃ笑ってしまいました。
なんでそんなに外道丸の過失割合がデカいのか。
だってこれ、外道丸が恋文を読んだだけでは避けられない悲劇でしょう。
読んだ上で娘さんに何らかのアプローチをしなければならない訳じゃないですか。
佛道修行している外道丸に、その気もないのに娘さんを満足させる甘い言葉でもかけろと?
そういうクズ男ムーブをとるか、それ以外なら上手に振るかしかないですし、どちらにしても「恋文を読むだけ」では済みませんよね。
娘さんと結ばれる選択肢があるって?
何度も言ってしまいますけど
こちとら佛道修行中ぞ?(外道丸が)
本当ただただ災難な外道丸というようにしか受け止められないんですよこの物語。
めっちゃ面白いなこれ。
越後国一之宮『彌彦神社』へ
ようやくお目当ての一之宮への道に戻りました。
なんだか酒呑童子周りのお話が面白くってそっちの方が今日のメインになりそうで怖いですね。
寄り道が本題を食うんじゃない。
まあもう私の気を引くものはないはずです。
こんなことばかりやっているせいで予定通りに行動できる日がない……。
それがいいんですけどね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
……なんだあのデカい鳥居は。
やめろやめろ!
もう寄り道している時間はありません!
あの鳥居は全くこの旅に関係ないんですから!
(しかしこの鳥居、実は……)
誘惑を振り切って弥彦村へ向かいます!
あら風情のある良い東屋。
もう東屋のことが宿泊施設としてしか見られない。
(公園での野宿を推奨するものではありません)
彌彦神社到着!
なんと緑豊かな参道か。
鳥居をくぐって左手にはどえらい形状の橋が。
これは人間用ではなく神様がお渡りになるための橋なのです。
神へ続く道。
なんて幻想的な……。
参拝に来ているんですがシャッターが止まりません。
天気も良すぎるでしょう今日は!
いよいよ本殿という所なんですが、いま小銭を切らしていることに気づきました。
現在財布の中にある最も安価な硬貨は50円玉。
酒呑童子神社やら本来予定していないところで賽銭投げすぎました。
本当ケチクサイ話なんですけど、50円を惜しむ気持ちがめちゃくちゃ強い:;(∩´﹏`∩);:
金銭的な惜しさというよりは、これまでとんでもなく格式高い名社も5円玉で済ませて来たのに、ここで50円使ったら贔屓なんじゃないか?という気持ちの面で……。
賽銭なんて金額の問題ではなく単なる所作だとは思うんですけど、普段の10倍の価値の硬貨を使うとなるとそれに見合った価値を自分の中で彌彦神社に見出さなければならない様なプレッシャーを感じてしまうんですよね。
私は偏ることが嫌いな人間。
なんでも均したくて仕方がない性分。
右足でつまずいたら、左足でもつまずかないと気が済まない人間です。
本当どうでもいい話ですみません(๑-﹏-๑)
おとなしく50円玉を投げます。
越後国一之宮『彌彦神社』
標高634mの弥彦山の山上に鎮座する広大な社域を持つこの神社。平安時代の法律書である延喜式では名神大社とされています。
同じ越後の一之宮である「居多神社」は小社なので古代の社格でいえば弥彦神社の方が格段に上であるといえます。
少し考えこむ所作。
これは一体……?
この茅の輪は素戔嗚尊(すさのおのみこと)に由来するもののようです。
その昔、尊が旅の途中で宿がなくて困り果てているところに、蘇民将来(そみんしょうらい)という者が尊をもてなしました。
貧しくも精一杯のもてなしをした将来に対して尊が「この先疫病が流行っても腰に茅の輪を下げて蘇民将来の子孫なり、と言えば疫病から逃れられる」と教えます。
実際に疫病が流行した時に教えられた通りにすると、将来の家族だけは疫病にかかりませんでした。
これにちなんで夏越の大祓式では茅の輪をくぐり、疫病退散を祈る習わしのようです。
大祓式は年に二度、六月三十日と十二月三十一日に行われるとのことですが、では今日(6/13)のこの茅の輪くぐりは一体……?
弥彦神社の祭神はアメノカゴヤマ、別名タカクラジともいいます。
高倉下でタカクラジです。
宝くじじゃないですよ(・`_´・)
神武天皇の命を受けてアメノカゴヤマが、海水から塩を作る技術や、漁業、稲作、養蚕などの産業を地元の人々に教えたとされます。
これによって越後を作った神として祀られました。
弥彦山に祀られたことから「伊夜比古神」と呼ばれて崇敬を受けました。
また弥彦神社には日本石油開発の神という珍しい神徳があります。
日本書紀に、天智天皇の時代に燃える土と燃える水を献上したとの記録が残されています。
燃える土=石炭。
燃える水=石油。
ですね。
近代化の明治時代に石油の需要が高まると越後各地からも石油が産出されるようになってきます。油井を掘る間に関係者が弥彦神社に参拝するようになったのだとか。
近代の発展に欠かせない化石燃料。
それすらも弥彦山の神の神徳だとすれば、この越後にとっての繁栄はこの伊夜比古神さまにありといっても過言ではないですね( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )
そしてこの彌彦神社。
驚くことに鶏舎があります。
鶏は「庭鳥」で人の家に飼われた鳥。
日本人と鶏との付き合いは大変古く、日本人が稲作を始めた頃から飼いだしたと言われています。
天照大御神の天の岩戸神話にも鶏は登場しており、神道とも縁の深い動物なのです。
鹿までいて完全に動物園の様相を呈していますね。
個性的過ぎますよ彌彦神社。
堪能しました。
神域から出て人界に戻ろうと思います。
鳥居、本当に異界への門という感じがしていいですよね。
しかしこれが本当に彌彦神社の鳥居なのでしょうか?
というのも書籍では彌彦神社の大鳥居は高さが30mあると書かれていたと記憶していたのですが、境内にはどこにもそんなものはなかったのでハテナ?と思っていたところです。
そんなことを考えながら軽く食べられるものがないかとウロウロしていると
イイ感じの坂。その上には鳥居です。
鳥居の置かれる場所によっても参拝欲をそそられますね。
これは彌彦神社の末社だったか。
一之宮巡りの一端として参りましょう。
彌彦神社末社 住吉神社
樹齢およそ千年のこの大欅は新潟県の天然記念物です。
大枝を伸ばして立つ姿は大蛸が八本足を広げている様子によく似ている所から「蛸欅」と昔から呼ばれています。
この見事な姿。
信仰も集まりますよそりゃ。
参拝のラストに良い欅を見られました。
寄り道で長くなった26日日目もこれにて終了……
と行きたいところですがやはり気になる。
気になるのは彌彦神社の大鳥居。
30mあるというこの鳥居がどうも気になります。
調べてみると本殿からかなり離れたところに大鳥居は建っているようです!
いやこんなの大鳥居がある事を知っていないと絶対スルーするでしょう!
どれだけ離れているんですか大鳥居。
というかこれ……
さっき見かけたこの鳥居でしょう!
そりゃ30mも高さあったらあの距離からでも目につきますわ!
というか結局行くことになるんですね。
関係ないと思っていた鳥居がまさか彌彦神社のものだったとは(。◔‸◔。)
ビックリですよ。
デカすぎて見えたと思ったところから結構距離があるんですよ。
いややはりすさまじくデカい。
到着!
彌彦神社の大鳥居!
この大鳥居は上越新幹線及び高速自動車道が次々開通する頃。
新潟県が飛躍的な発展を遂げる時代が来るかもしれないという期待の中で、建てられたもの。
古来越後の国を開き人々の生活の礎を築いたとされる伊夜比古大神様の御神恩に感謝、また将来の繁栄を祈って、霊峰弥彦山を背に奉建したものです。
高さ30mですからね。
鳥居の足から撮ると全部が写りません。
遠目に見てデカい鳥居だなと気になっていたものがまさか一之宮の大鳥居で結局こうして来ることになるとは。こういう所でも縁というものは感じるんですよね。
燕市。
今日はこの市内をあっち行ったりこっち行ったりと大変忙しい一日でした。
しかし寄り道が寄り道を読んで最後には繋がったり非常に楽しい一日でしたね。
お騒がせな彌彦神社の大鳥居もそうですし、酒呑童子なんて全くノーマークだったのに国上寺から酒呑童子神社で繋がったり。
逆に上杉謙信成分は思ったほどなかったりと、想定とは違うことだらけでしたがそうした中でも面白い一日になって、なんだか当てのない旅の醍醐味を味わった感じがします。
フェリーで新潟を発つまであと二日。
残り少ない新潟での時間を今日のように満喫していきたいですね!
……いや毎日こんな撮れ高はブログが大変なのでほどほどに(=_=;)
寝床はそこら辺の公園でいいでしょう。
26日目終了です。
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